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オーシャンニューズレター

第573号(2024.06.20発行)

魚類特有の抗体の役割

KEYWORDS IgT/魚病/水産用ワクチン
福井県立大学海洋生物資源学部先端増養殖科学科准教授◆瀧澤文雄

抗体は、細菌やウイルスなどの病原体に結合して我々の体の中から排除したり、侵入を防いでいるタンパク質である。
抗体の種類は動物ごとに異なり、魚類では脊椎動物全般に存在するIgM抗体が主に体の中の免疫応答に重要であるのに対して、魚類特有のIgT抗体が体表の粘膜免疫応答に関与することが分かってきた。
ヒトの感染症予防と同様に、養殖産業においても水産用ワクチンによる予防対策が行われており、今後、魚類の抗体の特徴を活かした効果的なワクチンや評価法の開発が期待される。
ここでは魚類の抗体の特徴と水産用ワクチンへの応用について紹介する。
病原体の排除に関わる抗体
抗体は、免疫細胞のB細胞から血液や粘液などの体液中に分泌されるタンパク質であり、細菌やウイルスなどの病原体に結合し、病原体の侵入防止や排除に関わっている。B細胞は感染した病原体を「記憶」することができるため、同じ病原体が再び感染した際により速く、より多くの抗体を産生して迅速に病原体を排除することが可能である。B細胞の「記憶」は、ヒト、家畜、そして養殖魚などの動物の予防接種に利用されており、目的の病原体の成分や無毒化した病原体から作られるワクチンを予め動物に投与することにより、B細胞にその病原体を記憶させて感染を予防している。そして、血液や粘液などの体液を採取して、体液中の病原体に対する抗体の量を測定することで予防接種の効果を評価することができる。
抗体は動物種によって異なる種類が存在し、ヒトなどの哺乳類では主に5種類の抗体(IgM、IgG、IgA、IgE、IgD)が存在する。これら抗体は、種類により産生される体内の部位や役割が異なる。例えば、初めて感染した病原体をB細胞が認識した場合、まず初めにIgM抗体が分泌され、免疫応答が進むと血液中の病原体をより効果的に排除できるIgG抗体を分泌するようになる。一方、粘液中ではIgA抗体が多量に分泌されて常在細菌叢の制御や病原体の体内への侵入を阻止している。
魚類では、IgM抗体が1970年代にさまざまな魚種で同定され、その機能が調べられてきた。そして、魚類のIgM抗体も病原体やワクチンに対して産生されること明らかになってきた。その後、分子生物学の手法の発展とともに1997年にIgD抗体、そして2005年に魚類特有のIgT抗体(Tは真骨魚類Teleostに由来)が新たに発見され、魚類ではIgM、IgD、IgTの3種類の抗体が存在することが明らかになった。
■図1 魚類B細胞と抗体の特徴

■図1 魚類B細胞と抗体の特徴

魚類特有のIgT抗体の研究から判明したIgMとIgTの機能の違い
B細胞と抗体は種類により役割や分布が異なり、ヒトなどの哺乳類ではリンパ節や脾臓のB細胞がIgG抗体を血液中に分泌し、腸管や肺などの粘膜組織のB細胞が粘液中へIgA抗体を分泌することが知られている。一方、魚類はIgGもIgAも存在しないため、どこでどの抗体が働いているのか不明な点が多かったが、ニジマスではIgMに加えてIgT抗体を研究するためのツールが作製され、IgM+B細胞とIgT+B細胞の2種類のB細胞、そしてこれらB細胞から産生されるIgM抗体とIgT抗体の研究が行われてきた。
ニジマスのIgM+B細胞は魚類の免疫組織である腎臓や脾臓において主に分布するのに対して、腸管、皮膚、エラなどの粘膜組織においてはIgM+B細胞とIgT+B細胞がほぼ同じ割合で分布している。また、IgM抗体は血清中に多量に存在するのに対して、IgT抗体は血清と粘液中において同程度の濃度で存在している。また、抗体の最も重要な役割は、病原体に結合し感染を防御することであり、細菌、ウイルス、寄生虫などの病原体が感染したニジマスでは、IgM+B細胞が脾臓・腎臓において活発に増殖し、病原体特異的なIgM抗体を血液中に分泌する一方で、IgT+B細胞は粘膜組織で活性化して病原体に特異的なIgT抗体を粘液中に分泌している。さらに、IgT抗体が存在しないニジマスを作製して感染実験を行うと、粘膜組織における病原体の感染率や感染魚の死亡率が上昇することから、IgT抗体が粘膜組織の感染防御に必要な因子であることが分かった。
また、近年の哺乳類の研究では、IgA抗体が腸管などの粘液中に分泌されて常在細菌叢に結合し、細菌叢のバランス制御に関わることが分かっている。これと同様にニジマスのIgT抗体も粘膜組織の常在細菌に結合する主要な抗体であり、エラの常在細菌のうちおよそ25%の種類に結合し、その中には腸内細菌目に属する潜在的有害菌や短鎖脂肪酸を産生するプロピオニバクテリウム目の有益菌が含まれていた。さらに、エラのIgT抗体がなくなることにより常在細菌叢の構成が変化し、有益菌が減少する一方で有害菌の増加が認められたことから、IgT抗体は粘膜組織の常在細菌叢のバランス維持を制御する役割があることが分かっている。
魚類の抗体研究の水産用ワクチンへの応用
これまでの研究から、魚類ではIgM抗体が全身を循環する血液で主に働くのに対して、IgT抗体は粘膜組織の局所で感染防御と恒常性維持に必須な抗体であることが分かった。世界的な成長産業である水産養殖業において、感染症による魚病被害が問題となっている。魚病の予防対策として、抗生物質による治療対策が行われてきたが、薬剤耐性菌の出現や環境中への汚染が問題となっている。そのため、魚の免疫機能を活用する水産用ワクチンによる魚の病気の予防対策が推進されている。養殖魚に使われる水産用ワクチンは、薬機法(旧薬事法)に基づいて製造販売が承認されており、魚の病気への効果が担保されている。また、ワクチン投与による魚への安全性とともに、食品中へワクチン成分が残留する心配もないため、魚、環境、そして消費者にとって安全かつ持続的な水産物の生産に貢献できるメリットもある。
当初の水産用ワクチンは、一尾ずつ接種する煩雑な注射法ではなく、体表の皮膚やエラも粘膜組織である魚類の特徴に着目して、餌にワクチンを含めて給餌する経口法やワクチン液に魚を漬け込む浸漬法など、投与が簡便な粘膜ワクチンの開発が主流であった。しかし、以前は粘膜面で主に働くIgTの抗体価を測ることができる魚種がなく、効果的な粘膜ワクチンの開発も進まず、現在も市販されているワクチンは2種類の病気(レンサ球菌症とビブリオ病)に対するもののみである。そのため、現在の水産用ワクチンの多くは、可食部である筋肉ではなく腹腔に注射して投与する注射ワクチンが主流となっており、目的の病原体に対するIgM抗体が誘導できて高い効果を示している。しかし、注射ワクチンは、多数の養殖魚を水槽・生簀から取り出して麻酔をかけて接種するため多大な労力を伴うのも事実である。そのため、今後、粘膜組織におけるIgT+B細胞の活性化およびIgT抗体の産生誘導の仕組みを理解することにより、投与が簡便かつIgTを効果的に誘導できる粘膜ワクチンの開発が進むことが期待される。また、海外では自動ワクチン接種機が開発され、短時間で多くの養殖魚にワクチンを注射法により投与することが可能である。そのため、血液や全身免疫において重要なIgM抗体のさらなる研究も必要になってくる。今後、魚類のIgMおよびIgT抗体の誘導機構の解析が進むことにより、養殖産業の課題である魚病に対するより効果的なワクチンの開発につながり、より安定的かつ持続的な養殖産業に結び付くと期待される。(了)
■図2 抗体を活用した水産用ワクチンの現状と今後

■図2 抗体を活用した水産用ワクチンの現状と今後

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