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第183号(2008.03.20発行)

第183号(2008.03.20 発行)

船舶の安全環境規制を巡る動向 ~国際海事機関(IMO)におけるパワーバランスを考える~

国土交通省海事局安全基準課長◆安藤 昇

タンカーの油流出事故対策としてのダブルハルの導入につづき、IMOによる船舶の安全環境規制の強化が相次いでいる。しかし、こうした規制強化の案件の中には科学的な検討や実態への配慮が不十分なままで、まとめられたものも少なからずある。
わが国の海運・造船業にとって不利な決定がなされないよう、わが国もIMOの審議動向を理解するとともに、IMOにおけるパワーバランス、すなわち意志決定の力学を把握した上での対応が重要となる。

1.最近のIMO安全環境規制の動向と背景

テムズ河のほとりに立つIMO
テムズ河のほとりに立つIMO

船舶の安全環境に関する規制や基準は、国連の専門機関の一つである国際海事機関(IMO)で審議され、条約や決議等の形で国際共通ルールとしてまとめられ、各国で実施されている。遡ればタイタニック号事故対策に辿り着くこの枠組みは、政府間の国際協調の草分け的な存在である。また、単に安全環境面の社会的規制であるだけでなく、世界単一市場で事業を営む海事産業にとって、高価な資本財である船舶の構造設備や運航方法に関する基本要件は、市場での平等な競争条件としても機能している。
最近のIMOでは、海運・造船等海事産業に大きな影響を与える規制強化が相次いでいる。タンカーの油流出事故対策として二重船体構造(ダブルハル)への切り替えや、エンジンの排ガス規制の抜本的な強化などはその一例である。おそらく、近年の規制強化対応のコスト増は、相当の規模になると思われる。
この背景としては、海事産業に限らず産業界・国際社会全般に共通する傾向として、安全環境面や企業の社会的責任(CSR)に関する意識の高まり、あるいは国際基準・規格化を利用したマーケティング・産業戦略の拡大等が挙げられる。さらに、海事分野では、2000年前後に欧州近海で発生した大規模海難(エリカ号・プレステージ号事故等)を契機として海運業界や船級協会※への信頼が低下し、国際世論による規制強化への圧力が高まったことが大きい。加えて海運の好況によりコスト負担力が増加していること、また、今後予想される世界的な船員不足による運航管理面への不安等がこの動きを後押ししているとも考えられる。こうした安全環境規制強化の流れは、海事分野を含め国際社会全般において今後とも継続していく基調であることは間違いない。一方、こうした規制強化案件の中には事故発生直後の各国の国内世論や政治的圧力に押され、理念先行で科学的な検討や実態への配慮が不十分なままでまとめられたものも少なからずある。また、欧州等一部の地域のみに有利な新技術やビジネスモデルに依拠し、わが国やアジアの海事産業にとって不利となりうる改正案件も含まれるなど、懸念すべき状況も生じている。

2.IMOのパワーバランス

IMOのパワーバランス
IMOの会議では、審議の過程で議長の采配の下に大勢の意見がまとめられ、全会一致で物事が決まることが多い。しかしながら、関係国の利害が対立し、最後まで意見が一本化できない場合は、多数決で決定が下される。すなわち、いくら筋の通った意見を主張しても、多数派を形成できなければ意見の実現は望めない。IMOがマルチの外交交渉の場である限り当然のことではあるが、IMOの審議動向を理解するとともに、日本の意見を実現していくためには、IMOにおけるパワーバランス、すなわち意志決定の力学を把握した上での対応が重要となる。
船舶の安全環境面の基本条約である海上人命安全(SOLAS)条約や海洋汚染防止(MARPOL)条約の改正等は、関連小委員会での検討を経て海上安全委員会(MSC)または海洋環境保護委員会(MEPC)で審議、採択される。これら改正はすべてのIMO加盟国および海事産業全体に大きな影響を与える。
他方、規則改正そのものに及ぼす影響力については、地域別に見ると、欧州が元々の海運の伝統に加えてEU加盟国の拡大とその戦略的なIMO対応強化により発言力を増している。米国はその国力やメジャー等影響力の強い荷主等を背景に一定の地位を確保している。また、その国が抱えるバックグラウンドという観点で見ると、最近、環境問題で沿岸国の発言力が大きくなっており、欧米はこの立場で意見を述べることも多い。さらに、総じて海運国の力が強く、造船国の発言力は小さい。すなわち、アジア諸国は、海運・造船・船員供給等の分野で世界に冠たる産業規模を有するにもかかわらず、IMOにおいては、十分な存在感を示せていない。
MSC83の会議風景
MSC83の会議風景
具体的に、直近に開催された第83回MSC(MSC83)の参加国を見ると、全91カ国のうち、欧州32カ国、北米2カ国、中南米17カ国、アジア14カ国、アフリカ12カ国等となっている。ここで、欧州勢が最多であることに加え、全体の1/3を占めていることは注目に値する。SOLAS条約等の改正には、参加国等の2/3の賛成を必要とする。すなわち、逆に1/3の国の意見が集約できれば如何なる案件に対しても理論的には拒否権を行使することが可能となり、会議の流れをリードすることができる。欧州の発言力が大きい由であるが、さらにここから見えるのは、わが国意見の実現性を高めるためには、各国との連携、協調が極めて重要であるとの事実である。また、もう一つ注目すべき点として、非政府機関(NGO)の存在がある。MSC83には、オブザーバーとして36機関のNGOが参加していた。これらのほとんどは海運・メーカー・荷主等の国際業界団体であり、意志決定(票決)に参画することはできないものの意見や提案は自由に述べられる。実際、規制に関わる直接の利害関係者として会議の行方にも大きな影響を与えている。最近、大規模海難で失った信頼回復のため、船主系NGOが自ら規制強化を提案するケースが増えているが、この場合、被規制者自らが望むものとして、改正が拙速に採択される傾向にも繋がっている。また、これらNGOのほとんどは欧米に拠点を置く機関であり、アジアの産業界の意見が十分反映されていないこともこの傾向に拍車を掛けている。

3.今後のIMO対応

IMOの国際ルールが産業界に与える影響は看過できないものとなっており、わが国を始めアジア諸国はその海事産業の規模に見合うよう国際ルール作成に関与を深めるべきである。海事産業全般に力を有するアジア諸国のバランスの取れた知見は、船舶の安全環境面の向上に貢献できるものであり、その役割を適切に果たすためには、IMOにおけるパワーバランスを考慮した戦略的な対応が鍵となると思われる。(了)


※1 船級協会=船舶の保険価値等を評価・格付けするため、定められた規則に基づいて第三者的立場から船の検査・登録し、公表する非営利の技術団体。世界には50以上の船級協会が存在し、日本には、日本海事協会がある。

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