Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第119号(2005.07.20発行)

第119号(2005.07.20 発行)

セレベス海域をめぐるネットワーク

政策研究大学院大学副学長◆白石 隆

2001年の9月11日同時テロ事件以来、セレベス海域が注目されるようになっている。
アル・カイダと連携するイスラム主義武闘組織ジャマア・イスラミアが築いた、北スラウェシからサギヘ・タラウッド諸島を経由してミンダナオに広がるテロリスト・ネットワーク。
国境を越えた、より大きな人的ネットワークの中に存在する彼らをいかに管理すべきか。

注目される海域

2001年の9月11日同時テロ事件以来、フィリピンのミンダナオとスル諸島、マレーシアのサバ、インドネシアの東カリマンタン、北スラウェシ、サギヘ・タラウッド諸島に囲まれたセレベス海域が注目されるようになっている。

アル・カイダと連携するインドネシアのイスラム主義武闘組織ジャマア・イスラミアが1990年代後半、ミンダナオを拠点とするモロ・イスラム解放戦線(MILF)と協定を結んでMILFのアブ・バカル基地に軍事訓練センターを設営し、そこでジャマア・イスラミアの活動家、さらにはインドネシアの他のイスラム主義武闘派活動家が軍事訓練を行ったためである。ではジャマア・イスラミアはどのようなネットワークを介して活動家をフィリピンのミンダナオに送り込み、武器弾薬をインドネシアに持ち込んだのか。そういうネットワークはどのような特徴をもっているのか。

国際的なテロリストの行動範囲

これを考える上でインターナショナル・クライシス・グループのジャマア・イスラミアについての一連の報告は大いに参考になる。

次のような事例がある。イスラム主義武闘組織の活動家をミンダナオに送り込むジャマア・イスラミアの指導者にウトモ・パムンカス、別名ムバロックという男がいた。彼は、ジャマア・イスラミアの創設者、アブドゥッラ・スンカルとアブ・バカル・バアシルが主宰したソロのングルキ(中ジャワ、インドネシア)のイスラム寄宿学校を1986年に卒業し、アフガニスタンで軍事訓練を受け、1990年代後半には北スラウェシのメナド(インドネシア)でジャマア・イスラミアの指導者となっていた。ムバロックは、1999~2001年、5回にわたってミンダナオのジェネラル・サントスからサギヘ・タラウッド諸島を経由して北スラウェシのメナドに武器を密輸入した。その際、彼が頼ったのは、サギヘ島のペタ村に住むサルジョノ・ガブリエルという漁師だった。サルジョノにはジャエラニという義理の兄がおり、この男は1973年、モロ民族解放戦線(MNLF)に参加して、1979年、サギヘ・タラウッド諸島で25人のフィリピン人とともに大量の武器弾薬の不法所持によって逮捕されたことがあった。サルジョノもおそらくこの頃から武器の密輸に関与していたのであろう。1997年、サルジョノは、フィリピン国籍を持ち、ジャマア・イスラミアの資金提供者としても知られるハジ・ビアルなる人物の訪問を受け、その後まもなく彼はムバロックの援助でモーターボートを購入、ムバロックの指令を受けて、ミンダナオにジャマア・イスラミア活動家を送り込み、またミンダナオから武器弾薬をメナドに持ち込むようになった。

■ セレベス海域

また別の例ではスルヤディという人物がいた。やはりジャマア・イスラミアの活動家で、1972年、南スラウェシのマカッサルの生まれ、1990年頃からマカッサルを拠点とするイスラム主義武闘団体で活動するようになり、1997年4月、他の4人とともに、アブ・バカル基地で軍事訓練を受けるためミンダナオに渡った人物である。彼はマカッサルから北スラウェシのビトゥンに行き、そこからやがてマカッサルの爆弾事件に関与して逮捕されるカハル・ムスタファに伴われてミンダナオのダヴァオに渡り、そこでジャマア・イスラミア活動家の出迎えを受けて、コタバト経由、アブ・バカル基地に入った。スルヤディはその後、1997年12月、他のインドネシア人、フィリピン人とともに、ブリアスからジェネラル・サントスに出て、そこから舟でサギヘ・タラウッド諸島のナヌサ島に渡った。このとき彼らは村長に怪しまれ、その通報で「爆弾発火装置不法所持」の現行犯で警察に逮捕された。しかし、彼らはおそらくその場で「罰金」を支払ったのだろう、警察には一晩、留め置かれただけで、翌日には釈放され、ペタ村でサルジョノ・ガブリエルの助けを得て、サギヘ島のタフナ町に渡り、北スラウェシのメナドを経由してソロに帰還した。

スルヤディはその後、カハル・ムスタファが逮捕されると、彼に代わってイスラム主義武闘団体の活動家をミンダナオに送り込む役割を果たすようになった。また彼はこの頃からフィリピンで香水など化粧品を購入し、スラウェシに持ち込んで販売するようになった。彼は、ミンダナオを訪れると、化粧品とAK-47、M-16※などの武器を購入した。武器はフィリピン人女性と結婚してジェネラル・サントスに住むソロ出身のインドネシア人を通して調達した。スルヤディは、たとえば2000年には、ビトゥンからジェネラル・サントスに入り、ここで武器を購入して「マグロ」とラベルを貼った箱に武器を詰め、フィリピンの関税職員を買収し、これをインドネシアに持ち込んでいる。

国境を越えたネットワーク

これらの例をみれば、ジャマア・イスラミアの「テロリスト」ネットワークが、北スラウェシからサギヘ・タラウッド諸島を経由してミンダナオに広がる大きなネットワークの中に埋め込まれていることは明らかだろう。それを理解するには、たとえば、ムバロックがインドネシア各地からジェネラル・サントスに労働者を送り込む手配師で、サルジョノ・ガブリエルは彼に雇われて、モーターボートで労働者をミンダナオに送り込んでいた、あるいはスルヤディが化粧品の商人で、ジェネラル・サントスで化粧品を購入し、インドネシアに持ち込んでいた、と考えてみればよい。そのとき彼らの「ビジネス」がフィリピン国家、インドネシア国家から見てどれほど「合法的」であるかはわからない、しかし、彼らが「テロリスト」ネットワークの一部と見なされなかったことは確実である。

ジャマア・イスラミアのネットワークは国境を越えたもっと大きな人的ネットワークの中に埋め込まれており、そうしたネットワークを介して、テロリストと武器弾薬の他に、商人、漁師、出稼ぎ労働者、化粧品、サンダル、台所用品、食器、服、コプラなど、実にさまざまの人とモノが流通している。そうしたネットワークの活力を殺すことなくどうやってこれを監視し管理するか、それが国境管理の難しさである。(了)

※ AK-47、M-16=自動小銃。AK-47は旧ソ連製、M-16はアメリカ製。ライフル銃より射程距離が短いが断続的に射撃可能であり、また価格も安いことから、テロリストの定番の銃となっている。

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