Ocean Newsletter
第139号(2006.05.20発行)
- (財)日本鯨類研究所顧問◆大隅清治
- 日本海鳥グループ・元北海道海鳥センター友の会事務局◆佐藤美穂子
- 東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻教授◆黒倉壽
- ニューズレター編集委員会編集代表者(総合地球環境学研究所教授)◆秋道智彌
「ふだんの海」を見つめよう
日本海鳥グループ・元北海道海鳥センター友の会事務局◆佐藤美穂子サハリンで油田開発が行われているが、ひとたび油汚染事故が起きれば、海鳥のみならず、多くの野生生物に被害を及ぼすことは目に見えている。
万が一のとき、それらの被害をなるべく小さくするには、あらかじめどこにどんな生物が、いつ、どれだけいるのかを把握しておく必要がある。
北海道海鳥センター友の会は、道北沿岸での海岸海鳥漂着調査を継続して実施している。
油流失事故に備えて
「油汚染はいつか起きる ─」。ナホトカ号重油流出事故から9年が経ちましたが、北海道に住む私にとって、油事故はけっして他人事ではありません。隣国では日本の援助もあって油田開発が行われていますし、誰も事故を起こしたくないと思っていても、思わぬ形で起こるのが"事故"なのです。備えあれば憂いなし、といいますが、ひとたび事故が起きれば、海鳥のみならず、多くの野生生物に被害を及ぼすことは目に見えています。日ごろ、仲良くしている漁師さんや、海岸沿いでコンブ拾いをして生計を立てているあのおじいさん、被害で苦しむのは野生生物だけでなく、私たち自身でもあるのです。いつか起きたときにあわてるのでなく、いまから準備できることがいろいろとあるはず。そんな思いから、2006年3月、私たち北海道海鳥センター友の会は北海道留萌支庁等との共催で「油流出事故時における野生生物への対応」についてシミュレーションする講習会をおこないました。
GIS(地理情報システム)の活用
講習会の講師は、道立地質研究所の濱田誠一研究員です。北海道海岸環境情報図について、スライドを用いてわかりやすくお話しいただきました。濱田さんは、ナホトカ号の事故以後、GIS(地理情報システム)によるESIマップ(環境脆弱性指標地図)づくりに取り組んでいます。
ESIマップも、日本語に訳された環境脆弱性指標地図も、どちらもあまり馴染みがない言葉かもしれません。しかし、ひとたび事故が起きたとき、この地図は大活躍します。

沿岸に油が漂着しそうになったとき、全部守れるに越したことはありませんが、実際には優先順位をつけて守っていかなければなりません。また、海岸ごとに油を防ぐ方法が異なり、そのやり方を間違うと長期にわたって油が残存したり、逆効果になったりすることがあります。そうした情報を地理情報システムの上で一元管理したものが、ESIマップです。水産施設の位置や、主要な漁場、発電施設なども、GIS上で知ることができるようになっています。航空写真の読み取りや現地調査、関係者への聞き込みなど、濱田さんらの地道で大変なご努力によって、北海道内の海岸はA4サイズにして1,530枚の地図にまとめられており、ネット※から誰でもダウンロードして手に入れることができます。
ただ、現行のESIマップは、生物情報に関してはまだまだ少ないのが現状です。生態系への被害をなるべく小さくするためには、あらかじめどこにどんな生物が、いつ、どれだけいるのかをおおまかに把握しておく必要があります。異常時に対処するためには、海岸や海のふだんの状態を記録しておくことが大切なのです。
講習会では、「○○年7月10日、羽幌町天売(てうり)島の南東沖15kmのところで、タンカーが5,000キロリットルの油を流出させた」という仮定で、シミュレーションを行ってみました。濱田さんがESIマップを机いっぱいに広げます。その時期、天売島では8種類の海鳥が子育ての真っ最中です。種の保存法に指定されているウミガラス、レッドデータで絶滅危惧種とされているウミスズメは、いずれも天売島が国内唯一の繁殖地です。ウトウは30万つがいがここで毎年子育てをし、世界最大のウトウ繁殖地でもあります。ESIマップには、天売島海鳥繁殖地は国指定鳥獣保護区であり、国の天然記念物であることが載せられています。
浮かび上がった問題点

しかし、実際にシミュレーションをしてみると、いくつかの問題点があがってきました。海鳥は繁殖期間中、ずっと繁殖地にとどまるわけではなく、食べ物を求めて周辺の海に出て行きます。繁殖地だけしか情報がなければ、海上に集結する群れに迫ってきた油から守ることができません。幸いなことに、北海道大学や北海道海鳥センターにより、天売島と羽幌町を結ぶ航路での海鳥分布や個体数がおおまかに把握されています。海鳥の繁殖期間中であれば、こうしたデータが重要な基礎資料となるでしょう。しかし、デジタル化されたデータは多くありません。米国の事例では、GPSと連動したPDAツールを用いて、海上に分布する海鳥や海棲哺乳類のデータを、すぐにGIS上で使える形に記録していくそうです。また、事故時には大きな音をだして油が広がってきそうな海域から鳥の追い出しにかかったりもするそうです。
ナホトカ号事故の時、米国の海鳥研究者から生態系被害推定の重要性について学び、調査法なども教わりました。北海道海鳥センターは1997年にオープンした環境省の施設ですが、同時に発足した私たち北海道海鳥センター友の会では、道北沿岸での海岸海鳥漂着調査(Beached Bird Survey)を継続して実施しています。1999年にウトウ大量死が起きた際には、私たちの基礎データが大いに役立ちました。欧米では広く行われているこの調査は、ふだんの状態を知ると同時に、いち早く油汚染を監視することにも役立っています。そして、"市民の科学(citizen science)"として多くのボランティアがかかわっており、漂着鳥マニュアル等も用意されています。
持続的な市民活動に向けて
数年前、私たちは『ショアウォッチ北海道』という、海岸に関するさまざまな情報を記録・蓄積することを目的とした、道内関係者のネットワークを立ち上げました。ダジャレ好きのOさん曰く、「ネーミングが悪くてショアショアと消えてしまった」このネットワークを、今こそあらためて始めたいと思っています。折しも、今年2月下旬から知床で大規模な海鳥の漂着が報告されました。3月上旬現在の死体回収だけで1,800羽を超え、海に沈んだものや別の場所に流されたもの、海岸でも回収できない場所のものを含めると、数千~数万羽の規模だと思われます。油そのものが漂着していないことから大騒ぎにはなっていないものの、海の生態系には少なからず影響を及ぼしていることでしょう。
日常の視点から海岸の現状や変化を見つめ、自然の変化を目に見える形にしていくことができれば、海はもっと身近なものになるかもしれません。(了)
※ 北海道海岸環境情報図は、以下の北海道立地質研究所のホームページよりダウンロードできます。http://www.gsh.pref.hokkaido.jp/map/shore1/index.html
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