今年、ソロモン諸島では政変がありました。3月15日に現職閣僚を含む連立与党議員が政権を離れ、議会招集を求めていたものの、マネレ首相(当時)はこれに応じませんでした。しかし、最高裁判所の裁定により招集が決まり、5月7日に賛成26、反対22で不信任決議が可決され退任しました。その後、5月15日に議員による投票が行われ、議会野党党首であったマシュー・ワレ氏が新しい首相に選出されました(獲得票は26票)。
ソロモン諸島では、1998年に勃発したガダルカナルとマライタ間の部族紛争が2003年まで続き、2003年から2017年まで、オーストラリア軍を中心とする太平洋諸島フォーラム(PIF)加盟国の軍や警察により構成されたソロモン諸島地域支援ミッション(RAMSI)が、ソロモン諸島の安定と治安維持のために駐留していました。この期間、ソロモン諸島の法執行部門は実質的にRAMSIの下にあり、政治面でも独立国家としては制約があったと言えます。そして、2017年7月のRAMSI撤収は第2の独立のような意味合いを持ち、地域において最低レベルの経済を引き上げるという考えの中で、2019年9月には台湾から中国に国交を変更しました。この期間、ソロモン諸島の政治の中枢にいたのはソガバレ元首相であり、マネレ前首相はソガバレ元首相のパペットではありませんでしたが、大きな枠で見ればソガバレ元首相系統の政権であったと見なせると思います。例えば、今年3月に少数与党に転じてから、政権から離れていたソガバレ元首相とマネレ前首相は手を組んでいます。この観点から見ると、ワレ政権はこれまでの流れとは異なる性格を持つと見なすことができるでしょう。
地政学的観点から、特に中台関係に敏感な人々の間では、ワレ政権が中国との外交関係を見直すのではないかという見方もあるようですが、今回の政権交代の大きな原因はそこではなく、現地では説明責任の欠如、不透明性、政治腐敗であると言われています。中国との安全保障協定の開示も期待されていましたが、記事にあるとおり法的制約があるため公開できないとのことです。
私は出張で先日ホニアラを訪問しましたが、ナンディ発ホニアラ行きのフライトに乗ったところ、右前の席にちょうどワレ首相がおり、挨拶をさせていただきました。読書家の一面が垣間見えましたが、この記事はそのフライトで帰国してすぐに行われた記者会見を取り上げたものです。
この出張では4日程度滞在しましたが、現地の民間の方々は、「これまでの政権は汚職が酷く、新政権には汚職撲滅を期待している」「オーストラリアとの関係では、現在の季節労働者の現地での生活状況がおかしなことになっていることが明らかになりつつあり、新政権にはその見直しを期待している」と話していました。後者については、「現地で労働していてもまともな給与が支払われず、生活環境も悪い。現代版のBlackbirdingだ」との指摘がありました。Blackbirdingとは、19世紀から20世紀初頭に行われていた、メラネシアの人々を労働力として調達し、オーストラリアの農園などで低賃金で働かせていたものであり、現地では誘拐や奴隷制度に近いものとして認識されることが多いものです。
また、現地の方々と話すと、民間の経済活動は活発で起業意識も高く、経済成長の潜在性はあるように感じられますが、一人当たりのGDPはいまだ2000米ドル前半の水準にとどまっているようです。彼らは「所得税は30%も取られている。政治家が腐敗していなければ、もっと国は成長しているはずだ」とも話していました。政治腐敗については、長年行われてきたチェックブック・ディプロマシーの影響なのか、あるいは慣習化したものなのか、「中国に国交を変更したから」という理由だけではないようです。もっとも、2024年の太平洋・島サミットで来日していたある太平洋島嶼国の行政官が、「ソロモン諸島の行政官は羽振りが良い」と語っていたことも印象的でした。
ワレ政権誕生から1か月が経過し、少なくとも米国、オーストラリア、ニュージーランドとの関係は、他の太平洋島嶼国とこれら諸国との関係に近づいていくと考えられますが、国内においては、マネレ政権やソガバレ政権が行ってきた施策の精査と透明性の確保が期待されています。
話はそれますが、今回のソロモン諸島訪問では、初めて「一木支隊奮戦之地」の碑と、川口支隊が戦ったBloody Ridgeを訪問することができました。後者はソロモン諸島政府が国の歴史遺産として登録し、丁寧に管理しています。しかし、「一木支隊奮戦之地」については、数年前に日経新聞などが報じた問題がそのまま残っていました。この土地は私有地であり、中国の業者が砂利や砂を採集するために購入しているため、自由に訪問することはできません。今回、たまたま休日で作業が行われていなかったため、入域料100ソロモンドル(約2000円)を支払うことで石碑を見ることができました。
https://blog.canpan.info/spinf_shio/archive/2890
リンク先の写真のとおり、日陰とはいえ、すぐそばにダンプが停められており、石碑の周囲に設置された枠を示す石の位置まで車両が入り込んでいました。残念ながら敬意を感じることはできませんでした。今回同行していた現地の方々も、以前は自由に立ち入ることができたが、土地が売却されて以降、初めて入ることができたと話していました。イル川もすぐ近くにありますが、土砂採集場を通らなければならず、作業中には近づくことはできない状況です。これは民間の土地契約に基づくものであり、法的な問題もないため、国としては介入できず、中国人の地権者の良心に委ねられている状態です。
ソロモン諸島では、日本軍が1942年5月にツラギに上陸、同7月から対岸のガダルカナル島で空港滑走路建設を開始しましたが、8月に米軍が上陸して空港を奪取し、1943年2月までガダルカナルの戦いが続きました。このようにソロモン諸島の人々と日本の関係は、例えばパラオと日本の関係とは大きく異なります。しかしながら、現地の人々は非常に謙虚で親日的であり、今回共に行動した4名の方々は、「この戦争を経て平和が構築され、ソロモン諸島の独立に繋がった」と話していました。
また、驚いた話としては、彼らの1人が高校生だった2004年に、残留日本兵2名の目撃情報(畑で作物を物色していた)があり、ジャングルで捜索と呼びかけが行われたというものがありました。「非常に高齢であり、何十年にもわたりジャングルで生活していたため意思疎通が困難だったようだ。その後、発見には至らなかったため、おそらくジャングルの中で亡くなったのだろう」とのことでした。他に戦争関連では現在でも不発弾(UXO)が見つかることがあり、死亡事故も発生しているとの話も聞きました。
6月12日(金)は、ソロモン諸島の国家元首であるチャールズ国王の公式誕生日の祝日であり、町では式典が行われていました。一方で、ソロモン諸島の人々はサッカーを非常に好み、前日に開幕したFIFAワールドカップに合わせて、それぞれが応援する国の国旗を掲げながら車を走らせたり、家や船に旗を掲げたりする様子が見られました。
現在のソロモン諸島には民間部門に自由な空気感があり、人々は自ら収入を得ようとする意識もあります。一人当たりGDPが2000ドル前半に停滞するような国では本来ありません。新しい政治が注目されるワレ政権が、この潜在性をいかに活かすことができるのかが問われています。