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オーシャンニューズレター

第228号(2010.02.05発行)

第228号(2010.02.05 発行)

白肌のヴィーナス「ホンビノス」は水産資源救世種か生態系有害外来種か

[KEYWORDS] ホンビノス/東京湾/生息環境
東邦大学理学部東京湾生態系研究センターセンター長◆風呂田利夫

1998年に千葉港でホンビノスの外来種としての侵入が確認され、今では東京湾の至る所に棲みついている。
生物多様性保全の面では外来種の侵入は防止すべきであるが、ホンビノスはアサリやシオフキなどの在来種とは生息環境が異なり、港湾や水路などの在来種が棲めないような貧酸素化の海底で生活しており、東京湾の新たな水産資源として期待する声もある。

ヴィーナスとの出逢い

ニューイングランド・クラムチャウダー
ニューイングランド・クラムチャウダー
(写真:shutterstock.com)

1980年、ずいぶんと昔になるが私はNOAA(米国海洋大気局)の訪問研究員としてコロンビア川河口域ベントス研究で、オレゴン州のField Stationに1年間滞在したことがある。主として水産資源を研究している所なので、研究所の冷凍庫には胃内容物を取り終わった魚が職員の食材として自由使用できるようになっていた。そのうえ研究所の前の河口や太平洋でさまざまな魚介類やカニを自力採集でき、日々のおかずや酒のつまみには不自由しなかった。そのおかげで滞在中の1年間を自炊、すなわちほとんど和食で通せた。そんな中で、例外的なお気に入りアメリカ料理が「クラムチャウダー」であった。地元でもオオノガイやマテガイの一種がとれるので、研究室の仲間から調理法を教わり頻繁に自作した。日本に帰ってから「アメリカでも(アメリカの方々スイマセン)こんなにおいしい料理を発見したよ」と自慢したら、「そんなの前から日本でも作っているよ」と一蹴された。知らなかったのは私だけだった。
それから30年してから、東京湾ベントス研究でまたこのクラムチャウダーと付き合うことになった。1998年に千葉港でホンビノスの外来種としての侵入が千葉県中央博物館の西村和久さんによって確認された。ホンビノスの学名はMercenaria mercenaria、かつてはVenus mercenariaとされていた。Venusとは貝の上で裸で立つ絵を思い出させる「ローマ神話の愛と美の女神」のことである。ホンビノスは「本当のヴィーナス」ということになる。確かに汚れを落とすとふっくらと丸くそして白くて美しい殻はヴィーナスの名に恥じない。この二枚貝はアメリカ大西洋岸の主要水産資源であり、クラムチャウダーにとって最高のネタである。クラムチャウダーにもいろいろな流儀があるが、New England Clam Chowderは魚介類としては基本的にはこのホンビノスのみを使う。この貝は大きなものでは幅が10cm以上に達し、身詰まりもいい。見た目も本当に旨そうである。

ホンビノスの生息環境

東京湾産ホンビノス。大きいものは10cmを越える。右下は5円玉。
東京湾産ホンビノス。大きいものは10cmを越える。右下は5円玉。
(2007年6月撮影)

このチャクダー用クラム、ホンビノスは今では東京湾の至る所に住みついている。多いところでは1m2あたりで100個体以上、10kgを越えることも珍しくない。面白いことに、アサリやシオフキなどの在来種とは生息環境が異なり、港湾や水路などの在来種が住めないような貧酸素化により底質の還元化が著しい海底を選んで(?)生活している。どうやって原産地の大西洋から持ち込まれたかは不明だが、バラスト水により持ち込まれたのではないかと推定されている。定期的に潜水調査をしている東京お台場の海底では、アサリはおろか酸欠に強いとされる在来のサルボウガイやゴカイの仲間でさえ死に絶える夏場の海底でも、ホンビノスはちゃんと生き残るほどの強者(つわもの)である。昨年(2009年)11月にオレゴン州ポートランドの学会で、東京湾のホンビノスは在来種であるアサリやシオフキなどが底質環境の劣化により住めないところを空き空間として利用することで高密度な外来個体群を形成している」という調査結果を、「New New England Clam Chowder in Tokyo Bay、江戸前新英国貝汁」と題して発表した。原産地のアメリカでもこの貝は水産資源として盛んに研究されている。会場で会ったこの貝の研究者は、「本場のアメリカでも貧酸素化の進行は水産資源の低下につながる環境問題であるが、この貝はそんな劣悪な環境下で逆に増えることから特異的な生態系サービス提供生物として注目している」と話し、東京湾でも同じ状態であることに大変な関心を示してくれた。

江戸前の再生に

東京湾でホンビノスが増えることをどのように評価するのか、水産資源的側面と生態学的側面とで立場が分かれ、きわめて悩ましい問題である。お台場産のホンビノスで作った「江戸前新英国貝汁」は当たり前だが本場物と同じようにおいしい。またそのまま炭火焼にしても、ちょっと固すぎる感はあるが風味は貝好きの日本人好みである。知人の日本の水産研究者から「ほかの魚介類が壊滅的な東京湾の状況の中でこの貝の出現は水産業にとっては朗報である」と聞かされた。事実首都圏ではこの貝はパック詰めされてスーパーで売られ、すでに生産と流通ルートが成立している。また先に述べたように、この貝の特徴として在来の貝が住めない劣悪な海底に住み着くことで、ほかの生物が使わない海底の有効利用をしていることも確かである。しかし、生態学的に見ると外来種は在来生物群集への人間活動によりもたらされた侵入者である。
生物多様性保全の面では、外来種の侵入は防止すべきである。なぜなら世界中の海が同じような生物の住処になってしまい、在来種により歴史的に作られてきた各地域固有の生態系の攪乱となるからだ。東京湾本来の水産二枚貝はアサリやハマグリ、バカガイ(あおやぎ)などである。江戸前のネタは目の前の東京湾から獲りたい。江戸前のNew England Clam Chowderをウォーターフロントでレインボーブリッジの夜景を楽しみながら白ワインとともに味わうのも一興だが、東京湾の環境を再生し、在来の二枚貝による本当の江戸前「深川丼」や「はまぐり弁当」を、屋台の暖簾の陰で海風を受けながら「あおやぎの小柱」をつまみに熱燗とともに堪能できる江戸前環境の再現を目指したい。それこそが生物のみならずその恵みによって育まれた食文化を守ることにつながるであろう。(了)

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