Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第599号(2025.11.20発行)

医薬品による河川・海洋の汚染~生態系への影響は?~

KEYWORDS 環境医薬品/行動への影響/繁殖への影響
長崎大学海洋未来イノベーション機構 機構長/教授◆征矢野清

われわれは、日常の中で多くの医薬品を使用している。これらの医薬品は、下水処理場を通して水域に放出されており、そこに暮らす生物に影響を及ぼすことが明らかになりつつある。中でも神経系に作用する医薬品は、魚類の行動や繁殖に異常を引き起こす。医薬品は、人々の健康維持に欠くことができないことから、その生物影響を正しく理解し、共生のあり方を考える必要がある。
水域における医薬品汚染の実態
環境中に存在する医薬品とそれに由来する化学物質(代謝物質など)を、環境医薬品と呼ぶ。現代社会において、人々はさまざまなストレスに曝(さら)された生活を送っており、その影響を軽減するためにさまざまな薬を使用している。また、高齢化も、医薬品の使用に拍車をかけている。環境中にどのような医薬品が流入しているかを推定するため、病院の医薬品処方量を調べてみると、わが国で最も多く処方されてるのが消化性潰瘍用剤であり、そのほか、血圧降下剤、血管拡張剤、アレルギー用薬、中枢神経系用薬など、神経系に作用する医薬品の処方量が多い。近年では、抗うつ薬の処方量も増加している。これらの医薬品の特徴は、神経細胞から次の神経細胞へ情報の伝達するために必要なGタンパク質連結型受容体(GPCR)1や、神経細胞の細胞膜トランスポーター2を標的とする。これらの医薬品は、神経伝達系を制御することによって、症状を改善するように設計されている。しかし、魚類も人と同じ脊椎動物であることから、魚体に取り込まれた医薬品は神経系に作用し、行動変化や生理変化を引き起こすと考えられる。
では、神経系に作用する医薬品は、どの程度水域環境中に存在するのであろうか?神奈川大学と高知大学の研究グループが淀川水系や鶴見川において、下水放流場所を含めた複数の地点で70種類を超える医薬品とその代謝物を対象に、水に含まれる濃度を測定した(環境研究総合推進費5-2204)。それによると、下水処理水放流口付近では、抗うつ薬をはじめとする神経系に作用する医薬品が検出され、物質によっては魚類へ影響を与えるとされる高い薬理活性を示すことが分かった。また、河川中に存在する医薬品の傾向は淀川水系と鶴見川で類似しており、下水処理場経由の流出は一般的な事象であることが明らかとなった(図1)。現在の研究では、海洋における測定データはないものの、下水処理施設は河口域に放流口を持つものも多いことから、海洋(沿岸域)においても、同様のことは起きているであろう。
■図1 われわれが使用した医薬品の水域への流入

■図1 われわれが使用した医薬品の水域への流入

魚類の行動と繁殖への影響
神経系に作用する医薬品の魚類への影響を明らかにするため、飼育水にいくつかの医薬品を溶かし、魚の反応を調べる試験(曝露試験)を実施した。用いた魚種は、淡水魚のメダカとアユ、海産魚のボラである。これらの魚種に、神経系に作用する抗うつ薬のミルタザピンとアミトリプチリン、抗精神病薬のクロルプロマジンをさまざまな濃度で曝露し、行動への影響を観察した。その結果、いずれの魚種でも正常な行動とは明らかに異なる、上層(表層)遊泳が観察された。この行動が特に顕著なのはメダカであり、医薬品を曝露しない個体が水槽内を自由に遊泳するのに対して、医薬品を曝露するとその遊泳は水槽の上層1/3に留まるようになる。このような現象を引き起こした医薬品の薬理活性は、河川(下水処理水放流口付近)のそれと近いものであった。つまり、天然河川でも、このような行動の異常が、引き起こされる可能性がある。水槽内と異なり、河川における上層遊泳は、明らかに鳥や他の生物による捕食のリスクを高める。これは確実に個体数の減少につながる。コイ科の魚種であるファットヘッドミノーでは、通常観察される光を避け物陰に身を隠す行動が、抗うつ薬の曝露によって減少し、光のある場所に留まることが多くなる。これも捕食のリスクを高める異常な行動である。医薬品によって引き起こされる魚類の行動は、魚種によって違うことも多い。アユでは、底での停滞や立て泳ぎ(酸欠環境下の魚類でよく見られる鼻上げと類似した遊泳)などの行動異常が観察されている。このように、表現の型は異なるものの、神経系へ作用する医薬品が、行動異常を誘導することは確かである。
生態系・次世代生産への影響
環境医薬品による行動の異常は、繁殖にも影響を及ぼす。アユでは産卵時に雌雄が並んで流れに逆らって遊泳しながら放精と放卵を行い、産卵を完結する。しかし、医薬品はこの流れに逆らう遊泳力を低下させる。これは正常な受精のための行動阻害であり、次世代の個体数を減少させることにつながる。メダカでは、行動試験同様に抗うつ薬を曝露すると、受精卵数が減少する。これはアユのように産卵行動が抑制されることによって引き起こされたのではなく、卵巣内での卵母細胞(卵の元となる細胞)の発達が医薬品によって阻害された結果である。つまり、医薬品は行動に関する神経系への作用に加え、生殖腺における配偶子の発達制御機構にも影響するのであろう。このように、医薬品に曝露された魚の繁殖能力は低下する。繁殖(次世代生産)のプロセスにおいて、安定的な受精卵の確保は、極めて重要であり、これが正常に行われないと、生態系を維持することは難しい。
これまでの研究から、神経系に作用する医薬品のうち、特にGPCRやトランスポーターを標的とする医薬品は、1)魚類に異常な行動を誘導する、ことに加えて、2)生殖腺における配偶子の生産にも影響することが分かった(図2)。環境医薬品の水域における存在実態と生物への影響は、ほとんど実証されていないが、これらの物質が生態系に影響を及ぼす可能性があることを忘れてはならない。薬品はわれわれ人間にとって、病気を治すために必要不可欠な物質である。その一方で、生態系の破壊は、また新たなストレスの原因となりかねない。そこで、環境医薬品の汚染問題や魚類への影響をより深く解明するとともに、環境への負荷の少ない医薬品の設計などを積極的に進める必要がある。(了)
■図2 環境医薬品による魚類への影響、生態系への影響

■図2 環境医薬品による魚類への影響、生態系への影響

※1 GPCR(G protein-coupled receptor)は、神経細胞と神経細胞を結ぶ神経伝達物質を受け取るための受容体。神経伝達物質を鍵とすると、鍵穴に相当し、両者は特異的関係にある。
※2 トランスポーターは、神経情報に必要な伝達物質を除去(回収)する役目を持っており、神経細胞の末端(シナプス)に存在する。GPCRが伝達を伝える側の制御因子だとすると、トランスポーターはそれを収束させる側の制御因子。

 

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