Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第584号(2024.12.05発行)

崖の島・フェロー諸島

KEYWORDS 亜北極圏/島嶼/自治領
元 北極域研究共同推進拠点(J-ARK Net)研究協力者◆岡田なづな

北大西洋に浮かぶフェロー諸島は、ダイナミックな自然が作り上げた唯一無二の景観で訪れる人々を魅了し続けている。
その美しい景観以上に筆者をひきつけたのは、人々の自然との向き合い方である。
ごく一部ではあるが、滞在中に垣間見たフェロー諸島の人々の日常を紹介したい。
北大西洋に浮かぶ島
フェロー諸島は独立国ではない。デンマークの自治領でありながら、独自の国旗、国会、言語(フェロー語)を有する。日本からは、飛行機でデンマークのコペンハーゲンを経由して約16時間、デンマークのヒアツハルスから出航するフェリーでは、約30時間で到着する。人口は約55,000人で、約14,000人が暮らす首都トースハウンは、徒歩でも十分生活できるほどこぢんまりとした町である。
踊る人々を見て
クラクスヴィークは、トースハウンにつづいて2番目に大きな町で、漁業がさかんである。毎年8月に行われる、漁業や海への関心を高める目的のイベントでは、魚介類を使ったさまざまな料理が無料で振る舞われ、子どもたちが魚やカニなどと触れ合えるコーナーも設けられている。隣には、イベントの少し前に捕れたというヒレナガゴンドウが数頭よこたわっており、漁における正しい捕殺や解体の方法が解説されている。
2012年8月に初めてこのイベントを訪れた時、印象的な場面を目にした。ヒレナガゴンドウの解説が終わりしばらくすると、突然10人ほどの人々が腕を組んで輪になり、歌いながら左右にステップを踏み始めた。1人、2人と輪に混ざり、輪はどんどん大きくなる。関係者らしき人に、催しの1つか尋ねると、これは「チェーンダンス」というフェロー諸島の伝統的な踊りで、おそらく誰かが勝手に踊り始めたのだろうという。まるで予告されていたかのようにごく自然に輪に混ざる人々を見て、なんと結びつきの強い人々だろうと驚嘆し、フェロー諸島の人々に対してより深く関心を寄せるようになった。
絶海の島
フェロー諸島の景観を一言で例えるならば、「ゲレンデ」だろうか。春から秋はそり遊びをする芝生のゲレンデ、冬は雪が積もったスキー場が、横に長く果てしなく続いているイメージであるが、実際には、そりやスキーどころではない場所がほとんどである。友人が放牧するヒツジの追い込みに同行したり、ハイキングに行ったりしたことがあるが、急な斜面と雨に濡れた草地を、転がり落ちないように歩くのは至難の業で、ごつごつとした険しい岩がむきだしになった道は友人の手助けなしには進めなかった。一方フェロー諸島で生まれ育った友人らは、滑りやすい急斜面も険しい岩場も難なく歩いていた。
そびえ立つ垂直の崖、鋭く切り立った尾根、入り組んだフィヨルド、島と島を隔てる海峡、深い谷とその間を流れる川など、美しく、荒々しさも感じさせる絶海の島の大自然。起伏が激しく、海岸線のほとんどが崖になっている島を、上空や海上から眺めると、人々は一体どのように暮らしているのだろうと案じてしまうが、島中を張り巡る道路や数々のトンネル、限られた平地や傾斜の緩やかな場所に集まる、色とりどりの家々を見ると、安堵のような、温かい気持ちになる。
起伏に富んだ地形のため、電車は走っておらず、公共交通機関はバス、フェリー、ヘリコプターが運行している。大小18の島々から成るフェロー諸島において、島から島へ海を渡る移動は日常的に欠かせない。特にヘリコプターは離島に暮らす人々にとって重要な交通手段であるため、フェロー諸島に居住する人の料金は、非居住者の3分の1の価格に設定され、居住者が定期的にヘリコプターを利用できるよう配慮されている。
フェロー諸島の各地を訪ねて驚いたのは、トンネルの数の多さである。現在20カ所が稼働中で、うち4カ所は島と島を結ぶ海底トンネルである。トンネルは、歩道や地形上の問題で通行が困難な道やフェリーやヘリコプターの運行ルートに取って代わる手段となっており、現在も建設中や計画段階のものが多数ある。
ヘリコプターから撮影したクラクスヴィーク上空(撮影:筆者)

ヘリコプターから撮影したクラクスヴィーク上空(撮影:筆者)

フェロー諸島の気候と景観
北緯62度の亜北極圏に位置する地域としては、フェロー諸島の気候は比較的穏やかである。平均気温は、最も高い7月と8月で11℃、最も低い1月で4℃と年較差はそれほど大きくない。年間を通して空は厚い雲に覆われ、多湿で風が強く、雨が降りやすい。「1日で四季を体験できる」と言われるほど天気が変わりやすく、雨の中バスに乗っていて、トンネルを抜けると雲間から日が差し、ほどなくして虹が出るということを経験したこともある。夏は20℃前後まで気温が上がり、晴れ間が出ることもあり、人々は釣りやセーリングを楽しんだり、テラスでの食事などで日光浴をしたりと短い夏を充実させる。冬は日常生活に支障をきたすほどの豪雪地帯ではないが、家から出られないほどの荒天になることはしばしばあるらしい。
春から秋の景観は一見すると「緑」に見えるが、木はほとんど生えていない。緑の景観を作り出しているのは、主に草地や苔、地衣類である。強風や低い気温、そして冬に発生しやすい暴風雨などにより、植物の生育に不向きな地域である。背の高い植物は強風で倒れてしまうため栽培が難しく、家庭菜園で栽培できるのはジャガイモやルバーブなどくらいだという。
一方で、豊富な草地はヒツジを放牧するのに役立っている。島の人口が約55,000人であるのに対し、約7万頭のヒツジが放牧されている。島のいたるところで、急な斜面を歩き、草を食む姿は景観の一部となっている。広大な草地を自由に移動するヒツジの肉は質が高く、また強風により海水が吹きつける草を食むため塩味が感じられ、格別らしい。畜産農家から羊肉を1年分まとめて購入したり、ヒツジを小規模に放牧したりする家庭もある。
自然とともに生きる
フェロー諸島では、島のどこの地点でも海岸線から5km以上離れることがない。海は日常の風景の一部となっていて、窓から海を臨む家が多い。フェロー諸島の人々との会話では海に関する話題がよく出る。仲間と釣りに行って4時間でタラを80匹釣った、家の窓から見える隣の島までボートで行った、海が穏やかだから今から家族でセーリングに行くなどである。クジラ漁の情報も、島民同士のやりとりを中心に広まる。
フェロー諸島のクジラ漁では、積極的にクジラを探すことはしない。誰かがクジラを発見することで、偶発的に起こる。いつどこで起こるか予測がつかないのにもかかわらず、漁には多くの島民が駆けつける。クジラを、波打ち際まで追い込む、捕殺する、港へ運搬する、並べる、解体・分配する、調理・保存のための下処理をする・・・鯨肉が食卓に上がるまでの工程はどれもハードな作業である。そうして得た鯨肉を、漁に参加できない高齢者などに分け与える人も少なくない。
フェロー諸島の人々にとって、食料を自ら獲得することはごく日常的な営みである。狩猟に関する制度や規制を深く理解し、必要な分だけ捕るように心がけたり、生き物の種類や習性に精通していたり、島の気象を熟知していたり、捕った魚や海鳥やクジラの下処理や長期保存の準備を手際よくこなしたりと、島民にとっては当然のことかもしれないが、そういった場面に遭遇するたびに、長年培われてきたフェロー諸島の人々の自然との向き合い方を垣間見ることができたように感じる。(了)

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