Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第592号(2025.04.20発行)

くじらの町、太地町のまちづくり

KEYWORDS くじらの恵み/捕鯨/海業
和歌山県太地町役場総務課◆和田正希

古式捕鯨発祥の地である太地町は「過去・現在・未来永劫にくじらに関わり続けていく町」として、くじらを「捕る」だけでなく観光や学術研究など多角的に活用するまちづくりを進めてきた。
「太地町くじらと自然公園のまちづくり構想」や「森浦湾くじらの海構想」を踏まえ、町と太地町漁業協同組合が一体となって理想のまちづくりを進め、「くじらの恵み」を住民に還元していきたい。
太地町と捕鯨の歴史
太地町(たいじちょう)は紀伊半島の最南端にさらに突き出した半島形の町である。町全体が熊野灘に面し、海岸線はリアス式で、くじらが口を開けているような形をしている。和歌山県にある30の市町村の中で、太地町の行政面積は5.81km2と最も小さく、人口は約2,800人である。古式捕鯨発祥の地として知られ、かつては町民の大多数が捕鯨や捕鯨関係の仕事に従事し、栄え、現在も沿岸捕鯨を中心に捕鯨業が営まれている日本で数少ない地域である。当地において「鯨一頭七浦潤す」といった言葉があるように、過去はくじらを捕獲、鯨肉を売ることにより、太地だけでなく、周辺の村も栄えた。
現町長の三軒一高(さんげんかずたか)は、2004(平成16)年に就任し、その時代時代に応じたくじらと人との関わり方があるのではないかと考え、2006(平成18)年に「過去・現在・未来永劫にくじらに関わり続けていく町」と宣言した。
くじらを活かした観光振興の取り組み
1960年代、太地町では、数百名が南氷洋捕鯨に出稼ぎに行き、その従事者による税収が町税の大半を占めていた。当時の町長、故庄司五郎氏は現町長の叔父であり、大学生であった現町長に対し、「これからくじらが捕ることができなくなる、そうなれば町内から出稼ぎに捕鯨に出ている数百名が失業してしまう。そのことを考えると夜も眠ることができない」と話をしたという。太地町は耕地面積が少なく産業立地条件に乏しい。当町が一つの産業だけに依存することを危惧した庄司氏は、くじらに関する生態的・文化的資料を収集した施設を創り、観光とも結びつけながら、住民の糧となる地域産業を創設していく方針を打ち立てた。町の一部地域をくじら浜公園として整備し、その中に世界一のくじらの博物館を開館した。先人の歴史を後世に伝えていくとともに、生きた鯨類を展示することにより町おこしを試みた。つまり、それはくじらを「捕る」ことに加え、「見せる(魅せる)=観光」ことで「くじらを観光に活かす」ということを具体化したものであった。交通の便の悪い当町に最高47万人もの観光客が訪れ、町は潤った。それが現在の太地町立くじらの博物館である。開館から55周年を迎えた同施設は現在も年間13万人程度の観光客が訪れる町の観光拠点となっている。
くじらの学術研究都市:町全体を博物館(エコミュージアム)に
平成や令和の時代を生き抜くわれわれは次の未来に「くじらを学術的に活かす」ことを目標にまちづくりを実施していく方針を打ち立てた。30年という長期をかけ、町全体をくじらの学術研究都市にし、子どもから学生、研究者、さらには世界中の人々が、一度は太地に行って、くじらに関する研究をしたい、くじらを見たい、歴史を知りたいと思うような町にしたい。言い換えれば、町全体を博物館(エコミュージアム)にする構想である。町全体を博物館に見立て、地域の自然・文化・生活や産業等を展示物と捉え、それらが元々あった場所で保存、育成する。来訪者は現地を回って楽しむというものである。
これらのまちづくりビジョンは2006(平成18)年に「太地町くじらと自然公園のまちづくり構想」としてまとめ、小冊子を太地町の全戸に配布した。また、同構想のテーマの一つである「くじらと魚に出会えるまち」を具体化した「森浦湾くじらの海構想」を2010(平成22)年度に発表した。この構想は、当町の玄関口にある森浦湾にくじらを放し、行動観察や繁殖などの研究、くじらと人々とのふれあいなどを通じて、地域振興を目指していくものである。
くじらのまちづくりと海業の推進
2010(平成22)年度から2012(平成24)年度にかけては構想を練り、2013(平成25)年度からは計画に移し、事業に一部着手した。森浦湾全体をゾーニングし、構想図のような環境が整えば、必ず多くの研究者や観光客が訪れる。そのために必要なハード対策、ソフト対策を各ゾーンに落とし込み、年次を追って計画を進めてきた。特筆すべき点は当該海域を町が使用するにあたり2012(平成24)年度の太地町漁業協同組合(以下、太地町漁協)総会において、反対なしで議決いただいたこと、また、太地町漁協が補償を町に求めていないことである。2013(平成25)年度より同湾内に生簀を設置し、小型鯨類の飼育を開始、2014(平成26)年度には太地町漁協がシーカヤック事業を開始、2016(平成28)年度に町の玄関口となる森浦地区で道の駅が供用開始され、太地町漁協が指定管理者として施設を運営している。2020(令和2)年、町が森浦湾海上遊歩道兼仕切り網を設置したことに伴い、湾内にて小型鯨類の放し飼いが始まった。現在、380mある仕切り網より内側に設置した生簀から鯨類を放し、半自然環境下での飼育がされており、それらを研究する大学やくじらに出会えるシーカヤックとして観光客が多く訪れている。本来、漁業者は同湾で漁をして利益を得ることができるが、町の計画のために漁協が漁をしない取り決めをした。よって、この場所で発生するさまざまな事業について太地町漁協が参入し、収入を得て、それらを漁民や町に還元してもらうことを目標としている。すでに、太地町漁協では、これらの事業で得た利益をもとに75歳以上の漁業者が市場に水揚げする際の手数料をゼロにしているほか、町の奨学金事業の基金への寄付もしている。
太地港は、日本各地から選ばれた「海業の推進に取り組む地区」のひとつである。これらの地区では、各地域の特性に合わせた海業の促進が期待されており、太地町では、これまで述べてきたように、捕鯨文化を基盤としながら、くじらとの共生を活かした観光や研究を発展させることで、新たな雇用を生み出し、地域の持続可能な発展につなげる取り組みを行っている。このような取り組みこそ「海業」の推進そのものであり、太地町は、これからも、くじらの恵みを活かしながら、海業を進め、地域社会の発展につなげていく。
当町の強みは過去も今もそして未来も「くじら」である。くじらという地域資源によって、外から「ひと」が流れ、新たなひとの流れにより「しごと」が生まれ、しごとが生まれることにより、「まち」が形成されていく。この好循環こそが「くじらの恵み」である。しかし、研究者や観光客のことばかりではなく、何よりも住民のことを第一に考えるべきである。当地方には、今後発生が予想される地震や津波、子育て等、さまざまな優先すべき課題がある。それらを解決するためには財源が必要であり、それらを「くじらの恵み」で解決していく。町と太地町漁協が一体となって理想のまちづくりを進め、「くじらの恵み」を住民に還元していきたい。(了)
道の駅たいじの朝市

道の駅たいじの朝市

くじらに出会える海水浴場

くじらに出会える海水浴場

※ 太地町立くじらの博物館HP https://www.kujirakan.jp/

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