Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第228号(2010.02.05発行)

第228号(2010.02.05 発行)

皆既日食が小さな離島にもたらしたもの~鹿児島県十島村の取り組みを通して~

[KEYWORDS] 離島/皆既日食/地域振興
十島村長◆敷根忠昭

鹿児島県十島(としま)村は小規模な離島で構成された日本一長い村である。
極めて特殊な自治体でありながら、これまではその存在すらあまり知られていなかった。
しかし、昨年の皆既日食では世界の注目を集めた。
小さな離島は様々な課題を克服して観測者の受け入れを行い、そして皆既日食は島にいくつもの恩恵をもたらした。

十島村の特徴

十島村は、一番北にある口之島(写真)から一番南の有人島である宝島まで135km離れている。

平成21(2009)年は、国内でもあまり知られていなかった村にとって、一躍世界の注目を集めることになった歴史的な一年であった。
十島村(としまむら)は鹿児島県の屋久島と奄美大島の間に位置する、人口約620人の小さな自治体である。畜産を中心とした農業が主産業である本村には、三つの特徴がある。一つは、広大な海域に点在する7つの有人島と5つの無人島で構成される多島一村ということである。居住地域の距離が日本一長い村で、分散する島々に、多いところでも約140名、少ないところで約50名の住民が生活する。鹿児島と島を結ぶ唯一の交通手段である村営フェリーが週2往復し、生活物資を運んでいる。二つめは、村役場が行政区域内にないことである。役場は鹿児島市内に位置し、職員による現地確認という基本的な行為ですら2泊3日の船旅となる。三つめは、戦後、占領下に置かれていたにもかかわらず、奄美群島や小笠原諸島のような振興特別措置法がないことである。このため、生活環境の整備は遅れ、住民の所得は県内で最も低い状況が続いている。このように厳しい環境のもとではあるが、住民は美しい自然に囲まれ、穏やかに、しかしたくましく生活している。

2009年7月22日、皆既日食

皆既日食当日はあいにくの天気で、島では太陽が欠ける姿を見ることはできなかった。
皆既日食当日はあいにくの天気で、島では太陽が欠ける姿を見ることはできなかった。

「本村が世界に注目される出来事が起こる」とわれわれが認識したのは、村営中之島天文台長がオーストラリア皆既日食観測の報告を行った2003年であった。「2009年7月22日には十島村で皆既日食が観測できる。しかも皆既の継続時間は今世紀最長となる」と聞いたわれわれは、「村をアピールする絶好のチャンスだ。ぜひ観光振興に繋げよう」と庁内に対策会議を設け、協議を始めた。しかし、まもなく自分たちの考えの甘さに気づかされた。「観光振興どころではない。大変なことになる」。2006年にアフリカ北部等で観測された皆既日食では、エジプトのサラームという町に7万人の観測者が集まったという。そんなに大勢の人が村に押し寄せたら、大パニックになりかねない。なぜなら・・・島内にはホテルがない。各島に数軒の民宿だけで、宿泊できるのは全体で300名に満たない。島内にはレストランや食堂がない。へき地診療所に看護師はいるが、常駐する医師はいない。発電施設や給水施設は規模が小さく、住民の需要をまかなう程度の電力や水しか供給できない。村に駐在する一人の警察官が7つの有人島の治安を守っている。
十島村は周りを海に囲まれている。村営フェリーは定員が約200名で週2便の運航とはいえ、ヨットなどを利用すれば島に入ることはできる。また、時間に余裕がある人は事前に村営フェリーで島に入ることもできる。何らかの対策をとらなければ、真夏の暑い中、小さな島に大勢の人があふれ大混乱に陥ってしまう。しかし、世界が注目する皆既日食である。少しでも多くの方に島で観測していただきたい。
このことから村では、(1)住民生活を守る(2)自然環境を守る(3)観測者の安全を確保する(4)観測者が滞在するために必要なテント、水、食事等は受益者負担とする、という4つの基本原則を立て、準備を始めた。近畿日本ツーリスト株式会社と観測者受け入れのための業務委託協定を結び、同社担当者と役場職員が何度も島を訪れ、現地調査を行い、住民と協議を重ねた。と同時に多方面の関係機関にもたびたび足を運び、協力を求めた。
その結果、学校の体育館やグラウンドも宿泊施設として利用する/食材や調理師を確保し島の公民館等を臨時のレストランとする/赤十字病院や鹿児島大学から医師を派遣してもらう/電力会社の施設増強とともに移動用電源を持ち込む/ペットボトル飲料水を確保する/県警から各島に警察官を派遣してもらう、などの受け入れ体制を整えていくことができた。観測者の受け入れは1,500人に限定し、希望者の受付窓口は近畿日本ツーリストに一本化した。ヨットなどによる個人的な入島は遠慮してもらうよう周知徹底を図った。海の安全確保では、本村海域を所管する第十管区海上保安本部が「2009年皆既日食海上警備・安全対策本部」を設置し、事前の訓練に加え、当日前後には相当数の巡視船を配備し、海上保安に努めていただいた。
こうした取り組みにより、観測者の受け入れは大きなトラブルもなく遂行することができた。皆既日食当日はあいにくの天気で、太陽が欠けていく姿を見ることはできなかったが、日食が進むにつれ気温が下がり、皆既の時には神秘的な暗闇が島を包んだ。

皆既日食の恩恵

皆既日食に向けて立てた4つの基本原則は概ね守ることができた。それに加え、いくつかの恩恵を皆既日食はもたらしてくれた。一つは本村の知名度向上である。皆既日食の2年ほど前からメディアに取り上げられる機会が増え、当日はNHKと民放5系列局が悪石島から生中継を行った。これらのおかげで本村の名前が広く知られるようになった。二つめは、島内の生活基盤整備が進んだことである。観測者の受け入れに必要な環境整備は受益者負担で行うことを基本としていたが、住民生活の利便性向上や、観測者の快適性、安全性につながる基盤整備には、県の補助も受けながら村としても投資を行った。この結果、浄化槽整備、道路整備などが進み、また、電話・電力会社による設備の強化もなされた。三つめは、今回の取り組みを通して島内に一体感が芽生え、住民が自信を持ったことである。今回は7つの島で同時に観測者を受け入れたため、派遣する職員は分散され、各島1~2名ずつの配置となった。このため、観測者との交流会などは、住民が中心となって準備を行った。交流会はいずれも盛況で、多くの観測者に満足していただくことができた。四つめは、これからの村の地域振興を図る上で大切な役場と住民の協力体制の足がかりができたことである。役場が行政区域内にないことなどから、本村には職員と住民の連携が必ずしも円滑に進まないという課題があった。今回は各島を担当する職員を決め、その者が何度も島に足を運び、住民と協議しながら準備を進めた。このことにより住民の信頼も生まれたようで、ある職員は「住民から『これからも頼むよ』と声をかけられた」とうれしそうに語っていた。
われわれは、観測者受け入れに向けて山積する課題と格闘しながら、皆既日食効果を一過性のものとせず、その後につなげたいと考えていた。そして今、皆既日食が与えてくれた財産をもとに、村の地域振興に取り組み始めている。それがどのような形で実を結ぶのか、皆既日食のダイヤモンドリングのような輝きを持った成果を導き出すことができるのか、十島村にとって重要な1年が始まった。楽しみである。(了)

第228号(2010.02.05発行)のその他の記事

ページトップ