Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第248号(2010.12.05発行)

第248号(2010.12.05 発行)

岩手県宮古湾に生息するニシンの生態を探る

[KEYWORDS] 持続可能な自然管理/ニシン/伏流水
東京大学大気海洋研究所 国際沿岸海洋研究センター 博士課程◆山根広大(こうだい)
東京大学大気海洋研究所 国際沿岸海洋研究センター センター長◆大竹二雄

かつて宮古湾にほとんど生息していなかったニシンが、資源増殖に向けた多くの関係者の精力的な取り組みにより、いまでは宮古湾を産卵場や仔稚魚の成育場として利用しはじめている。
われわれの調査で仔稚魚期の成育場として好適な伏流水域が存在したことが明らかになったが、このような恵まれた宮古湾の豊かな自然環境とニシン資源を未来へ残していく必要があると考える。

「岩手県宮古湾」というフィールド


■岩手県宮古湾

岩手県宮古市は本州の最東端に位置し、世界でも有数の漁場である三陸海域に面していることから漁業を中心とした産業で古くから栄えてきた。また、極楽浄土のようだと評された三陸を代表する景勝地「浄土ケ浜」を擁することからも、宮古市は日本有数の豊かな自然と海洋資源を持つ地域であるといえるだろう。
宮古湾は、湾口部の幅が4km程で奥行きが約10km、湾中央部付近の水深が約15m程度、湾奥部には5m以浅の水域が広がっている。湾の中央部には閉伊(へい)川、湾最奥部には津軽石川の2本のかなり大きな河川が流入しており、全体が一つの大きな河口のような形状を呈する奥深い湾である。そのため、宮古湾の環境は流入する河川水の影響を受けやすく、海に繋がる陸域の環境との関連性も深い。湾の中央部分から湾口にかけての海岸は岩礁域が多いが、湾の南側に位置する白浜から湾奥の津軽石川の河口域にかけては砂浜の干潟が形成されている。湾奥には複数の小河川が流入し、その周辺はアマモを中心とした藻場が発達する。
このように宮古湾は、湾内に自然の環境が数多く残されており、湾内で生息する生物たちに好適な成育場を提供していることは間違いないだろう。近年になって、かつては宮古湾にほとんど生息していなかったニシンが宮古湾を自らの産卵場として、そして仔稚魚の成育場として利用しはじめていることがわかってきた。きっと、ニシンも豊かな自然に恵まれた宮古湾を気に入ってくれたからに違いない。

宮古湾に産卵期のニシンが来遊するようになるまで


■2008年6月24日に宮古湾で採集されたニシン稚魚。宮古湾の湾奥では体長10cm程度までの稚魚が分布する。

ニシンは北太平洋に広く分布する世界的に重要な水産資源の一つである。お正月のおせち料理によく用いられている「かずのこ」はニシンの卵巣を加工したものであり、ニシンを用いた料理の中ではもっとも一般的ではないだろうか。かつて日本沿岸域においては、北海道・サハリン系ニシンと呼ばれるオホーツク海を大回遊する一個体群が、北海道の日本海とオホーツク海の沿岸に産卵のため大群で来遊していた時代があった。しかし、現在この個体群は衰退し、近年では日本沿岸域で漁獲されるニシンは地域型と呼ばれる回遊範囲の狭い個体群にほぼ限られている。北日本沿岸域には複数の地域的な個体群が存在することが知られているが、岩手県宮古湾にはこれまで地域個体群が存在しなかった。
(独)水産総合研究センター宮古栽培漁業センターは宮古湾の新しい漁業資源としてのニシンの可能性を探るために、宮城県万石浦(まんごくうら)に分布する個体群の移植放流という形で、1984年から宮古湾においてニシン稚魚の試験放流を開始した。稚魚放流を開始してから数年間は、宮古湾で漁獲される産卵ニシンの漁獲は非常にわずかであった。しかし、1989年から稚魚放流の直接的な効果や放流魚の再生産効果が徐々に現れはじめ、冬から春にかけて湾内に設置されている定置網に産卵期のニシンが漁獲されるようになってきた。2003年以降におけるニシンの漁獲量は、1~2トンの水準を維持している。宮古湾で放流されたニシンは、北海道の噴火湾付近まで回遊し2年後に産卵のため再び宮古湾へ回帰することが近年の調査研究において明らかになっている。冬から早春にかけて漁獲されるニシンは、市場での単価が高いことに加え漁獲対象種の少ない冬季の貴重な収入源になることなどから、宮古湾周辺の漁業関係者から注目されている。
現在、宮古湾においては、宮古栽培漁業センターによるニシンの放流事業のみならず、地元漁業者、研究機関および水産行政機関が一体となり、宮古湾で生まれたニシンの資源増殖に向けた精力的な取り組みも行われている。例えば、湾奥の小型の定置網にニシンが産みつけた1,000万粒もの受精卵を、それらが孵化するまで海の中で保護する取り組みが地元漁業者を中心に宮古栽培漁業センターや宮古市や岩手県の協力のもとに行なわれている。このような増殖事業をさらに発展させ、将来にわたってニシン資源を持続的に利用するためには、宮古湾に生息するニシンの生態や発育場所の環境情報を把握することが重要である。

宮古湾に生息するニシンの生態を探る

宮古湾におけるニシンの調査シーズンは、産卵魚が来遊する1月から3月、湾内で孵化した個体が仔稚魚期を過ごす3月から8月である。私たちの研究グループでは主に仔稚魚期のニシンに着目し、宮古湾に生息するニシン仔稚魚がどのような場所に分布するのか、その場所はどのような環境で、どのような環境がニシン仔稚魚の生残や成育に適しているのか、を解明するため日々調査を進めている。野外調査は、仔稚魚の主な成育場であると考えられている宮古湾奥(最奥から湾口方向に3km程度の範囲)を中心に行なっている。
基礎となる宮古湾の環境特性を明らかにするため、私たちは宮古湾の中央部付近から湾奥域にかけての表層から低層まで、水温、塩分、濁度、溶存酸素などを綿密に測定している。
特に塩分に着目すると、(1)河川水が湾内の表層付近に流入するため、ほとんどの地点は底層よりも表層の方が低い塩分を示すこと、(2)宮古湾内の表層の塩分は雨水や河川水の影響を強く受け時期によって大きく変化することが分かってきた。しかしながら、湾奥域のある一地点においてはこれらの典型的な塩分のパターンとは大きく異なり、表層よりも底層の方が低い塩分を示すことがわかった。この場所には、陸域由来の淡水が海の海底から湧き出している場所(伏流水域)が存在するのではないかと考えられた。
一方、宮古湾中央部付近から津軽石川の河口域にかけての浅瀬域においてニシン仔稚魚の分布を調べたところ、ニシン仔稚魚の分布は湾奥にある底層の塩分が特異的に低い伏流水域と一致した。すなわち、私たちの調査によって宮古湾に生息するニシンが湾奥の伏流水域を仔稚魚期の成育場として利用していることが明らかになったのである。

おわりに

岩手県宮古湾におけるニシン資源の増加は、宮古湾に豊かな自然環境が存在したこと、放流されたニシンが宮古湾へ回帰し産卵個体群を形成したこと、また仔稚魚期の成育場として好適な伏流水域が存在したこと、そして何よりも再生産を増やそうとする様々な関係者のたゆまぬ努力があったからこそ達成されたものである。今後私たちは、宮古湾の環境やニシンと対話をしながら多くのことを学び、多くの関係者が協力し合いながら沿岸環境の維持や持続可能な資源管理等を行なうことで、恵まれた宮古湾の環境とニシン資源を未来へ残していく必要があるだろう。(了)

第248号(2010.12.05発行)のその他の記事

  • 岩手県宮古湾に生息するニシンの生態を探る 東京大学大気海洋研究所 国際沿岸海洋研究センター 博士課程◆山根広大(こうだい)
    東京大学大気海洋研究所 国際沿岸海洋研究センター センター長◆大竹二雄
  • 中国の海洋科学技術力と日本の海洋政策 (独)海洋研究開発機構シニアスタッフ◆工藤君明
  • 海洋温度差発電が地球を救う NPO法人海洋温度差発電推進機構理事長、元佐賀大学長、第3回海洋立国推進功労者表彰受賞◆上原春男
  • 編集後記 ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科教授・研究科長)◆山形俊男

ページトップ