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第8号(2000.12.05発行)

第8号(2000.12.05 発行)

漁業権消滅補償の理論と実態からの乖離

横浜国立大学国際社会科学研究科教授◆来生 新

漁業法では漁業権は移転不可能な権利とされ、公益上の必要によって漁業権の変更、取消等が行われる時には、閣議決定方式によって補償が行われる建前となっている。しかし、現実の漁業権の消滅等には、補償基準をはるかに上回る金額の支払がなされることが常識化しており、それが社会的批判の的になっている。なぜ補償基準がうまく働かないのか、その理由は、漁業者の強欲に求められるべきではない。多くの漁業補償がかかわる公有水面埋立法において、漁業者の同意が埋め立ての要件となっており、漁業権の消滅が実質的には譲渡された上で行われるに等しくなっていることがその原因である。このような法制度間の矛盾を前提にして、漁業権と他の利用調整のあるべき姿を考えることが今後の重要課題である。

1. 漁業権の発生と性質

昭和24年に現行漁業法が制定される以前は、漁業権は先願主義による免許で設定されていた。免許は一定期間を限るものであるが、存続期間の更新制度によって、実質的には漁業権は永久に続くものとされていた。現行漁業法はこのような先願主義と更新制度を改めて、漁業権の設定を、漁場の利用方式についての調査研究と技術的検討を前提とする漁場計画制度と一体化させた。すなわち、現行漁業法11条は、漁業権を免許する必要があり、それが漁業調整その他の公益に影響を及ぼさない時には、都道府県知事に漁場計画を樹立し、漁業権を付与することを義務付けている。しかし、逆に、漁業権はこの要件を満たす限りで与えられるものであるので、後述のように、状況変化に伴い、いったん与えた漁業権を知事が自らのイニシィアティヴで消滅・変更させることも想定されている。漁業権は土地に関する規定が準用される物権である(23条)が、原則として移転不可能な権利とされている(26条)。

先に見たように、漁業権免許に際しては漁場計画の樹立の過程で、「その他の公益に支障を及ぼさない」かどうかの判断が必要とされる。その意味では、漁業法も漁業の利益と他の公益とを比較考量する構造をもつ。しかしここでの「公益」は非常に限定的に解釈されている。漁業法39条に例示のある船舶の航行、停泊、繋留、水底電線の敷設のほか、土地収用法およびその特別法によって土地を収用し、使用することのできる事業の用に供する場合には、ここでいう「公益」に該当するが、地域開発による単なる工場誘致のための埋め立てであって、土地収用法の対象とならない事業等の用に供する場合には、ここでいう公益には該当しないとされる(※1)。さらに、公益上の理由がある場合には、両者抵触しないように原案を修正して漁場計画を樹立すべきであり、漁場計画を樹立しないとの判断を極力避けるべきとされる。とりわけ、従来から漁業権が設定されていた水面について、期間満了時に公益性の不当な拡大解釈をすべきではないとされる。

しかし、漁業権が存続中でも、「漁業調整、船舶の航行、停泊、係留、水底電線の敷設その他公益上必要があると認めるときは、都道府県知事は、漁業権を変更し、取り消し、またはその行使の停止を命ずることができる」ものとされている(39条)。この場合には、都道府県はそれによって生じた通常生ずべき損失を補償することが義務付けられている(同条6項、7項)。さらに、それによって利益を受ける者がある場合には、都道府県はその者に対して補償金額の全部または一部の負担を命じうる(同条13項)。補償金額の算定は、「公共用地の取得に伴う閣議決定要綱」(昭和37年6月26日)に基づいて行われている。

要綱によれば補償は、漁業権の消滅等にかかわる補償、制限にかかわる補償、制限または消滅により通常生ずる補償の3種類であり、それぞれ算式が定められている。例えば、消滅補償は要綱17条で、補償額=R/r(R=年間の純収入、r=年利率)とされ、資本還元利率として漁業補償の場合は8%が使用されている(※2)。これは、漁業権が譲渡可能な権利であれば、その譲渡価格を評価して補償すれば足りるが、漁業権が譲渡不可能な権利であることから、理念的には、確実な投資をした場合に、失われた純収益が毎年補填されるような資本金を補償するという考え方である。当然に、具体の補償額はrの大きさで左右される。同じく資本還元方式が用いられる農業や林業については4~6%が用いられ、漁業が最も少なく資本還元されることとなっている。ゼロ金利ないしは超低金利時代の今日、長期のもっとも有利な金利で消滅補償金を運用しても、理念的な毎年度の利益をカバーすることは不可能で、これが漁業者の不満の原因となっていることはよく知られている。具体のrの値については、多様な評価が可能であるが、少なくとも、漁業法の世界ではこれは完結した合理性をもつものといってよい。

しかし、現実に漁業権の消滅補償が問題となる多くの場面では、公有水面の埋め立てがかかわり、公有水面埋立法の手続が譲渡不可能な漁業権という漁業法の制度と、実態面でまったく異なる世界を作り出している。この乖離が補償基準と具体の補償額の違いを生み出す大きな原因となっている。以下で、この点について検討を加えてみよう。

2. 公有水面埋立法の手続とそれがもたらすもの

埋立法は工事の施行区域内の水面に権利者が存在する場合には、当該権利者が埋め立てに同意しない限り、都道府県知事が埋め立ての免許をなしえない(3条1号)と定める。埋め立て免許者である知事は漁業権の設定や取り消しを行う主体でもあり、公益判断によって既存の漁業権の取り消しを行うことも理論的には可能であるが、そこには強い制約が働いていることはすでに見たとおりである。したがって、知事が埋め立ての積極的な公益判断をして、漁業権をあらかじめ消滅させるような事態が発生することは、事実上ありえない。

すでに見たように、漁業権は原則として移転(譲渡)不可能な権利とされているが、埋め立て免許の申請者は、漁業者の自発的な同意を得ない限り、埋め立てを行えない構造になっており、そこでの同意は、漁業者が漁業権消滅の対価として満足するだけの金額を支払うことによってしか得られない。形式的に何と呼ぼうと、そこで行われる合意形成の実態は、漁業権の売買が可能な場合の合意形成とまったく違いはない。埋立法の手続が漁業権を、実質的に、譲渡しうる権利へと変質させているといってよいのである。

このようにして、公益上の必要性によって漁業権が消滅させられる場合の、行政権による一方的決定という前提が崩れた瞬間に、閣議了解方式による補償金額の算定方式は意味を失う。多くの場合、埋め立て免許の申請者は大規模プロジェクトの実施者で、当該プロジェクトの場所が確定した段階になって、はじめて埋め立ての手続に移る。当該海域の漁業権者は、実質的には、当該空間の独占的な権利の売り手となっているのである。買手も実質的には独占者で、そこでの価格は双方独占のゲームの状況で決定される。自分がゲームから降りるというのが双方の切り札で、双方は相手が降りないぎりぎりの価格を推測しあって、合意を形成しようとする。そこでは、相手がゲームから降りる価格がいくらになるかが直接的な決定要因であり、現存利益の資本還元等々の要素は価格決定に直接の関係はない。しかも、このゲームでは、埋め立て免許申請者はさまざまな制約からゲームを降りると言いにくく、漁業権者は簡単に降りるという切り札を行使する(現状維持でかまわないという)ジェスチャーを示すことが可能である。漁業権者優位でゲームが進むのである。

このような状況で先例・相場観が作り出され、閣議了解方式による補償にも影響を与えることは十分に考えられる。それがある意味で、漁業者のエゴと評価され、社会的公正に反するとの批判を浴びているのは事実である。しかし、このような構造の下で、補償基準と実際の補償金額との差が大きくなることは、論理の必然ということができる。漁業権者が自らの利潤を極大化しようとする限り、自発的に閣議了解方式に従うのは非合理以外のなにものでもない。埋め立て免許の申請者も、埋め立て後の土地利用によって生ずる期待利益との関係で、ゲームから降りる上限価格を決めているはずであり、それ以下なら閣議了解の補償基準を大幅に上回ろうが、同意を得ることが合理的な行動となる。補償基準との乖離は、ある判断基準から見て不公正ではあるかもしれないが、社会的に見て非効率な価格を意味しない。漁業権者にだけ合理的行動を取るなという方がむしろ無理な要求というべきであろう。

3. 新たな制度構築の方向

このような不公正感を改善する方法はいくつか考えられる。補償の価格を引き下げることによって改善しようとすれば、埋め立てに先立ってさまざまな計画を調整的に統合し、知事が積極的に公益判断を行って、補償基準を実質的に機能させるようにすればよい。しかし、漁業の持つ自然環境保全や食料供給の社会的価値と、埋め立てによって実現するであろう他の社会的価値の優劣を公益判断の名目で実質的に行うことは、理論的にも実際的にも非常に困難な作業である。また、大規模埋め立てプロジェクトの立地場所の最終的な確定の前に、複数の候補地で競争的に漁業権者の同意を得る努力をし、売り手独占の状況を少しでも競争的にすることによって、理論的には補償価格を下げることも考えられる。しかし、その現実の可能性と効果がどれほどあるかは疑わしい。

まったく異なるアプローチも考えられる。現在の漁業権制度を根本から変え、漁業権を譲渡可能な権利にするという方法である。多くの国民が漁業補償の金額に不公正感を抱く原因のひとつは、漁業者はただで漁業権を取得していながら、その消滅に際して表面的には非常に高額の実質的対価が支払われること、場合によっては、当該水面において消滅した漁業権が形を変えて復活することもありえ、漁業者はその度に高額の補償を得るという印象を持っていること等による。昭和28年の法改正が、一度導入した免許料、許可料徴収制度を廃止したことが現在の問題につながっているのである。

これを改め、何らかの方法で免許料等を国が徴収し、漁業権等を譲渡可能にするような改革は、漁業補償の不公正感のみではなく、さまざまな側面で日本の漁業構造に大きな影響を与えるであろう。このような制度改革は、昨年まとまった水産基本政策大綱の枠を大きく越えるものであり、21世紀に向けて日本の漁業構造改革の大課題となる。そのメリット、ディメリットを慎重に評価しなければならないことは当然であるが、資源管理漁業全面展開の流れを考えると、検討に値する重要なひとつの方向といえるであろう。今日、諸外国における電波の周波数帯の入札制度などに見られるように、かつてただで利用するのが当然と考えられていたものの利用を、売買の制度の枠に載せる動きは他の分野でも見られるのである。

※1 昭和47年8月7日47水漁第5463号水産庁長官「漁場計画の樹立について」

※2 数値そのものに実質的な根拠があるわけではなく、要網の閣議決定の際に相当に論議されたがすべての関係者の合意が形成できないまま、暫定的に8%とされ、今日に至っている。

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