◆最近の国会答弁を聞いていて、落胆することがある。イギリスやフランスならもっと強烈な追求とエスプリの効いたやりとりがあるにちがいない、と考えてしまう。キーワードは「実践」の軽視である。実際に起こっている問題から目をそらし、相手の揚げ足をとる。周囲はイラ立ち、責任回避の堂々巡りにあきれかえってしまう。揚げ句のはては、政治への無関心と無責任体制だけがのこることになる。こうした実践回避の状況を腹立たしくおもいながら、本号の主張を読み返してみた。
◆わが国の海にたいする教育の欠落が大学における研究のあり方に帰因するとする岸さんの指摘は痛快であった。その思いを実践する試みのさらなる展開を期待したい。だがこの種の問題提起は、もっと怒りをこめて発せられてもよいのではないか、と考えるがいかがだろう。子どもに黒潮や親潮のことを教えるのは難しすぎるなどと考える先生は、日本が海に囲まれている国であることをどのように認識されているのか。実践的な知識は小学校からどんどん教えるべきで、若い感性をもった子どもたちは現実に即した問題をいともたやすく吸収する。
◆タイの南部を襲った津波で親や兄弟を失った子どもが描いた津波の絵をご存じだろうか。また、潮が大きく引いたら沖に魚をとりに行くのでなく、山のほうへと逃げた人びとの知恵が見直されている。竹川さんは、宮古島のダイビングをめぐる紛争から、地元の漁民が育んできた実践的な知について指摘した。その主張を難しく考える必要はさらさらない。実践知の優位性は明らかだ。
◆海との実践的な関わり合いの重要性は、秋元さんのガバナンス論につながる。海を護ることはそれほどたやすいことではない。武力衝突や資源の争奪などをめぐる「海の戦争」に対処する必要があるからだ。現実を直視した、より包括的な海のガバナンス論が時代のキーワードになると予感するのはわたしだけでないだろう。(了)
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