Ocean Newsletter
オーシャンニューズレター
第576号(2024.08.05発行)
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生態学の知見を取り入れたサンゴ礁保全再生のアプローチ
KEYWORDS
サンゴ礁保全再生/基礎的知見/サンゴ植え付け
國立臺灣海洋大學海洋環境與生態研究所所長◆識名信也
サンゴ礁は多種多様な海洋生物の命を育む生態系である。私たちにも多くの恵みを与えてくれる。
近年、衰退していくサンゴ礁を再生するために、サンゴの増殖・植え付け事業が盛んに行われている。
本稿では現行のサンゴ礁保全再生事業の課題を整理すると同時に、既存の枠組みに生物・生態学の基礎知見を取り入れた新たな保全再生事業のアプローチを提案する。
近年、衰退していくサンゴ礁を再生するために、サンゴの増殖・植え付け事業が盛んに行われている。
本稿では現行のサンゴ礁保全再生事業の課題を整理すると同時に、既存の枠組みに生物・生態学の基礎知見を取り入れた新たな保全再生事業のアプローチを提案する。
現行のサンゴ礁保全再生事業とその課題
サンゴ礁が衰退していく現状を改善するため、現在サンゴの保全再生事業が国内外で盛んに行われている。2024年現在、国内では沖縄県の6以上の市町村において環境省や県、民間企業のサポートのもと、サンゴの増殖・植え付け(移植)が行われている。1980年代から現在までに少なくとも30万本以上が植え付けられており、特に恩納村や読谷村では、植え付けたサンゴが1mを超えるサイズまで成長し産卵も行うなど、好ましい成果が報告されている。
しかし、現行の植え付け事業には課題も残る。1つ目の課題は、増殖・植え付けされているサンゴの「種の多様性の低さ」である。現在植え付けされている種の多くはミドリイシサンゴである。ミドリイシサンゴ類は、サンゴ礁を構成する主要なサンゴであり、生態学的な重要性を有する。しかし、自然のサンゴ礁にはミドリイシサンゴ類だけではなく、数十、数百という種が混在しているため、植え付けにより生み出されたサンゴ群集の組成と自然のそれとでは違いが見られる。
2つ目の課題は、増殖サンゴの「種内の遺伝的多様性の低さ」である。現行のサンゴの増殖法は、一般的に母群体から小さな断片を調整し、サンゴの無性生殖能を利用して増やすという手法である。この方法で作られたサンゴは母群体のクローン(遺伝的に同一の群体)であるため、必然的に遺伝的多様性が低くなってしまう。遺伝的多様性は、環境適応や種分化、および生物進化の源であり、低下すれば対象種の存続のみならず、関係する生態系に影響を及ぼす可能性がある。一部のサンゴ種では、この問題を克服するために、野外や増殖サンゴから受精卵や幼生を採取し目的のサイズまで育てる「有性生殖能を利用した増殖技術」が確立されているが、まだその成功例は多くない。その他の課題としては、植え付けしたサンゴが白化等の理由で死滅することや、一本一本手で植え付けていく作業効率の悪さ等が挙げられる。
しかし、現行の植え付け事業には課題も残る。1つ目の課題は、増殖・植え付けされているサンゴの「種の多様性の低さ」である。現在植え付けされている種の多くはミドリイシサンゴである。ミドリイシサンゴ類は、サンゴ礁を構成する主要なサンゴであり、生態学的な重要性を有する。しかし、自然のサンゴ礁にはミドリイシサンゴ類だけではなく、数十、数百という種が混在しているため、植え付けにより生み出されたサンゴ群集の組成と自然のそれとでは違いが見られる。
2つ目の課題は、増殖サンゴの「種内の遺伝的多様性の低さ」である。現行のサンゴの増殖法は、一般的に母群体から小さな断片を調整し、サンゴの無性生殖能を利用して増やすという手法である。この方法で作られたサンゴは母群体のクローン(遺伝的に同一の群体)であるため、必然的に遺伝的多様性が低くなってしまう。遺伝的多様性は、環境適応や種分化、および生物進化の源であり、低下すれば対象種の存続のみならず、関係する生態系に影響を及ぼす可能性がある。一部のサンゴ種では、この問題を克服するために、野外や増殖サンゴから受精卵や幼生を採取し目的のサイズまで育てる「有性生殖能を利用した増殖技術」が確立されているが、まだその成功例は多くない。その他の課題としては、植え付けしたサンゴが白化等の理由で死滅することや、一本一本手で植え付けていく作業効率の悪さ等が挙げられる。
生物・生態学的基礎知見を取り入れたアプローチ
現在沖縄では、美しい海を守るという共通のゴールのもと、漁協、行政、研究・教育機関、民間企業、ダイビング・マリンレジャー業者、ボランティアの方々など、職種および世代を超えて人々が保全再生事業に取り組む協力体制が構築されている(筆者のいる台湾にはこのような体制はないため、とても羨ましく感じる)。上述の課題を解決し事業をより発展させていくには、どのような取り組みに力を注げば良いか。また生物・生態学的な基礎知見はそれをどのようにサポートできるだろうか。沖縄県の各管理単位で事業を実行すると仮定して、以下に筆者の提案を示す。
現行のサンゴ保全再生事業の現場では主に以下の4段階のプロセス、「集める」→「育てる」→「植え付ける」→「管理する」で作業が行われる。「集める」では、当該海域の環境に関する情報を収集し、育てるサンゴを採集し、さらに人と資金を集める。上述の種の多様性と種内の遺伝的多様性の問題を解決するためには、まずこの「集める」の部分に時間をかける必要があると筆者は考える。具体的には、まず増殖・植え付けを行う海域や付近の海域に生息するサンゴ種に関して情報を収集すると同時に、当該海域でできるだけ多くのサンゴ種を採集する。サンゴの種同定は容易でないため、サンゴ分類学およびサンゴの水平・垂直分布、生息環境(水温、深度、光、波あたり、濁度など)に詳しい生物・生態学知識を有する人員を招請する。種内の遺伝的多様性を保つため1種あたり可能であれば50群体を採集するのが望ましい。仮に当該海域に50種のサンゴがいて、それを50群体集めるとその数は2,500株になる。2,500株は、サンゴの増殖の現場では決して多い数ではない。全ての株に標識を付けて種と群体の識別を行ったのちに、現場へと導入する。サンゴの飼育テーブル(図)を用意し種ごとに分けて飼育しても良い。
続く「育てる」の段階では、有性生殖を利用した増殖技法の確立を試みることで、種内の遺伝的多様性をさらに確保する。十分な量の配偶子を安定して得るためには、サンゴをある程度の大きさまで数年育てる必要があるため、飼育は長期戦となる。受精卵が得られたら、研究機関主導のもと、幼生の着底率を高める技術および稚ポリプの生存と成長を促す飼育技法の開発を種ごとに行う。近年ではサンゴ幼生の着底を促すホルモン様物質も複数同定されているため、これを応用しても良い。
次に、「植え付ける」の部分ではさまざまな形状のサンゴに対応可能な岩礁への固着技法を確立する。粘着性の非常に高いサンゴ移植用の接着剤も近年市販されている。移植の際には、各種サンゴの好む環境(光の強さ、波あたりなど)を考慮する。最後の「管理する」の部分では、増殖サンゴ(親群体)の日々の世話だけでなく、分子生物学的手法を用いて種内の遺伝的多様性のモニタリングを行う。具体的には、研究機関主導のもと、増殖サンゴ種全てのゲノム情報を解読し、多様性解析のための分子マーカー(SNPs)を同定する。モニタリングの結果、種内の遺伝的多様性が低いようであれば、増殖サンゴ種内の遺伝的多様性を野外集団のそれと近づけるように働きかける。現在は1種あたり数十万から百万円程度でゲノムが解読できるので、沖縄で見られるサンゴ約380種のゲノムを全て決定することも不可能ではない時代になってきている。
現行のサンゴ保全再生事業の現場では主に以下の4段階のプロセス、「集める」→「育てる」→「植え付ける」→「管理する」で作業が行われる。「集める」では、当該海域の環境に関する情報を収集し、育てるサンゴを採集し、さらに人と資金を集める。上述の種の多様性と種内の遺伝的多様性の問題を解決するためには、まずこの「集める」の部分に時間をかける必要があると筆者は考える。具体的には、まず増殖・植え付けを行う海域や付近の海域に生息するサンゴ種に関して情報を収集すると同時に、当該海域でできるだけ多くのサンゴ種を採集する。サンゴの種同定は容易でないため、サンゴ分類学およびサンゴの水平・垂直分布、生息環境(水温、深度、光、波あたり、濁度など)に詳しい生物・生態学知識を有する人員を招請する。種内の遺伝的多様性を保つため1種あたり可能であれば50群体を採集するのが望ましい。仮に当該海域に50種のサンゴがいて、それを50群体集めるとその数は2,500株になる。2,500株は、サンゴの増殖の現場では決して多い数ではない。全ての株に標識を付けて種と群体の識別を行ったのちに、現場へと導入する。サンゴの飼育テーブル(図)を用意し種ごとに分けて飼育しても良い。
続く「育てる」の段階では、有性生殖を利用した増殖技法の確立を試みることで、種内の遺伝的多様性をさらに確保する。十分な量の配偶子を安定して得るためには、サンゴをある程度の大きさまで数年育てる必要があるため、飼育は長期戦となる。受精卵が得られたら、研究機関主導のもと、幼生の着底率を高める技術および稚ポリプの生存と成長を促す飼育技法の開発を種ごとに行う。近年ではサンゴ幼生の着底を促すホルモン様物質も複数同定されているため、これを応用しても良い。
次に、「植え付ける」の部分ではさまざまな形状のサンゴに対応可能な岩礁への固着技法を確立する。粘着性の非常に高いサンゴ移植用の接着剤も近年市販されている。移植の際には、各種サンゴの好む環境(光の強さ、波あたりなど)を考慮する。最後の「管理する」の部分では、増殖サンゴ(親群体)の日々の世話だけでなく、分子生物学的手法を用いて種内の遺伝的多様性のモニタリングを行う。具体的には、研究機関主導のもと、増殖サンゴ種全てのゲノム情報を解読し、多様性解析のための分子マーカー(SNPs)を同定する。モニタリングの結果、種内の遺伝的多様性が低いようであれば、増殖サンゴ種内の遺伝的多様性を野外集団のそれと近づけるように働きかける。現在は1種あたり数十万から百万円程度でゲノムが解読できるので、沖縄で見られるサンゴ約380種のゲノムを全て決定することも不可能ではない時代になってきている。

■図 海底に設置したサンゴ飼育用テーブルの一例
サンゴ礁保全のために
現行の植え付け事業に反対する声もある。しかし基礎的知見を蓄積し、技術を一つ一つ確立していくことで、規模は限られるかもしれないが自然に近いサンゴ礁を再生できる可能性があると筆者は信じている。美しい海を守りたいという人々の想いを大切に、今後も産官学民が連携して取り組むことで、豊かなサンゴ礁が回復することを期待する。(了)
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