Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第574号(2024.07.05発行)

カロリン諸島の伝統的航海術の現状と継承の課題

KEYWORDS サタワル/スターナビゲーション/マイス
旅行ライター◆林和代

ミクロネシア、カロリン諸島に固有の伝統的な航海術が、2021年にユネスコの無形文化遺産の危機遺産として登録された。
この地球上で唯一生き残った、古来から連綿と続く航海術。
その現状と存続について、20年にわたって彼らと接して来た筆者の視点から考えてみたい。
双胴カヌー「マイス」による伝統的な航海
マウ・ピアイルク氏(以下敬称略)は、ミクロネシア南部のカロリン諸島にある離島、サタワルの航海師で、1976年、ハワイで建造された双胴カヌー「ホクレア」を伝統的な航法でタヒチまで導き、その後も請われてハワイに航海術を伝授した人物である。そんなマウへの感謝の印として、ハワイでポリネシア式の双胴カヌー「マイス」(写真1)が建造され、2007年、マウに贈られた。年老いたマウに代わってキャプテンに就任した息子のセサリオ・セウラルーは、パラオ大統領の要請を受けてパラオのカレッジで航海術を教えることになり、マイスと数名のサタワル青年を連れてパラオに移り住んだ。
2003年、偶然この親子と知り合った筆者は、セサリオの下、ミクロネシア式のシングルアウトリガーカヌーに1回、マイスには5回乗り、パラオを起点にヤップ、ウォレアイ、サタワル、イフルック、サイパンなどミクロネシアの島々を巡ってきた。(写真2)移動距離はのべ1万km以上になる。2023年春にも乗船し4カ月ほど航海したが、今回は出発後すぐに風が止んでしまった。帆走カヌーは風がなければ動けない。炎天下で漂流すること1週間、ついに飲み水がなくなったが、若きサタワル青年たちが2km以上泳いで無人島に渡り、100個ものヤシの実を取ってきてくれて難を逃れた。
このように自然に大きく依存する彼らの航海術はスターナビゲーションとも呼ばれており、基本的に3つの要素で成り立っている。まずは32の星や星座を利用して方角を知るスターコンパス(写真3)。そして脳内に刻み込まれた地図情報。そこには島々の位置はもちろん、水中のリーフさえも詳細に記憶されている。さらには、エタックと呼ばれる現在地を把握するためのイメージ航法。自分が乗るカヌーを中心に置き、カヌーが前進すれば、星々と、肉眼では見えないが周囲にあるはずの島々が後ろに移動する。このように自分と周囲の位置関係を絶えずトレースしながら海を渡っていく。
2023年の航海の途中、セサリオにノートを手渡すと、カヌーが出航何日目にどちらにどう進んだか、一週間分の航跡をスラスラと書いてしまった。この記憶力にはいつも驚かされる。またある時、いびきをかいていたセサリオが不意に目をさますと舵取りに向かって、「今本当にトゥムール(南東の星:サソリ座α)か?メサリュー(1つ南寄りの星:サソリ座)じゃないか?」と言った。舵取りが実習用のコンパスを確認すると、確かにメサリューに向かっていた。コースをわずかに外れていたことに寝ながら気が付いたのだ。カヌーの揺れ方でわかるのだそうだ。彼は幼い頃から父親とともに何度も航海を経験している。知識の豊富さだけでは説明がつかない、体が覚えた特殊な感覚が染み付いているのだろう。
■写真1 サタワル島に到着した双胴カヌー、マイス

■写真1 サタワル島に到着した双胴カヌー、マイス

■写真2 サタワル島の航海カヌー

■写真2 サタワル島の航海カヌー

■写真3 サタワル島のスターコンパス:32個のサンゴ石を方角を知るための星や星座に、中央のヤシの葉をカヌーと見立てる。

■写真3 サタワル島のスターコンパス:32個のサンゴ石を方角を知るための星や星座に、中央のヤシの葉をカヌーと見立てる。

サタワル島における次世代の台頭
マウ親子の故郷サタワルは、カロリン諸島にある小さなサンゴ礁の島で、周囲6km、人口500人ほどである。片道10日かかるヤップ島からの連絡船は1~2カ月に一度しか来ない。ほぼ自給自足で水は雨水タンクに依存している。そんな孤立した島だからこそ、食料確保や近隣の島にいる親族を訪ねるため、今もカヌーは必需品である。連絡船が入れば現金を取り出し食料やガソリンを買うが、たとえ船が入らなくても、風で走るカヌーとタロイモとココナツさえあれば、彼らは生きていける。
とはいえ、筆者が初めて訪れた2006年当時、人々は航海術の衰退を心配していた。要因の一つは成人病の蔓延だ。ほぼ自給自足とはいえ、インスタントラーメンやスパム等の缶詰、砂糖などの輸入食品が日常的に食されるため、糖尿病や高血圧が多発し、優秀な航海者たちが若くして足を切断したり、亡くなっていた。また、米国の学校制度の導入も大きな要因だ。島に小中学校しかないため、高校進学時に島を出た若者は、そのまま戻らないケースも多い。航海術を学ぶに適した年頃の若者が島に少ないのだ。
それでも2016年、グアムで開催された太平洋芸術祭にサタワルから参加したカヌーは、2人の30代航海師が共同でナビゲーターを務めていた。また2023年に立ち寄ったサタワルでも若き優秀な航海師たちが島の重責を担う立場になっており、航海も盛んに行われていた。この20年、国際的なカヌーイベントへの参加は50〜70代が中心だったが、2024年6月にハワイで開催された太平洋芸術祭には40歳になったばかりの若手も招聘された。ようやくインターナショナルな場にも次世代が登場し始めたようだ。
カロリン諸島の航海術、その持続可能性
離島では、航海術の継続にお金はかからない。むしろ島では今も生存に必要な「仕事」であり、継承は概ね順調に行われている。問題は離島の外の世界=貨幣経済の地域である。離島を一歩出れば、ヤップであれサイパンであれ、生きるために必要なのはお金を稼ぐ仕事であり、航海術ではない。貨幣経済社会で航海術の復興は、大変なお金と時間がかかる贅沢な活動でもある。実際、セサリオの生徒となったパラオ人たちは、仕事があるので長距離の実習航海にはほとんど参加できない。もし本気でパラオ人航海師を育て、継承するならば、島内でうまく宣伝して多くの若者たちを引きつけて教育し、そこから優秀な者を選び「職業」として航海師にする、すなわち給料を支払う必要がある。
ホクレア以降、完全に航海術を失っていた島々は、航海術の復活は海洋民族としてのアイデンティティを支える力になると各地で復興の旗を掲げた。しかし、数年で金銭トラブルが多発した。ポリネシアでは米国式のマネタイズとPR、マネージメントを良くも悪くも活用したエリアだけがなんとか続けている。一方ミクロネシアでは、サタワルやプルワトなど離島の航海師を招いて地元で復活させる試みが何度もなされたが、やはり分裂や消滅を繰り返し、招かれた航海師が無職となって生活に困窮するという事態が起こっている。地元の金持ちに依存できた場合は存続できているが、持続可能性は危うい。
地域なり民族の総意として航海術の復活を真に願うならば、まず航海師の類稀なる能力をリスペクトして待遇を整え、同時に「憧れの職業」となるようなイメージ作りを行い、一人前の航海師になるには相当の時間とお金が必要であることを覚悟して、マネタイズを含めたマネージメントを辛抱強く行なっていく必要がある。しかし、離島の航海師たちは、そうしたことが概ね得意ではない。
ミクロネシア、カロリン諸島の伝統的航海術が、2021年にユネスコの無形文化遺産の危機遺産に登録されたのを好機として、周囲がさまざまな問題を丁寧に捉え、改善していくことを切に願う。(了)

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