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オーシャンニューズレター

第151号(2006.11.20発行)

第151号(2006.11.20 発行)

インド洋が駆動する東アフリカ山岳地域の生物多様性

英国ヨーク大学 熱帯生態系力学ヨーク研究所シニアレクチャラー◆Rob Marchant

過去は現在を知る鍵であり未来の鍵である。
未来の気候変化のプロセスとその影響を理解するには、
過去における自然変動とその気候メカニズムをまず理解し、
これがどのように未来に投影されるかを明らかにすることが必要となる。
東アフリカ山岳地域の生物多様性は、過去における自然変動と
その気候メカニズムとの関係を知る上で重要な研究材料となっている。

生態系変化の背景

近年、気候変化とそれが地球、生態系、人類に及ぼす影響に意識が高まっている。気候変化は私たちの地球環境に影響を与えるだけでなく、科学研究の内容と重点分野、そして政策を更に決定づけるようになるだろう。だが、科学研究は、政策立案者に指針を与える一方で、解明する疑問以上に、疑問を生むことも少なくない。その良い例がインド洋にある。最近まで、インド洋のいかなる経年変動も太平洋のENSO(エルニーニョ・南方振動)現象と大規模海洋循環システムによるテレコネクション(遠隔地への影響)によるものと思われていた。しかし、実はそうではないことが明らかになったのである。海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センターの山形俊男教授、サジ・N.ハミード博士らの研究チームは1999年にインド洋にも太平洋のエルニーニョによく似た固有の気候現象、すなわちインド洋ダイポール(IOD)現象(図1)が存在することを明らかにした。IOD現象は、インド洋西部の異常に高い海面温度(SST)とインド洋東部の異常に低いSSTによって特徴づけられる、インド洋固有の大気海洋モードである。インド洋に隣接する陸域のかなりの降雨量がインド洋起源であることから、IOD現象に関係する異常なSSTが東アフリカの気候に顕著な影響を与えると考えるのは自然である。実際、1997年のIOD「イベント」が、同年にケニヤで起こった大洪水の主因であった。

■図1 インド洋ダイポール(IOD)現象
(左)負のIODは、正のIODの逆で、オーストラリア、インドネシア、日本の対流活動が活発化する。
(画像データ:海洋研究開発機構地球環境フロンテイア研究センターのA. Suryachandra Rao氏のご厚意による)
 
(右)発生時の異常海面水温(SST)によって特徴づけられる正のIOD(赤は高温、青は低温)。白いパッチは対流活動の活発化、矢印は風向きを示している。

IOD現象とその特徴が明らかになった現在、次のステップは時の経過とともにIODがどのように変化するのかを調べることである。過去千年を見ても、熱帯性気候の比較的激変しやすい傾向は、地球史研究の最も驚くべき成果の一つになっている。特に、極地氷床の衰退によって高緯度地方との気候関係がかなり希薄になっているので、熱帯は気候変化に対する早期警戒システムとなる可能性がある。地球温暖化が未来の地球に与えうる影響については、これまで多くの論争が繰り広げられてきたが、純粋に学究的関心に基づく議論ではないことが次第に明らかになりつつある。IOD現象に関する比較的新しい知見が示すとおり、このような影響が将来においていつ、どこで、どのように顕れるのかを問われると、答えるのが難しい。この難しさは、地球の環境システムが複雑なことに根ざしているが、われわれが未来を旅することができないからだともいえよう。
しかし、未来の気候変化のプロセスとその影響を理解する糸口がある。それは過去において気候および生態系がどのように変化してきたのかを知ることである。過去は現在を知る鍵であり、未来の鍵でもある。過去を理解すればこそ、現在を理解することができて、さらには、この成果を未来のシナリオ(「もし地球全体の温度が2℃上昇したら、IOD現象はどのように起きるだろうか」など)に投影することができる。したがって、あらゆる自然変動とその気候メカニズムをまず理解し、ついでこれがどのように未来に投影されるかを明らかにすること、その上で経済学者、農学者、保全生物学者、政策立案者による検討を促して、効果的な長期管理戦略を策定することが必要なのだ。

■ 図2 東アーク山脈の景色
生物多様性と環境変化の影響の研究にうってつけの自然の研究室。地図内の赤い部分が、東アーク山脈の森林地帯。

東アフリカ山岳地域の高度な生物多様性

豊かな動植物多様性と美しい景観で有名な東アーク山脈(Eastern Arc Mountains)は、タンザニアおよびケニヤ両国に水と農産物、電力、観光収入をもたらし、国の宝としての認識が高まっている(図2)。東アーク山脈という呼び名は、20年ほど前にジョン・ラベット博士(Dr. Jon Lovett)が、充実した生物多様性と多数の固有動植物を考慮して付けたものである。東アークには生物学上の富の宝庫という意味合いも込めてあり、弧を描く山脈の形状も反映されている(ケニヤのタイタ・ヒルズ(Taita Hills)からタンザニア南西部のウズングワ(Udzungwa)にかけて広がるインド洋起源の水蒸気の貯蔵所(図2))。なぜ特定の生態系は、かくも多様の種を持ち、固有種も並外れて多いのだろうか? 過去の気候変化の下でそうした生物学上の財産をどうして維持できたのか? 山岳地域の生物多様性進化の基礎となるパターンやプロセスを理解するために、熱帯生態系力学ヨーク研究所(York Institute for Tropical Ecosystem Dynamics:KITE)※は、生態系力学、気候変化、人類の影響の関係を探求している。東アーク山脈の高度な生物多様性は、その地がインド洋起源の気候システムに接近していることで、地球規模の気候変化から山岳地域が受ける衝撃が緩和されている可能性がある。海洋研究開発機構との共同研究はIOD現象と東アフリカの生態系との関係を解き明かすであろう。

気候システムと生態系の関係を探るための「研究ツール」

過去に遡って植物群落を復元し、これに基づいて将来の状況を予測する研究ステップを示すチャート。
図上段は、過去の生態系の組成を明らかにすることを可能にする化石花粉粒や真菌胞子の一部

私たちの地球は環境変化をどのように反映するのだろうか? また、どう反応してきたのだろうか? これは植物を調べればよい。植物は周囲の環境が許すところで成長し、交配し、個体群を増やすしかないからである。

各種植物は、その成長を支え、開花、繁殖、結実、次世代成長を可能にする<環境エンベロープ>(温度、湿度、季節性、土壌の性質など)に包まれている。植物はそれぞれの環境エンベロープによる厳しい制約を受けるが、化石を残すので、環境変化の解明に有効である。堆積沈殿物として保存されている葉片、花粉(図3)、果実、種子など植物化石を含むアーカイブ(通常は湖または沼地の沈殿物)を入手することにより、過去の植物群落を復元することができる。こうして「断片的」に復元されたデータを放射性炭素年代測定法から得られる時間軸の中に位置づけるならば、ある地点の植物がどのように変化してきたのかが明らかになる。そこで、KITEの研究者は東アーク山脈(図2)の湿原沈殿物を入手して、過去の植物群落の復元に取り組んでいる。

気候システムと生態系の応答は複雑である。そのため、生態系力学(図3)に関する過去、現在、未来の全体像を統合する方法が必要である。特に、地点研究から広域研究へ、また過去、現在、未来の間を自在に移動して、社会経済学的予測を伝達し、政策策定の役に立つような方法の開発が急がれる。将来に起こりうる事態を評価するためには、研究課題(多くの場合、考古学、植物生態学、気候変化の地球物理学の境界領域で生ずる課題)に適したモデルを構築し、適用することが不可欠である。これまで英国の生態系に適用されたヨーク大学の生物気候学モデルは、東アーク山脈の研究においても使えるであろう。

このモデルは、一連の環境パラメーター(温度、二酸化炭素、降水量、標高、季節性など)に分かれる「染色体(chromosome)」から始まる。これは、所定の種の気候エンベロープが占める生態的最適地域の空間的範囲を特定するアルゴリズムを用いて「繁殖(breed)」することができる。モデル出力を、東アーク山脈のフィールド生態調査で得られる分布と比較照合することで、気候変化における陸上生物圏の役割について理解が深まる。違った気候のレジーム(たとえばIODの特質の変化)に生態系がどのように応答するか、逆に生態系および地表特質の変化がIODの形成やその後の振る舞いにどんな影響を与えるか、気候と植生モデルを構築する鍵は、海洋と陸上のプロセスを関連付けることができるかどうかにある。

熱帯生態系力学ヨーク研究所と海洋研究開発機構の協力は、気候変化に対する生態系の反応、安定状態の存在とその性質、遷移過程のシグナル、将来起こり得る事態を理解するために、考古学者、生態学者、気候学者、海洋学者、モデル構築者のスキルを統合する道を拓くことになろう。その成果は、モデルの検証、生物地理学的理論の構築、長期計画、保全生物学などで使われるであろう。これらは、不確かな未来の気候変化と強まる人類活動の影響のなかで、東アーク山脈にとどまらず、世界の他の地域でも特に重要な研究分野である。(了)


http://www.york.ac.uk/res/kite/
本稿の原文は、当財団のホームページでご覧いただけます。

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