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オーシャンニューズレター

第224号(2009.12.05発行)

第224号(2009.12.05 発行)

海事労働条約について

[KEYWORDS] 海事労働条約/船員労働環境/国際的労働基準
(社)日本船長協会 副会長◆赤塚宏一

海事労働条約ほどその発効が待たれる条約はない。
それは船員労働環境の改善であり、海上安全の確立、海洋環境のより良い保護、そして海運にとっては国際基準に則った雇用条件による公正・適切な競争の場が整備されることを意味するからである。

はじめに

2006年ジュネーヴにおいて画期的な条約が採択された。それはILO(国際労働機関)の海事労働条約である。この条約は1919年のILO創立以来の船員労働関係条約および勧告をすべて見直し、整理・統合し現代の船舶運航の実態と船員の労働環境に即したグローバリゼーションに相応しい国際的な労働基準を確立する条約である。
海難事故の原因はその80%以上がヒューマンファクターとされているが、そのヒューマンファクターの背景をなす船員の労働環境の改善を目的とするこの条約により海上交通安全の確立、より良い海洋環境の保護が期待される。

船員労働基準の全面的な見直し

船員の労働環境の改善のため、海事労働条約の発効が待たれる。
船員の労働環境の改善のため、海事労働条約の発効が待たれる。

これまでにILOにおいて船員の労働基準に関する条約や議定書、勧告は約60本ほど策定されたが、それらの中には蒸気船がはしっていた時代の規則もあり現代の船員労働実態に合わぬものも多い。ILOの条約の中には宣言的条約と呼ばれ、条約の内容があるべき労働環境を示すもので必ずしも締約国に義務を課すものでなく、実効力に乏しいものもある。また、船員労働関係の条約・勧告を採択する海事総会は10年に1回程度開催されるが、これまでは条約を採択することに意義を見出し、その条約を真に実効性のあるものに育て上げる意欲に欠けることがあった。このため多くの条約が批准されないか、または発効しても国際的な労働基準とはなり得なかった。

国際的労働基準の確立

この海事労働条約は500総トン数以上のすべての船舶に海事労働証書と海事労働適合申告書の保持を義務付け、旗国に厳格な検査の上それらの証書を発給する義務を課し、また寄港国には必要に応じ検査を行なう権利を付与している。またNo more favorable treatment(国際航行船舶への差別なき適用)の概念を導入し、条約の未批准国の船舶が、条約批准国の船舶より有利な待遇を受けてはならない、つまり批准国は寄港国検査を批准国のみならず、未批准国の船舶にも同様な基準で実施することができる。これによって全ての船舶がEqual footing、すなわち公正な労働環境・雇用条件という立場で国際競争を行なう環境を整備する。

実質的同等性

海事労働条約はできる限り多数の国が批准できるように、条約の規定に替わる実質的に同等な措置の有効性を承認している。これはILOにおいて導入されたSubstantially Equivalent(実質的同等性)という考え方で、加盟国が条約の文言どおりに実施できない場合でも、国内法の規定が当該条文の一般的目標の達成に十分に有効だと判断される場合に適用される。こうした柔軟性を与えることにより、多数の国内法の改正の手間を省き、また途上国などの批准を促進するものである。

船員の労働時間

労働時間は、1日8時間を基礎として時間外労働を含めて最長24時間につき14時間、7日間で72時間まで、あるいは最短休息時間を24時間につき10時間、7日間につき77時間を下回らないものとすると規定されている。このように陸上労働と比較して格段に厳しい労働時間が容認されたのは、海上における労働の特殊性が認識されたことに他ならない。事実船内の労働環境は厳しいものがある。昼夜を分かたず運航する船舶は24時間の航海当直が必要である。航海当直は通常3名の航海士と甲板員により4時間交代、1日8時間の当直で行なわれるが、航海士は当直に止まらず、船内管理や保守のための多くの業務がある。入出港ともなれば航海士全員が配置に着き、また停泊中の貨物の揚げ降ろし、いわゆる荷役の監督も重要な作業である。
航海士が3名乗船している船舶では、船長は通常航海当直に立たないが、狭水道や入出港時、あるいは荒天の際には船長自らが船橋にあって指揮しなければならない。そして船内の管理、乗組員の考課を含む人事管理、さらに入港すれば港湾関係者、官憲との応対、船社、荷主との打合せ、寄港国検査を始めとする各種の検査の立会い、関係書類作成などなど文字通り息を付く暇もない。
この労働時間規制が航海士を始めとする当直者に適用されるのは、当然のことであるが、船長にも適用することには異論がある。自らが当直を行なう船長は別として、3名の航海士が配置されている船舶においては、船長を適用除外すべきと考えている。
その理由は貴重な生命と莫大な財産を預かる一船の最高責任者である船長がその責任を果たすためには、労働時間規制に縛られず自律的に職務を遂行することは絶対必要な要件である。どんな些細な事柄であっても、船長が船舶の安全運航や海洋環境の保護に対して不安を感じたならすぐさま徹底的に究明するのが船長の責任であり義務である。
労働時間の規制を船長にも課すか否かについては条約採択会議において激しい議論があり、結果的には適用となったのであるが、幸い日本国政府はILO事務局見解を拠り所に国内の労使協定により船長に対して適用除外とする方針である。
欧州近海においては2直制、すなわち航海士2名が6時間交代、1日12時間の当直で運航している例が見受けられる。小型船にあっては船長を含めて、2名で運航しているケースすらある。このため疲労が原因で乗揚げや衝突事故が後を絶たない。こうした事態に欧州各国はILO条約の厳格な適用を求めており、この条約発効の暁には厳格な寄港国検査が行なわれるであろう。
わが国が船長を労働時間規制の適用除外とするためには労使協定における厳格な手続きと制度的な担保が絶対必要である。これは予想される長時間労働に対する十分な代償的保護措置であり、労使協定において現役の船長の意見が適切に反映されなければならない。

条約の発効

発効要件の一つである批准国の商船船腹量の総量はパナマなどの大手の便宜置籍国が批准したため既に満足している。他の要件である30カ国以上の加盟国の批准は2010年末までには欧州連合27カ国が批准手続きを終えると予想されることから、その1年後の2011年末に発効するものと思われる。日本国政府も2011年始めに批准の手続きを開始するであろう。(了)

本誌154号「海運のヒューマンインフラ新時代~ILO海事労働条約の採択~」村上玉樹著も参照下さい。

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  • 編集後記 ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科教授・研究科長)◆山形俊男

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