Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第212号(2009.06.05発行)

第212号(2009.06.05 発行)

人は何度も新しい海と出会う

[KEYWORDS] 海の科学/豊かな海/生態系
科学ジャーナリスト◆瀧澤美奈子

海をめぐってさまざまな問題やテーマがある。
これは海が物理的に広いうえ、たくさんの役割を持つからにほかならない。
だからこそ共通認識の基盤として科学の果たす役割が大きい。
海の科学を知ることがどんなに意味があって楽しいか、それを伝えるのが私の役割である。

はじめに

海の面積は広大で、浅海から深海までのバリエーションがある。そのため、海はじつにさまざまな顔を持っている。不思議なのは、はるか数十億年前、地球上に誕生した時に海は巨大な水たまりに過ぎなかったはずなのに、現在の海はそれよりずっと自律的な役割を果たしているということだ。
目に見えないほど小さなプランクトンから地球上最大の生物までの壮大な命の輪をつなぐ海。良質のタンパク源を私たちに与えてくれる海。地球の寒暖を穏やかにし、気候変動と密接に関係する海。生物ポンプの働きで炭素を海底に運ぶ海。世界中の貿易船が行き交う海。海底資源が眠る海。国と国とが接する海。人間が排出するさまざまな廃棄物の終着点となる海。そして、人々が憩う海。
海をめぐってさまざまな問題やテーマがあるのは、海がこのような多面性を持つからにほかならない。だからこそ共通認識の基盤として科学の果たす役割が大きいと思う。

人の近くの「豊かな海」を考える

カナベラル国定海浜公園の広大な敷地の中には様々な水鳥、白頭ワシ、ワニなども棲んでいる。
カナベラル国定海浜公園の広大な敷地の中には様々な水鳥、白頭ワシ、ワニなども棲んでいる。

ケネディ宇宙センターの施設入り口。
ケネディ宇宙センターの施設入り口。

ココビーチより大西洋を望む。誰かが作っていった砂浜の構造物も、数時間後には崩れ去っていた。(写真3点とも、筆者撮影)
ココビーチより大西洋を望む。誰かが作っていった砂浜の構造物も、数時間後には崩れ去っていた。(写真3点とも、筆者撮影)

たとえば、人が活発に経済活動を行っている沿岸で「豊かな海」の状態を保つにはどうしたらいいのかという問題がある。
豊かな海とはどんな海か、まずこれを明らかにするのが科学の役目である。ヘドロがたまっていたり臭いがするような海は明らかに除外されるが、かといって単に水質が清浄なだけの海の生態系はもろく、赤潮発生などプランクトンの異常繁殖が起きやすい。漁獲量も少ない。
そうではなくて、藻場や干潟など、食物連鎖の基礎となる舞台装置があり、そこに多種多様な役者である生物が永続的に生きている状態こそが安定した豊かな海である。最近の研究者の考えとして、海洋政策研究財団の「海の健康診断」にも示されている。この概念が優れていると思うのは、自然保護に資するだけでなく、海を違った立場で利用する多くの人にとって、その存在価値を高める動機づけになるということだ。
残念ながら筆者の身近な場所にはこの条件を満たす海は少なく、増えることを渇望するばかりだが、以前訪れた場所で予想外に素敵な海に出会ったことがある。旅人がいかに海を感じたかということで少し紹介してみたい。
それはスペースシャトル打ち上げの取材で訪れた、米国フロリダ州のケネディ宇宙センターの周辺である。シャトルを格納する巨大な構造物の前景として、白ペリカン、褐色ペリカン、フラミンゴ、白頭ワシ、ワニなどがふつうに暮らしているのを目のあたりにし、圧倒された。
宇宙への玄関口は、大西洋に面するカナベラル国定海浜公園※1に隣接している。ケネディ宇宙センターは東京23区の9割ほどの面積があるが、じつは発射台も含めてその敷地のほとんどが鳥獣保護区に指定されている。オーデュボン協会※2のフィールドガイドによれば、この鳥獣保護区と海浜公園の中で310種以上の鳥が確認されていて、冬には10万羽以上の渡り鳥がやってくる。その鳥たちに豊富な食べ物と寝床を提供するのが、1,050種にもおよぶ植物が生い茂る、遠浅の海なのだ。
スペースシャトル打ち上げの翌朝、ココビーチのホテルでは小鳥の美しいさえずりで目が覚めた。テラスに黒い影がよぎったので見上げると、頭上近くをペリカンが編隊を組んで飛んでいた。まるで町全体がサファリパークのようだった。
そして、砂浜は海鳥たちのナッツ・バーである。彼らが細いくちばしでついばんでいたサクラの花びらのようなコチョウナミノコ貝(微小貝の一種)が、大西洋の波が打ち寄せるたびに砂浜をキラキラと転がった。

科学をとおして海の魅力を伝えること

誰しも魅力的な海との出会いを何度か経験していると思うが、海の内部もまた驚きの世界だ。ついでにもう一つ筆者の体験を書かせていただく。
数年前、オーバーホールを終えた「しんかい6500」の試験潜航で、相模湾の海底を訪れる幸運に恵まれた。見るものすべてに興奮したが、とくに海底から浮上する潜水船の窓から、暗闇に目をこらしたときの光景が忘れられない。潜水船にぶつかったプランクトンが激しく砕け散り、淡く青白い光のしぶきになって幻の滝のように滔々と深海に流れ落ちていたのだ。海水は命の息づくゼリーだった。
あれ以来、海面を見ると、その下に素晴らしいものを隠していると思うようになった。まるで背表紙に題名が書かれていない本がずらりと並ぶ本棚のように、海は私たちが手にとって読み解くのを待っているのではないかと。
海流に乗って目の前を流れる水塊は、紫式部が源氏物語を書き上げたころから千年単位の時間をかけて世界の深海をぐるりと旅してきた水をふくんでいる。これに象徴されるように、人は一生をかけても海の営みのほんの一部分にしか立ち会うことができない。だからこそ、科学の知識が複雑な問題を正しい解決の方向に導く基盤となる。それを伝えること。このあたりに筆者のような者の存在価値が、少しはあるのではないかと思う。(了)

※2  オーデュボン協会(National Audubon Society)=1905年に鳥類学者J.J.Audubon の功績を記念に設立された米国の自然保護団体。

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