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オーシャンニューズレター

第222号(2009.11.05発行)

第222号(2009.11.05 発行)

海から見直す日本の歴史 -「寧波プロジェクト」がめざしたもの

[KEYWORDS] 寧波/東アジア/海域
東京大学大学院人文社会系研究科准教授◆小島 毅(つよし)

遣唐使の廃絶から近代的国際関係が成立するまでのおよそ一千年間における、東アジアの交流を日本文化形成という視点から捉えなおす総合的・学際的な共同研究、「にんぷろ(寧波プロジェクト)」を紹介する。

プロジェクト発足の経緯

日本が古来、中国大陸・朝鮮半島の文明を摂取してきたことはあらためて言うまでもない。弥生文化の伝来、卑弥呼の邪馬台国、倭の五王、飛鳥文化、そして遣隋使・遣唐使......。
ところが、894年のいわゆる遣唐使廃絶以降、日本の政治や文化は日本列島内部で完結してきたかのように思われてはいないだろうか?
遣唐使廃絶は大陸との往来の途絶を意味するものではない。商船の往来はその後も続いたし、室町時代には幕府から遣明船が派遣されている。こうした時期についても歴史的に日本をアジアのなかに位置づけ直す作業が、特にこの20年来著しい進捗を見せている。大陸と日本列島とを行き来するには、飛行機が発明される以前は船を用いて海上を渡らざるをえなかった。日本に流入した大陸文明はすべて海を通じてもたらされたものなのである。
私たちは、如上の交流史をテーマとした共同研究を2004年に文科省科学研究費補助金の特定領域研究計画として策定申請し、幸い翌年7月に採択された。申請には、歴史学をはじめ宗教・文学・思想・美術など人文諸学のほか、理学・工学・医学など自然科学系の研究者も加わり、総勢150名近くが名を連ねた。これが正式名称「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成―寧波を焦点とする学際的創生」、略して「寧波(ニンポー)プロジェクト」である。さらにそれを縮めた「にんぷろ」というのが、このプロジェクトの愛称としていつしか流通するようになった。

海域への着目

私たちが「地域」ではなく「海域」という語を用いたのは、海という、隔てる作用とつなぐ作用を同時に果たす媒介物の特質に留意したいからであった。海には政治権力が人為的に街道整備を施すまでもなく、航路が(自然の海流や季節風を利用し、あるいはそれらに妨げられながら)存在している。
東アジアの歴史叙述の伝統においては、その起源となった中国の漢王朝が典型的な陸の帝国だったこともあり、海への視点を欠いていた。海は帝国の内部(文明圏)と外部(未開・野蛮な地域)とを隔てるものであり、ある国が海を越えてわざわざ使節を派遣してくると、それは中国皇帝の威徳を表すものとして、史書に特記された。卑弥呼や倭の五王、あるいは遣隋使が中国の史書に記録されているのもそのためである。日本の史書も『日本書紀』以来、海を国境とみなし、日本列島を所与で一体のものとして描いてきた。しかし、それは日本の中央政府の視点にすぎないのであって、列島各地の沿海部、良好な港湾を抱えている地域では、それぞれなりの海の活用法があった。
にんぷろでは、従来の研究の蓄積をふまえてあらたな地平(もしくは「水平」)を開くために、遣唐使廃絶(894年)から日清戦争(1894年)までがちょうど一千年であるためこれを標榜し、この間の東アジアの海域交流を研究対象としてきた。個別具体的な事実の発見では、すでに多くの成果をあげることができた。本年度(2009年度)は研究最終年度であり、こうした個別成果のとりまとめや集約とともに、それらにもとづいてこの海域の特質、すなわち世界史の基礎モデルを提供している西ヨーロッパとは異なる文明的特質を総括し、それによるモデル構築作業などを進めている。
以下、そのうち2つを簡単に紹介しよう。
ひとつは「訓読」という問題。表音文字であるアルファベットとは異なり、東アジアの国際語は中国語の文言文、いわゆる漢文であった。そこでは異国の言語を必ずしも音声的に修得する必要はなく、訓読とか筆談というツールを活用する伝統がある。訓読は日本だけの現象ではなく、他の東アジア諸国でも類似のものをもっている。それらとの比較と一般化によって、西洋とは異質な交流のありかたが見えてくることだろう。
もうひとつは環境。フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルの『地中海』という本の画期性として、環境への注目が言われている。地中海という特徴ある地理的要因が、ほかならぬ16世紀のこの地域の歴史を規定した。世界中どこも同じ歴史を歩むとするある種の歴史観とは異なって、地中海沿海部の歴史を特殊な一つの事例として捉え直す観点である。そうした観点から見た場合、東アジアは地中海とどう異なるか。そして、それらを止揚した高みに登ることで、私たちは真の普遍モデルを構築できると信じている。
このほかにも、五山文化(東山文化を含む室町時代禅林で受容発達した文化の総体)の歴史的意義や、港湾都市相互の関係(国家間の交流とは別の、独自のネットワーク)の重視など、海が橋渡しした文化交流を扱って、日本の歴史を多面的に見直すための種を蒔く作業を進めている。

寧波、その過去と未来

特別展 聖地寧波 日本仏教1300年の源流
特別展 聖地寧波 日本仏教1300年の源流
~すべてはここからやって来た~(会期終了)

最後に、プロジェクトの略称に使っている寧波について。寧波は中国の港湾都市で、日本への窓口であった。遣唐使時代以来、日本仏教にとっての聖地でもあった。長安や北京ではなく、ここに焦点を合わせることで、中国からの文化流入の具体的様相を解明しようというのが私たちの趣旨である。今年(2009年)夏には奈良国立博物館で特別展「聖地寧波」が開催され(右写真参照)、私たちもこれに協力した。この展示や私たちの成果公表によって、日本で寧波の知名度があがり、その重要性(それは単に過去のものではなく、近未来のものでもある)が再認識されることを願ってやまない。
なお、過去および今後の活動状況概要は、「にんぷろ」とネット検索して私たちのホームページにアクセスして閲覧できる。それらをまとめて印刷した報告冊子「青波」(現時点で5号まで刊行)をご希望の向きは、同ホームページ記載のメールアドレスにご一報ください。(了)

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