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オーシャンニューズレター

第235号(2010.05.20発行)

第235号(2010.05.20 発行)

海洋生態系保全と水産の持続可能性

[KEYWORDS] 地球温暖化/サケ類/生態系サービス
北海道大学大学院水産科学研究院水圏生態系保全学講座教授◆帰山雅秀

海洋生態系の構造と機能は生物多様性に依存しており、生物多様性の低下は生態系の生物間相互作用ネットワークの構成要素の脱落を意味する。
海洋生態系の保全と水産の持続可能性に向けて、サケ類への地球温暖化の影響とフード・マイレージを例に、海洋の環境収容力、教育のパラダイムシフトおよびリスク管理の重要性を指摘する。

はじめに

地球に生命が誕生して36億年が経過するが、生命史の時間的スケールでみると人類の誕生はほんの一瞬前の出来事に過ぎない。しかし、人類は今や地球生態系の巨大な生産者、消費者および分解者であり、圧倒的な影響力をもつキーストン種であり、人類の活動が温暖化や乱獲などのように地球生態系へ著しい影響を及ぼしている。ここでは、海洋生態系の構造と機能からその保全と、われわれが食料として利用している水産食料の持続的利用のあり方について考える。

生態系と生物多様性

生態系は、不確実性の高い常に変動しているダイナミックなシステムである。生態系の構造は非生物環境と長時間かけて進化してきた生物の集合体の相互作用であり、その機能は長期的な種多様性と遺伝的多様性により維持されている。生態系における人為的な干渉にともなう不連続な生態系の反応や跳躍的な現象をカタストロフィック・シフトという。例えば、水圏生態系における富栄養化はある限界を超えると、水草からアオコ(植物プランクトン)中心の生態系に変化し、種々の浄化対策にも関わらず、もとに戻らないことが観察されている。また、19世紀のタラ類やクジラ類の過剰漁獲(乱獲)による北大西洋の海洋生態系におけるカタストロフィック・シフトはあまりにも有名である。
生物多様性と生態系は、一方が他方を互いに「包み合う関係」ともいわれる。生態系の構造と機能は長い進化過程で培われた種多様性と遺伝的多様性からなる生物多様性に依存しており、生物多様性の低下とは生態系における生物間相互作用ネットワークの構成要素の脱落を意味する。生物多様性は、さまざまな生態系機能に貢献しているが、この生物間相互作用により維持されており、種が多様なほど物質循環速度は増し、その時間的安定性は増加すると考えられている。すなわち、生物間相互作用が生物多様性を決定する要因であり、それが物質循環過程とフィードバック・ループを形成している。

地球温暖化とフード・マイレージ


■図1: IPCCのSRES-A1Bシナリオから予測した8月のシロザケ海洋分布(Kaeriyama 2008)

生態系を人為的に管理することは、不可能である。なぜなら、われわれ人類が地球生態系の1構成種に過ぎず、1構成種が生態系を制御しようとすれば、複雑でダイナミックな不確実性の高い生態系にとって新たな攪乱につながる。上述のように現在観察されている生物多様性の低下は生物間相互作用の構成要素の脱落を意味し、生態系サービスや回復力の喪失につながっている。その一つの典型的な例を、サケ類に及ぼす地球温暖化の影響からみてみよう。
IPCCのSRES-A1Bシナリオに基づいて50年後および100年後のシロザケの状態について予測を試みた(図1)。このような予測は、不確実性に基づくため、全球的な傾向においてもモデル間のばらつきが大きく、単一モデルの結果に過度に依存するのは危険である。
そのことを前提に予測を行った。シロザケは、2025年まで現在の分布とあまり大きくは異ならないが、2050年以降オホーツク海とアラスカ湾で生息域が著しく縮小すること、分布の中心であるベーリング海では生息域と環境収容力が大幅に減少し、密度依存効果がさらに進むことが予測された。
サケ類の生態系サービスのうち、供給サービスの食料を考えると、「地産地消」がきわめて大切である。現在、北海道で漁獲されるシロザケの1/3以上が中国で加工され、欧米へ「ヘルシー・サーモン」として輸出されている。一方、わが国で消費されているサケ類50数万トンのうち、その60%以上は輸入に依存している。サケ一切れ(50g)のフード・マイレージ※をCO2換算すると、北海道でとれるシロザケはトラック輸送で3g、アラスカのベニザケが空輸で364g、ノルウェーの養殖タイセイヨウサケが空輸592g、チリの養殖ギンザケが空輸1,300gとなる。日本人は、地球温暖化に加担するフード・マイレージの高い外国産サケ類の切り身を好んで食べていることになる。一人ひとりがサケのような身近な食材を見直し、自分たちが何をどう食べるか、そのことが地球生態系において人類が生き残る上でどのように関わっているかを考えることの必然性が見えてくる。

生態系ベースの持続可能な社会の構築


■図2: 海洋生態系アプローチ型水産サステナビリティに向けた順応的管理(Kaeriyama 2008)

本来、水産生物資源は再生できる持続可能な資源である。地球上で約29億人の人類が水産食料を利用している。われわれは、この地球温暖化の時代に生態系アプローチ型持続可能な社会の構築をどう展開していったら良いのか。ここでは3課題を提唱したい。
(1)将来も水産食料を確保できるか:海洋生態系の環境収容力には限りがあることを認識し、水産資源を持続的に維持すべきである。水産業を人類の食料政策と位置づけることが重要で、他産業の価値観と同等に単なる経済効率ばかり追求しては直ちに「資源」を枯渇させてしまうであろう。
(2)海洋生態系の保全と水産の持続可能性:高等教育では、漁業効率中心の伝統的な水産科学から海洋生態系を保全しつつ持続的に水産資源を利用する生態学的水産科学にパラダイムシフトすることが必然である。また、初等教育でも、フード・マイレージや地産地消といった食育を取り入れるべきであろう。
(3)どのように「海洋生態系アプローチ型水産サステナビリティ」を確立するか:それには、予防原則と順応的管理に基づくリスク管理が今後の重要な課題である。本管理ではモニタリングと評価(モデリング)とのフィードバック・コントロールをベースに、政策における順応性、説明責任および反証可能性が求められる(図2)。

おわりに

スウェーデンは、科学者の合意と政治家の決断によって生態学的に持続可能な社会への道を選択し、「緑の福祉国家」をめざしている。国家の持続可能性の指標であるIUCNの健全性指数(2001年発表)で、スウェーデンは世界一位を獲得している。その要因として、スウェーデンが「現在から将来を見る」フォアキャストではなく、「将来から現在を見る」または「長期ビジョンから方向を検証しながら社会を変えていく」バックキャストをポリシーとして選択したことがあげられている。バックキャストは「地球は有限」という前提でいつまでに何をするかという政策を決め、国を挙げて社会を変えていく方法でもあると言われている。このようなポリシーを可能にするのが、予防的原則と順応的管理からなるリスク管理である。果たしてわが国はフォアキャストかバックキャストかどちらをめざして進もうとしているのであろうか? 国家の資質が問われている。(了)

※フード・マイレージ=「食料の(= food)輸送距離(= mileage)」という意味。食料重量×輸送距離(たとえばトン・キロメートル)を表す。1994年に、ロンドン市立大学教授のティム・ラングがフードマイル(food miles)として提唱した概念。

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