Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第127号(2005.11.20発行)

第127号(2005.11.20 発行)

編集後記

ニューズレター編集委員会編集代表者(総合地球環境学研究所教授)◆秋道智彌

◆5年ほど前、京都の丹後半島で漁民の方々と集会をもったとき、マダイ種苗の放流事業を進めてきたが、自分たちよりも遠方からやってくる釣り人のほうがたくさん漁獲をあげている。なんとかならないかという話を持ちかけられた。その場で答えに窮した私にとっても、本号で桜井政和氏が提起する問題は注目すべきと考えた。キーワードは入漁だ。

◆魚はだれのものか。海に泳ぐ魚の体に所有者の目印がついているわけではない。ふつうは「獲った人」のものとなる。とすれば、獲る前からだれが入漁できるか、だれがアクセスする権利をもつのかが問題となる。たとえば、日本の領海内で他国の漁船は操業することができない。できるとしてもふつうは入漁制度があり、お金を払うなりなにがしかの見返りが要求される。

◆それでは、おなじ国の人間であればだれでも入漁できるのか。この場合もいろいろな法的なしばりがあって、一概にはイエスとはいえない。日本では漁業協同組合の成員であれば、沿岸の共同漁業権漁場に入漁し、一定の規制のなかで貝・海藻を採捕できる。ところが、その沖合では自由に泳ぐ魚を獲るために他地域の漁船でも入漁することができる。これまでしばしば漁業紛争の火種となってきたのは、沖合における入漁の条件をめぐる問題であった。

◆では、楽しみとして魚を釣る人の入漁はどのように考えるべきか。釣り人にライセンス制なり、資源管理のための分担金を導入する考えは傾聴に値する。魚が無主物でありながら、種苗放流によって増加した分を管理し、漁獲する権利を当事者がどこまで主張できるのかも興味深い話題である。とはいえ、漁業者と遊漁者の関係は地域ごとに異なっている。漁業の活性化を目指す漁民と、ますます増加する匿名の個人や集団の遊漁者を相手に議論をまとめるのはたいへんな作業を伴うだろう。しかし、その壁を乗り超えて新しい海のルール作りに向けた各位の奮闘に期待したい。 (了)

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