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オーシャンニューズレター

第142号(2006.07.05発行)

第142号(2006.07.05 発行)

ウナギの謎は解き明かされたか?

東京大学海洋研究所教授◆塚本勝巳

昨年の6月、西マリアナ海嶺のスルガ海山の西で、
プレレプトセファルスとよばれる孵化2日目のウナギの仔魚が多数発見された。
これで長年のウナギ産卵場問題はほぼ決着したといってよいが、
ウナギの研究も深海底の研究もこれからが本当の始まりである。
海洋研究の実りある発展のためには、次世代を担う海洋学者の育成こそが重要になると考える。

ウナギ産卵場問題はほぼ決着したが......

■ 図1 ウナギ第二次産卵場調査航海(1973年12月)の集合写真。後列左から3番目が筆者。

古びた写真がある。1973年の第2次ウナギ産卵場調査航海の集合写真だ(図1)。最後列の端っこに小さく写っている自分を見つけるのに苦労するほど時は流れてしまっている。当時私は大学院の学生で、ウナギ研究とはまったく関わりはなかった。別の研究テーマをもち、航海のメインテーマのウナギ産卵場調査のお手伝いとして乗船していたのであった。台湾の東方海域で来る日も来る日も大きなプランクトンネットをひいた。全長が50mm前後の比較的大きなニホンウナギの仔魚(レプトセファルス幼生)が54尾とれた。それまでのニホンウナギ仔魚の採集記録はたった1尾であったから、この時の成果がいかに大きかったかわかる。中心となって航海を実施した写真中央の先生方は満足げであり、その直属の学生たちは誇らしげに胸をはっている。皆が、これでウナギの産卵場問題は解決したと思った。新聞はこぞって「ウナギの産卵場は台湾東方海域」と報道した。

しかしこの発見はその後の長い産卵場調査の幕開けに過ぎなかった。事実、1986年にはフィリピン東方海域で30mm台の仔魚が21尾、1988年と1990年は20mm台が28尾、そして1991年には10mm前後の仔魚がマリアナ諸島西方海域で約1,000尾採集された。より小さな仔魚が採れるに従い、産卵場の推定海域は南へ南へ、そして東へ東へと変更されていった。しかしその後は、これより小さな仔魚は10年以上調査してもまったく得られなかった。成長した大きな仔魚は、長期間海流で流されるので広い範囲に分散している。一方、産まれたばかりの卵や小さな仔魚は、産卵場近くにパッチと呼ばれる濃密な群がりとなって存在する。したがって大きな仔魚は適切な採集努力を払いさえすれば、少数ではあるが必ず採れる。しかし小さな仔魚はパッチに当たれば大量に採れるが、そもそもそれに当たるのが難しい。ゆえに10mm前後の仔魚の採集から数mmのプレレプトセファルスとよばれる孵化したての仔魚の発見まで、また長い年月がかかったのである。

昨年6月の新月の日、学術研究船「白鳳丸」(JAMSTEC)は、ついに西マリアナ海嶺のスルガ海山の西で、眼も口もまだできていない孵化後2日目のプレレプトセファルスを多数発見した。まだ卵は採集されていないが、これで長年のウナギ産卵場問題はほぼ決着したといってよい。この発見はテレビ、新聞、雑誌で大きく報道された。しかし、これは産卵場の位置が明らかになったに過ぎない。むしろこれからが本当の研究の始まりである。どのようなルートを通って産卵場にやってくるのか? ペア産卵か集団か? そもそもなぜ何千キロも離れた産卵場まで回遊しなくてはならないのか? 興味は尽きない。ジャーナリストがパブロ・ピカソに「あなたの数多くの作品の中で最高傑作はどれですか?」と尋ねたそうである。老齢の巨匠は即座に「ネクスト ワン!」と答えた。偉大な芸術家に重ね合わせるのは僭越だが、研究にも終わりというものはないのである。

ウナギ研究は学際的総合研究

私たちのウナギ研究はとかく産卵場探しの冒険や単なる海洋生物学上の一研究課題のように見られがちであるが、実は海洋科学の様々な分野にまたがる学際研究である。海洋生物学だけでなく、海洋物理学・化学・地学・水産・工学の各分野に横断的に展開された総合研究である。例えば、なぜウナギの産卵場がフィリピン海プレートの西マリアナ海嶺中の特定の海山であるのか? 北赤道海流で運ばれてきたウナギレプトセファルスはフィリピン沖のバイファケーション域を越え、どのようにして黒潮に乗り換えているのか? またこの乗り換えの成否はシラスの接岸量にどう影響するのか? あるいは、耳石中の微量元素分析や安定同位対比解析からウナギの変態過程や産卵水深を推定する、ポップアップタグと呼ばれる超小型のデータロガーを開発して親ウナギの回遊ルートと遊泳水深を探るなどの諸問題は、海洋科学の様々な分野の最先端の知識と技術を動員しなければ解けるものではない。

私たちの海洋研究所ではこのような海洋科学の様々な分野に横断的にまたがる学際研究が奨励されている。しかし、まだまだこうした分野の枠を超えた総合的海洋科学は十分には熟成していない。これをごく当たり前に実践する海洋学者を育てるには、教育の仕組みから見直さなければならない。学際性という言葉さえ意識せず、既成の学問領域を超えた新しい発想で縦横無尽に海洋を研究する若者が続々と出てきてほしいものである。

深海科学教育プログラムへの期待

■図2 深海科学教育プログラム(HADEEP)の組織ダイヤグラム。

幸いにも、海洋科学の学際性と総合性をさらに高めるための教育プログラムが今年度から立ち上がった(図2)。日本財団から支援を受けた「深海科学教育プログラム」(HADAL ENVIRONMENTAL SCIENCE EDUCATION PROGRAM、 略称HADEEP)である。様々な大学院に所属し、色々な学問分野を専攻としている学生たちに、深海科学というキーワードを中心にして横断的・総合的な海洋科学を学んでもらおうという新しい教育システムである。本プログラムでは、日英間の国際協力によって深海科学の教育と研究を進めることもその特長になっている。英国アバディーン大学のチームは長期観測ランダーの技術に優れ、協力することにより低コストで深海底の広い範囲に様々な深海研究が展開できる。この夏の白鳳丸航海では、実際にこのランダーを用いたウナギ産卵場調査と本プログラムの学生の乗船実習を計画している。また将来において、交換学生やサマースクールの実施も予定している。

深海底は地球最後のフロンティアである。海洋の大循環、気候変動などのグローバルプロセスにおいて重要な役割を果たしている。また同時に、鉱物、医薬、微生物、メタンハイドレートなどの豊かな資源を包含していて、人類の開発のターゲットとなっている。しかし、深海底の資源や生物地球化学的過程に関する私たちの理解は乏しい。私たちは今、深海底の総合的理解を早急に進める必要がある。それには、既成の学問ジャンルにとらわれず、柔軟に深海の研究を進めることのできる若手研究者を育てることがむしろ近道である。今年から始まった深海科学教育プログラム(HADEEP)から沢山の深海科学者が育つことを希望している。また個人的には、将来このプログラムから育った若者と一緒に、白鳳丸に乗ってマリアナ沖へ出かけることを秘かに夢見ているのである。(了)

●東京大学海洋研究所行動生態計測分野 http://www.fishecol.ori.u-tokyo.ac.jp/

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