Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第234号(2010.05.05発行)

第234号(2010.05.05 発行)

統合的陸域海洋管理(ICOM)の必要性

[KEYWORDS] 国際河川/流域管理/海洋管理
京都大学防災研究所 社会防災研究部門 准教授◆山敷 庸亮(ようすけ)

水問題を考えるとき、陸域の河川だけに注目した統合的流域管理(IRBM)から、大陸河川と海洋の相互影響にも着目した統合的陸域海洋管理(ICOM)へと概念を拡張していかねばならない。川の汚染は、国際河川、越境河川を通じて海洋に流れ込むため、当該国だけの問題ではない。わが国も水問題について世界に貢献できるようなリーダーシップを発揮すべき時と考える。

はじめに

海への直接廃棄物投棄はロンドン条約(1972 年)、有害廃棄物の国境を越える移動はバーゼル条約(1992年)により規制されているが、有害物質を国際河川から海に流してもおとがめがないのをご存知だろうか?
2005年11月13日、中国東北部吉林省の中国石油吉林石化公司において発生した爆発事故により、大量のベンゼンおよびニトロベンゼンがアムール河支流の松花江に流出、その後アムール河に流れ込み、数カ月後にオホーツク海に達した。国連環境計画(UNEP)による調査※が行なわれ、それによると上流域でのニトロベンゼンのピーク濃度は0.8mg/L、下流域でも0.1mg/L以上と、水道水源基準の0.017mg/Lを大きく上回っていた。筆者はちょうどその半年後、UNEP主導の地球環境ファシリティー(GEF)によるアムール河プロジェクトの初回会合に出席した。その際に中国・ロシア・モンゴルの代表が参加していたが、これほど大問題であった松花江汚染については双方何の議論もなかった。むしろその話題をさけるように、注意深く交渉の糸口を探していたようだ。UNEPが調査を行なった折も、外部の公衆衛生関係者の派遣は中国当局に認められなかったようである。結局GEFのアムールプロジェクトは動かなかったが、松花江事故に対して別の国際的な枠組みで対策がなされたとは到底思えない。時間の経過とともに本件は忘却されているようだ。

国際河川の水質調査

世界中の河川の汚濁状況を知るためにも陸域における水質データの収集は不可欠である。カナダ政府の支援のもとUNEPにより30 年以上にわたって続けられている地球環境監視システム淡水プログラム (GEMS/Water)においては、陸域における水質データを世界中の政府機関およびNGOから収集し、現在は3,200を上回る観測所より1965~2009年の間の400万以上のデータが収録されている。本プログラムも5 年毎に見直し(仕分け?)があり、先日2010 年3月23日にUNEPナイロビ本部で戦略会議が開催され、今後5 年間のデータ収集・公開戦略が議論された。データ収集は困難をきわめているようだ。そもそも陸域の水質というと、独立国家の主権の及ぶ範囲であり、不都合な情報を海外に発信しなければならない義務はない。本当に水質が悪いことが明るみになると、当該政府は様々な批判攻撃を受けかねない。そのため、参加国から集められたGEMS/Waterのデータの公開はかなり制限されている。また途上国の場合水質データが全くない場合が多く、アフリカ大陸においては費用や技術の面から自国の水質汚濁状況を調査している余裕がない国が大半である。

国際河川/越境河川と海洋


■GEMS/Water水質データおよびGRDC流量データを用いた主要河川からの算定負荷量(硝酸態窒素)


■ラプラタ川の懸濁物(ブエノスアイレス付近)

他の主権国家の元で水域がいくら汚れようが、それは対岸の火事と思い過ごすこともできる。しかしながら、国際河川/ 越境河川を通じて海洋に流れ込む水の中に重大な汚染物質がまぎれていた場合、それは当該国だけの問題ではなくなる。マグロへの水銀蓄積や大型クラゲ大発生の問題はまさにこの問題とからむ。隣国の水質汚濁にずっと目をつぶったままで、はたして日本の健全な漁業環境は守っていけるのだろうか? 日本はもちろん中国との間に国際河川は存在しないし、国境を形成する川という概念はない。しかし他国の川から流れてきた物質は「海」を通じて、そして水産資源を通じて日本にもはいってくる。
河川からの栄養塩などの汚濁負荷量が圧倒的に多いのがアマゾン川で、これはすべて大西洋に流れ込む。今のところ有害物質の負荷は問題になっていないが、アマゾン川流域は金採取による水銀汚染が問題になっているので、全く安全という訳ではないだろう。南米では他にラプラタ川からの懸濁物質負荷量が突出しており、濁った水が大西洋遠くに届く。揚子江やアムール河も汚濁負荷量は多く、日本への影響はこれらが重要ではないか。北極海に流入する河川については特に窒素化合物のデータ精度が不明確で、負荷量予測にばらつきがある。かつてはセントローレンス川から大西洋への負荷量が大問題であったが、現在は五大湖周辺の国際枠組みにより水質が向上し負荷量が大幅に減少している。わが国に影響のある河川はもちろんアジア地域であるが、世界規模で水産業を手がけているわが国にとって、知るべきは日本近海のみではない。漁業に直結しうる河川と海洋の影響を地球規模で調べることは国益にかなうと考えられる。

水問題への取り組み

日本が世界の水問題のリーダーシップをとろうとして、いくつかの行動がなされた。1980年代よりUNEPや国際湖沼環境委員会(ILEC)が世界湖沼会議を開催し、1990年代より世界閉鎖性海域環境保全会議(EMECS会議)が神戸を皮切りに継続的に開催されてきた。また2003年には京都で第3回世界水フォーラムが開催された。しかし2009年にトルコ・イスタンブールで開催された第5回世界水フォーラムではかつての日本主導は鳴りを潜め、展示ブースにおいてはシンガポールや中国・韓国の躍進が目立った。特にシンガポールと韓国は2009年に数多くの国際水イベントを開催して関係国を驚かせた。シンガポールは日本メーカーの膜技術を用いた下水再利用システムNEWATERを自国のシステムとして世界中に売り出しており、水ビジネスを国家の柱と位置づけている。この分野でも日本は過去に積極的な貢献をしつつもこれらの国に新たなリードを許すのであろうか。
水問題に関するわが国の活力低下には二つ原因があると思う。一つはビジネスに結びつける要素が少なかったこと。そのため景気低迷、公共予算削減の流れには対抗しえていないようだ。もう一つは淡水だけで固め、海洋との連携を怠ったことではないか。日本は他国の表流水の影響を直接被ることはない。被るとすればそれは輸入食料を通じて(すなわちバーチャルウォーターの問題)、もう一つは海洋を通じてである。陸域の河川だけに注目した統合的流域管理(IRBM; Integrated River Basin Management)から、大陸河川と海洋の相互影響にも着目した統合的陸域海洋管理(ICOM; Integrated Continental - Oceanographic Management)へと概念を拡張してゆかねばならない。
ドイツはWMOとの連携の上で世界流出データセンター(GRDC)を通じて世界の河川流量のデータベースを構築し、カナダはUNEPとの協力のもとGEMS/Waterで世界中の水質データを収集している。これらは一見無駄な努力に見えるが、確実に陸域からの海洋への影響評価を成し遂げつつあり、オピニオンリーダーの一角になりつつある。わが国には(独)海洋研究開発機構をはじめ世界に名だたる研究機関が存在する。必要なのは、優れた研究をベースに海洋国家日本を守りつつ世界に貢献できる国際機関の設立ではないか。(了)

※ UNEP. (2005, December). The Songhua River Spill: Field Mission Report. Nairobi: United Nations Environmental Programme.

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