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オーシャンニューズレター

第152号(2006.12.05発行)

第152号(2006.12.5 発行)

味覚のカニ、上海ガニ

帝京平成大学現代ライフ学部教授◆武田正倫

味覚のカニと言えば、上海ガニ。
このカニの標準和名はチュウゴクモクズガニ、学名はEriocheir sinensisである。
朝鮮半島の分水嶺から西、中国北部の大河、湖に生息し、海に幼生を放つために降河する。
1910年代にドイツのエルベ川を中心に増殖し、
現在ではヨーロッパ各国の河川、カナダやアメリカの湖にまで広まっている。
日本でも2004年に東京湾で発見され、在来のモクズガニE. japonicaとの競合が心配されている。


よく知られた上海ガニという名はいわゆる流通名である。図鑑などで使われる標準和名はチュウゴクモクズガニで、漢字で記せば中国藻屑蟹。......藻屑とは、ちょっと気の毒な名前であるが、このカニ、これもよく知られているように、加熱後の色の鮮やかさも味のよさも、ついでに価格も天下逸品である。なかでも、9~11月に蘇州近郊の陽澄湖や無錫太湖で漁獲されるカニはブランド品とされる。大型個体でも甲幅6~8cmで、また歩脚が細長いため身肉は少ないが、卵巣のまったりとした味は何とも言えずおいしい。

昨年、環境省によって特定外来生物に指定されてからは店頭や街頭で見ることができなくなってしまったが、秋から冬にかけて、たこ糸でしばられた状態の生きているカニを中華料理店内で見ることができる。

このチュウゴクモクズガニ、その名の通り、中国原産であるが、現在ではヨーロッパ各地の河川に多産し、またカナダ、アメリカにも定着している。なかなかバイタリティのあるカニで、多くの国で活けガニの輸入規制が行われている。日本の河川にはまさにライバルのモクズガニが生息しており、もしチュウゴクモクズガニが意図的であれ非意図的であれ日本に入ってしまえば、生態的に競合する在来のモクズガニを駆逐してしまう可能性がある。2004年には東京湾で生きている個体が発見されたことから、今後の動向に注意する必要がある(Takeda & Koizumi, 2005, Bull.Natn.Sci.Mus., Tokyo, A, 31: 21-24)。

モクズガニvs. チュウゴクモクズガニ

日本産のモクズガニ Eriocheir japonica (de Haan)と中国産のチュウゴクモクズガニ E. sinensis (H. Milne Edwards)は基本的にはよく似ている。ともに、「カニらしいカニ」である。甲はやや丸みのある四角形で、甲面はあまり盛り上がっていないが、直接比較すればチュウゴクモクズガニの方が甲面のでこぼこが強い。明らかな相違は、1)日本産種では額の縁が波打っているだけなのに対して、中国産では明らかな4突起があること、2)日本産種では甲の前側縁が3歯であるのに対して、中国産では4歯あることである。長い歩脚や毛の生えたはさみをもつことなどは共通の特徴である。

日本産種は樺太から沖縄まで、また、朝鮮半島の分水嶺から東側の河川に分布している。一方、中国産種の本来の分布域は朝鮮半島の西側から中国各地、香港までであるが、1912年にドイツのエルベ川で発見されたのを初めとして (Panning, 1939, Smiths. Inst. Ann. Rep., 1938: 361-375)、現在では地中海沿岸から北ヨーロッパ各国に広く分布し、さらには1973年以来カナダとアメリカにまたがる5大湖のほか、ミシシッピ川のデルタ地域、サンフランシスコなどにも分布が広がっている※。

 
2004年11月に東京湾で採集されたチュウゴクモクズガニ。

日本産種が外国で記録されたことはないが、中国産種は貨物船のバラストタンクで運ばれただけでなく、食材として持ち込まれたカニが放たれて分布が広がった可能性が高い。いずれにしても、生命力が驚くほど強い。

1991年、中国科学院の戴愛云博士により、中国産種と日本産種の中間的特徴をもつという亜種Eriocheir japonicus hepuensis が記載された(Sci. Treat. Syst. Evol. Zool., 1: 61-71)。検索表の中でのみ簡単に述べられた記載、命名が分類学上有効かどうかの問題があったが、Guo et al. (1997, Raffles Bull. Zool., 45: 445-476) により詳しく再記載され、独立の種とされた。分布は中国南部福建省からベトナム国境近くまでで、結局、中国産種は北部のE. sinensis と南部のE. hepuensis に分けられることになった。

実は、日本でも以前から小笠原諸島産のモクズガニが明らかに大型であること、はさみの毛の生え方が違うことが指摘されていた。さらに、本州産の個体に比較して甲がやや横長であることや、甲の前側縁の第4歯が痕跡さえも認められないことなども考え合わせて、E.ogasawaraensis の名で新種記載された (Komai et al., 2005, Zootaxa, 1168: 1-20)。

なお、従来モクズガニ属 Eriocheir とされていたヒメモクズガニはNeoeriocheir 属に、ミナミモクズガニは Platyeriochier 属に移された(Ng et al., 1999, J. Crust. Biol., 19: 154-170)。

海から川へ、川から海へ

チュウゴクモクズガニは、日本産のモクズガニと同様、海に放たれたゾエア幼生が5回の脱皮を経てメガロパ幼生となって河口に戻ってくる。感潮域の上部まで遡って甲幅2mmほどの稚ガニに変態し、この場所にしばらく留まって体を淡水に慣らす。この間に数回の脱皮をして甲幅1cm弱になると淡水域に入り、さらに脱皮を繰り返しながら、次第に河川の中流域を目指す。2、3年で性的に成熟すると、繁殖のために川を降りる(通し回遊、そのうち特に繁殖のために川を降りる場合が降河回遊)。やはり河口域にしばらく留まり、体を海水に慣らしてから海に入って交尾、産卵を行う。

チュウゴクモクズガニは中国各地の大河を遡り、大きな湖にも生息している。しかし、幼生は淡水中では生きていけないこと、一度に数十万粒もの卵を産むこと(小卵多産型。淡水生活に適応するにしたがって大卵少産型になる)などから、降海しなければ繁殖することができないことは明らかである。小さな幼生が海で育つ間接発生型のチュウゴクモクズガニは、降海することなく大きな卵から稚ガニが孵化する、すなわち川のみで生息する直接発生型のサワガニ類とは繁殖戦略が異なる。モクズガニ、チュウゴクモクズガニなどのような通し回遊を行う動物にとっては、海への、また川への通り道である河口域の汚染と中流域の堰の建設が致命的であることは言うまでもない。

海から川・湖、そしてまた川から河口域を通って海へと、命は繋がっている。われわれが季節の味覚として享受しているカニたちは、海のみならず、湖や川、河口域の環境に大いに依存しているのである。そしてわれわれの人間活動も、生物移動や環境の変化という形で大いに影響を与えている。今後われわれは、海から川、川から海への広い視野をもって環境を考えなければ、この多様な地球の生態系を保存・維持していくことはできないということを季節の味覚、上海ガニが教えてくれる。(了)


※ Nepszy et al., 1973, J. Fish. Res. Board Canada, 30: 1909-1910; Cohen & Carlton, 1997, Pacif. Sci., 51: 1-11; Clark et al., 1998, J. Mar. Biol. Ass. U.K., 78: 1215-1221; Cabral & Costa, 1999, Crustaceana, 72: 55-58.

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