- トップ
- 報告書・出版物
- Ocean Newsletter
- 地域あっての地域捕鯨 〜フェロー諸島のキリスト教化と相互扶助〜
Ocean Newsletter
オーシャンニューズレター
第584号(2024.12.05発行)
PDF
1.5MB
地域あっての地域捕鯨
〜フェロー諸島のキリスト教化と相互扶助〜
KEYWORDS
ヒレナガゴンドウ/ノルディック海域/コミュニタス
一橋大学大学院社会学研究科教授◆赤嶺淳
北大西洋のフェロー諸島では、捕鯨専業者が存在せず、住民が自主的に参加する「地域捕鯨」(コミュナル捕鯨)が行われている。
ヒレナガゴンドウを対象とする、この捕鯨は9世紀にノース人が導入したものと考えられている。
300年以上にわたり、詳細な記録をたどれる、世界でも希な捕鯨である。
鯨肉は無償で島民に分配され、孤島に暮らすフェロー諸島人の食生活の重要な一部となっている。
この捕鯨は、地域社会全体を覆う相互扶助の精神に根ざしており、キリスト教とともに人びとのアイデンティティと結びついている。
ヒレナガゴンドウを対象とする、この捕鯨は9世紀にノース人が導入したものと考えられている。
300年以上にわたり、詳細な記録をたどれる、世界でも希な捕鯨である。
鯨肉は無償で島民に分配され、孤島に暮らすフェロー諸島人の食生活の重要な一部となっている。
この捕鯨は、地域社会全体を覆う相互扶助の精神に根ざしており、キリスト教とともに人びとのアイデンティティと結びついている。
フェロー諸島への期待
2024年7月、1週間弱の滞在ながらも、念願のフェロー諸島を訪れる機会をえた。その目的は、ヒレナガゴンドウ漁の現場に立ちあうことだった。残念ながら、その達成は次回までおあずけとなったが、わたしが体得したフェロー諸島における捕鯨を紹介したい。
ノルウェーからアイスランドを経てグリーンランドにいたる北大西洋(ノルディック海域)では、IWC(国際捕鯨委員会)が定める商業捕鯨(ノルウェー、アイスランド)と先住民生存捕鯨(グリーンランド)にくわえ、フェロー諸島で地域捕鯨がおこなわれている。その対象はIWCの管轄外にあるヒレナガゴンドウ(以下、ゴンドウ)である。興味深いのは、①フェロー諸島には捕鯨を職業とする者が存在せず、島びとが自主的に参加していること、②その生産物(肉と脂皮)が無償で分配され、自家消費されていることである。
商業捕鯨・生存捕鯨・地域捕鯨という3タイプの捕鯨が併存するノルディック海域における捕鯨の多様性に着目することで、捕鯨問題を解決にみちびく鍵を見いだすことができるのではないか? そうした期待がフェロー諸島の訪問を念じてきた根幹的理由である。
ノルウェーからアイスランドを経てグリーンランドにいたる北大西洋(ノルディック海域)では、IWC(国際捕鯨委員会)が定める商業捕鯨(ノルウェー、アイスランド)と先住民生存捕鯨(グリーンランド)にくわえ、フェロー諸島で地域捕鯨がおこなわれている。その対象はIWCの管轄外にあるヒレナガゴンドウ(以下、ゴンドウ)である。興味深いのは、①フェロー諸島には捕鯨を職業とする者が存在せず、島びとが自主的に参加していること、②その生産物(肉と脂皮)が無償で分配され、自家消費されていることである。
商業捕鯨・生存捕鯨・地域捕鯨という3タイプの捕鯨が併存するノルディック海域における捕鯨の多様性に着目することで、捕鯨問題を解決にみちびく鍵を見いだすことができるのではないか? そうした期待がフェロー諸島の訪問を念じてきた根幹的理由である。
ゴンドウ漁の歴史
フェロー諸島における捕鯨の起源はあきらかではない。9世紀にスカンジナビア半島から入植したノース人が導入したヴァイキングの慣習のようである。すでに1298年には寄り鯨の所有権について言及した文書が編まれている。これは当時、フェロー諸島を統治していたノルウェーの慣習法が適用されたものらしい。1584年から統計がみとめられるが、残念なことに1641年から1708年までの記録が欠如している。しかし、逆にいえば、1709年から現在まで、300年以上にわたって詳細な記録がのこっているわけである。そんな事例は世界に例がない。
その統計によれば、1709年から2017年までの308年間に257,886頭が捕獲された。平均して年間に811頭が捕獲され、439トンの肉と脂皮が生産されている(以下、鯨肉に脂皮もふくむ)。現在の人口を5万人と仮定すれば、国民ひとりあたり8,780グラムの鯨肉を年間に消費する計算となる。2017年の国民ひとりあたりの鯨肉消費量はノルウェーが76.9グラム、日本が25.9グラムである。フェロー諸島の食生活が、みずからが生産する鯨肉に依存していることがわかる。同諸島出身の歴史学者ヨアン・パウリ・ヨエンセン(Jóan Pauli Joensen)は、著書『フェロー諸島におけるゴンドウ漁——歴史・民族誌・象徴』(フェロー大学出版会、2009年)で、鯨肉はフェロー諸島で消費される肉類の20〜30パーセントに相当すると推計しているけれども、あながち誇張した数字ではないだろう。しかも、この推計は現在のものである。300年前の人口が数千人だったとすれば、鯨肉への依存度は、かなりなものであったはずだ。
その統計によれば、1709年から2017年までの308年間に257,886頭が捕獲された。平均して年間に811頭が捕獲され、439トンの肉と脂皮が生産されている(以下、鯨肉に脂皮もふくむ)。現在の人口を5万人と仮定すれば、国民ひとりあたり8,780グラムの鯨肉を年間に消費する計算となる。2017年の国民ひとりあたりの鯨肉消費量はノルウェーが76.9グラム、日本が25.9グラムである。フェロー諸島の食生活が、みずからが生産する鯨肉に依存していることがわかる。同諸島出身の歴史学者ヨアン・パウリ・ヨエンセン(Jóan Pauli Joensen)は、著書『フェロー諸島におけるゴンドウ漁——歴史・民族誌・象徴』(フェロー大学出版会、2009年)で、鯨肉はフェロー諸島で消費される肉類の20〜30パーセントに相当すると推計しているけれども、あながち誇張した数字ではないだろう。しかも、この推計は現在のものである。300年前の人口が数千人だったとすれば、鯨肉への依存度は、かなりなものであったはずだ。
ゴンドウ漁の実際
フェロー諸島には、ゴンドウ漁の専従者はいない。熟練度のちがいはあろうとも、一連の操業は、いわば「素人」集団によっておこなわれている。沖合の群れを発見した人は、地区長官(シェリフ)に連絡することが義務づけられている。ソナーで位置を確認するゴンドウを追い込むためには、遠浅の浜(ビーチ)が欠かせない。しかし、氷河が削りとったフィヨルドに囲まれたフェロー諸島には、そうしたビーチは限定的である。現在は23箇所が政府によって追い込み可能な場所として指定されている。発見場所から群れを割らずに指定されたビーチまでゴンドウを追い込めるか否かは、ビーチまでの距離にくわえ、潮の方向や強弱、干満、風向や風速などによってくる。暗すぎても危険である。群れの大きさも重要なポイントとなる。したがって群れの発見が、そのまま捕獲につながるわけではない。最終的に追い込みの可否を決定するのは、シェリフと4名の捕鯨監督人である。実際、さきの統計では、追い込んだ平均実績は1年に6回にすぎない(1回あたりの捕獲は135頭)。
ゴンドウを捕獲するには、追い込まれてきたゴンドウを波打ち際で捕殺する人びとや息絶えて海底に沈んだゴンドウを砂浜に引きあげる人びとが不可欠である。偶発性に左右される発見はもちろんのこと、捕殺にいたるまでの一連の作業は、決して数人でおこなえることではない。地域(community)全体でなされるべき事業なのである。そのことは、年老いた人や健康にすぐれない人など、漁に参加したくとも、さまざまな事情で参加できない人へも、一定の鯨肉が分配される仕組みが明文化されていることにも顕著である。
ゴンドウを捕獲するには、追い込まれてきたゴンドウを波打ち際で捕殺する人びとや息絶えて海底に沈んだゴンドウを砂浜に引きあげる人びとが不可欠である。偶発性に左右される発見はもちろんのこと、捕殺にいたるまでの一連の作業は、決して数人でおこなえることではない。地域(community)全体でなされるべき事業なのである。そのことは、年老いた人や健康にすぐれない人など、漁に参加したくとも、さまざまな事情で参加できない人へも、一定の鯨肉が分配される仕組みが明文化されていることにも顕著である。
ヒレナガゴンドウの追い込み漁の最終場面(岡田なづな氏提供)
ヨーロッパ世界のなかの地域捕鯨
フェロー諸島の捕鯨を分類する「地域捕鯨」(communal whaling)とは、わたしの造語である。英語文献ではcommunity-basedと形容されるのが一般的である。communalだろうと、community-basedであろうと、どちらも「地域」と訳さざるをえないのは、両者がともにラテン語のcommunitas(com共に+munis義務)を語源とし、「共同」性を含意するからである。しかし、その相違は後者が文字どおり「地域社会に根ざした」ことに力点をおくのに対し、前者は集団が資源を「共有」することに着眼する点にある。ゴンドウ漁への参加の有無に関係なく希望者に無償分配される相互扶助の精神こそ、「コミュナル」と呼ぶにふさわしい。
しかし、このコミュナル性は天賦のものではなく、人びとが勝ちとってきたものである。国王や宮廷官僚などの地主に生産物の4分の3を納めるのを常とした悪弊は、1832年以降に段階的に改善されていった。先述したヨエンセンは、その背景として18世紀後半にヨーロッパを席巻した啓蒙思想とフランス革命の余波が絶対王権を弱体化させたことを指摘している。また、世界遺産とも賞賛すべき300年超の統計が残されているのも、そもそもは税金として生産物の一部が教会に納められていたからである。
ゴンドウ漁はフェロー諸島人のアイデンティティの源泉である。その深層には、キリスト教化はもちろんのこと、ノルウェーやデンマークの支配を乗りこえてきた歴史が横たわっている。亜北極圏という過酷な環境下にあるフェロー諸島の地域捕鯨を理解するためには、同諸島を包摂する世界を捉えなくてはならない所以である。
世界各地で、それぞれの地域が歩んできた歴史にもとづいて異なる鯨種が多様に利用されてきたわけである。そうした単純な事実にたちかえることが、膠着した捕鯨問題を解決する糸口になるのではなかろうか。(了)
しかし、このコミュナル性は天賦のものではなく、人びとが勝ちとってきたものである。国王や宮廷官僚などの地主に生産物の4分の3を納めるのを常とした悪弊は、1832年以降に段階的に改善されていった。先述したヨエンセンは、その背景として18世紀後半にヨーロッパを席巻した啓蒙思想とフランス革命の余波が絶対王権を弱体化させたことを指摘している。また、世界遺産とも賞賛すべき300年超の統計が残されているのも、そもそもは税金として生産物の一部が教会に納められていたからである。
ゴンドウ漁はフェロー諸島人のアイデンティティの源泉である。その深層には、キリスト教化はもちろんのこと、ノルウェーやデンマークの支配を乗りこえてきた歴史が横たわっている。亜北極圏という過酷な環境下にあるフェロー諸島の地域捕鯨を理解するためには、同諸島を包摂する世界を捉えなくてはならない所以である。
世界各地で、それぞれの地域が歩んできた歴史にもとづいて異なる鯨種が多様に利用されてきたわけである。そうした単純な事実にたちかえることが、膠着した捕鯨問題を解決する糸口になるのではなかろうか。(了)
※ 本研究は、文部科学省「北極域研究加速プロジェクト——新たな北極域研究をめざして」(ArCSII: Arctic Challenge for Sustainability II)の社会文化課題(温暖化する北極域から見るエネルギー資源と食に関わる人間の安全保障、代表高倉浩樹・東北大学教授)によっています。
第584号(2024.12.05発行)のその他の記事
- フェロー諸島:その特徴と国際関係、日本との絆 フェロー諸島自治政府副首相兼外務・産業・貿易相◆Høgni HOYDAL
- 地域あっての地域捕鯨 〜フェロー諸島のキリスト教化と相互扶助〜 一橋大学大学院社会学研究科教授◆赤嶺淳
- 崖の島・フェロー諸島 元 北極域研究共同推進拠点(J-ARK Net)研究協力者◆岡田なづな
- 事務局だより (公財)笹川平和財団海洋政策研究所主任研究員◆高翔