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オーシャンニューズレター

第134号(2006.03.05発行)

第134号(2006.03.05 発行)

小さな町の未来への挑戦~全国豊かな海づくり大会の遺産~

岩手県大槌町長◆山崎三雄

平成9年に天皇皇后両陛下のご臨席のもとで開催された「全国豊かな海づくり大会」を機に、大槌町は変わり始めた。ただの行政まかせではなく、自らも積極的に取り組めばこの大きな催しだけでなく何でもやり遂げることができる、そんな意識が住民に芽生えた。住民を中心とした植樹活動も始まった。環境への関心の高まりとともに、大槌町は住民と行政との「協働」による新たな「まちづくり」に向かっている。

岩手県大槌町って?

地方の小さな町である。どのあたりに存在し、どんなことが起きているのか、分かる人はそう多くはいないであろう。それでも、全国的に話題となった出来事のいくつかはある。その一つが「吉里吉里国」である。この「吉里吉里国」は、独立国ブームの魁となった。「吉里吉里」はわが町の一地区である。そして同じく、井上ひさし氏の「ひょっこりひょうたん島」も、そのモデルとされる島が、大槌湾に浮遊している。しかし、どこへも動く様子がなし。 人口わずか1万7,000人。世の中が大合併の嵐に翻弄されているものの、町は独立独歩の道を進み始めている。

水産業で栄えた歴史

太平洋を擁したわが大槌町には、海と共に栄えてきた歴史がある。

中世から近世にかけて大槌町を統治した「大槌氏」。江戸に都が移り、人口が集中し始めると、それまで地元消費でしかなかった「鮭」を、塩蔵加工し江戸に送った。水産資源を経済流通させた三陸地方の先駆者である。この鮭、江戸において、「南部鼻曲がり鮭」の声価を得るも、この成功が妬まれ、南部氏の謀計により大槌氏は滅んだ。

江戸期、沿岸地方の漁業権を掌握し、前川善兵衛が活躍した。幾艘もの千石船で海産物などを江戸大坂に送った。江戸幕府の長崎俵物にも関わり、巨万の富を得るが、南部藩への上納などにより、江戸後期に衰退。大きな「うねり」に、またも押しつぶされてしまった。

前川氏の隆盛は、かの伊能忠敬が日記に記している。曰く「全国に南部の吉里吉里として名が知られている」というもの。先頃の調査で、前川家の文書に、伊能が推参した記録が発見された。

明治から昭和にかけ、日露戦争の勝利を得て北洋漁業が花形となり、いろいろな変遷を経ながらも、浜は豊かになっていった。突きん棒漁の最盛期には、松竹映画「二連銃の鬼」が製作され、ロケ地ともなった。しかしそれ以降は、200海里問題、北転船による漁業経営構造の変革など、全国の港町と同じような推移を見ている。

町の転機となった「全国豊かな海づくり大会」

平成9年10月。天皇皇后両陛下のご臨席のもと、「第17回全国豊かな海づくり大会」が大槌漁港で開催された。大会の趣旨には、水産資源の維持培養、海の環境保全の意識啓発、水産業の振興が謳われていた。

行政サイドとしては、住民の「大会への関心」を喚起する、そうした取り組みを推進しようとしたが、住民からの「自分たちにもなにか手伝わせて欲しい」「高校生もやれることはやりたい」、そんな声が日に日に大きくなっていった。それまでにも、住民と行政が一体となって様々な取り組みを行うことはあったが、この大会に向けては、それまでに経験したことのないような動きを見ることとなった。それは、徐々に高まりつつあった「環境」への関心が一気に飛躍し、住民と行政との「協働」が機能し始めたことである。まさにこの「環境」への行動が大きな運動となっていった。そして、こうした住民の自発的な行動こそが、大会の成功だと気づかされたのであった。

植樹活動と環境への関心の高まり

すでに北海道を始めとして、全国で広がり始めていた植樹活動。山関係者だけではなく、漁民が動き出した。漁協を中心として、傘下の中小の組織、漁協婦人部など。山は大漁旗で飾られ、浜のスタイルそのままの漁民が、鍬、スコップを手に、植樹を行った。大会後、この植樹活動は継続され続けている。ロータリークラブや各種団体、企業、小中学生も加わり大きな輪が広がっている。平成17年6月、岩手県植樹祭が「新山高原」で開催され、1,300人もの参加を得た。また、水産加工業者や漁民が中心となって「漁港を守る会」が結成され、これに地元住民も加わり、海岸清掃が定期的に行われている。

一方、環境への関心の高まりは、全国的にも稀少な「淡水型イトヨ」の存在を世に知らしめることになった。豊かな湧水に育まれ守られてきたイトヨ。神奈川県葉山にある「総合研究大学院大学」の共同研究にも取り上げられ、この研究会のメンバー、秋篠宮殿下のご来臨のもと「イトヨシンポジウム」も開催され、イトヨは環境保全のキースピーシーズ(鍵となる種)※として理解の深化に役だっている。

未来への挑戦

今まさに、地方分権の大きな「うねり」は、小さな町を飲み込んでしまいそうな勢いである。けれど、住民と行政が一体となった「協働」は、着実に新たな「まちづくり」に向かっている。なんでもかんでも「行政におんぶにだっこ」ではなく、自分ができることは自分でする、それがかなわなければ地域が一緒に行動する、それでも手に負えないところは、行政と一緒になって問題解決に取り組む、そんな意識が住民に浸透し、「まちづくり地域会議」も開催され、日々実践が行われている。

「自助」「共助」「公助」ということばは、ここにきて、「まちづくり」のキーワードになっていった。しかし、厳しい現実がそこにはある。旧来の行政運営という意識から行政経営という新しい手法に向けての、完全なる脱却が求められてもいる。住民も行政も、叡智を結集した一層の「まちづくり」推進が、今まさに希求されている。それは、未来への挑戦に他ならない。

山に植樹を行い、表土流出を防ぎ、川の浄化を助け、ひいては海の環境浄化に向けた取り組みは、環境保全への取り組みの時間軸からすると、まだ緒に就いたばかり。また、水産資源の維持培養に関する技術も飛躍的な進展を見せてもおり、漁業そのものの振興は、そう遠くない将来に確実な結果を生むものと考える。一方、社会保障制度や流通形態など、漁業を取り巻く諸課題も依然として山積したままでもある。けれども、先人が切り開いてきたこれまでの漁業の発展を思えば、経験と知恵を巧みに働かせることにより、これまでとは趣を異にする発展が期待されるものである。

また、終戦後の日米加による「オットセイ研究所」の成果を経て、赤浜地区にある東京大学海洋研究所は、その設置からすでに30年を経過した。これまでの調査研究成果は水産業振興に大きく貢献してきてもいる。

豊饒の海。進取の気概。卓越した経験と技能。すばらしい智の集積。そして蠢き続ける「協働」は、必ずや確かな未来へ繋がっていると信じる。その可能性は、眼前の太平洋を凌ぐほどだと、声を大にして言える。

小さな町。しかしながら、「小粒でもきらりと光るまち」がひと皮むけてのスタートとしたい。そのための挑戦である。(了)

※ キースピーシーズ=自らが生息する生態系を健全に保つ上で極めて重要な役割を担うかなめとなる種

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