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オーシャンニューズレター

第572号(2024.06.05発行)

海を脱植民地化する?国際海洋法をめぐる先住民族の闘い

KEYWORDS CAOF協定/BBNJ協定/先住民族の権利に関する国連宣言
中央大学法科大学院教授◆小坂田裕子

先住民族は「先住民族の権利に関する国連宣言」を国際海洋法においても適用することを求めている。
「中央北極海無規制公海漁業防止協定」(CAOF協定)と「国家管轄権外区域の海洋生物多様性に関する協定」(BBNJ協定)において、先住民族の権利や利益に配慮する規定がどのように入り、その内実がいかなるものなのか、現状と課題について解説する。
国連宣言に基づく先住民族の権利運動
2007年9月13日に採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(国連宣言)は、自決権や知的財産権、土地および領域・資源に対する権利等、先住民族の権利を包括的に規定する国際文書である。国連宣言の起草作業では先住民族をどう表記するかが争点の一つであった。先住民族は、国際人権規約共通第1条に規定される人民(peoples)の自決権を自分たちも有していることを主張し、国連宣言で“indigenous peoples”(複数形)を使うよう求めたが、複数の国家は先住民族に分離独立権を含む自決権を認めることに反対をして、“indigenous people”等の異なる表現を用いるよう主張した。最終的に、国連宣言第46条で領土保全に言及し、分離独立権を否定する形で、先住民族の自決権が認められ、“indigenous peoples”(複数形)が用いられることになった。先住民族は、自らの自決権を暗示する文言として“indigenous peoples”(複数形)を他の国際文書においても使用することを求めてきた。
もっとも、国連宣言では国家が大文字で記載されるのに対して(States)、先住民族は小文字で記載されており、そのことが両者の非対称性を象徴するものとして、一部の先住民族から批判の対象となっている。先住民族は、国連宣言を他の国際法分野でも適用することを求めているが、国際海洋法も例外ではない。以下では、特に注目される最近の動向について紹介する。
中央北極海無規制公海漁業防止協定
2018年10月3日、北極海沿岸5カ国に主要関心漁業国・機関を加えた全10カ国・機関の間で、「中央北極海無規制公海漁業防止協定」(CAOF協定)が締結された。北極評議会の常時参加者である先住民族組織のイヌイット極域評議会(ICC)からの協定交渉参加の要求に応える形で、米国、カナダ、デンマークが先住民族組織からの代表を国家代表に加えた。その結果、CAOF協定は、先住民族に関する次のような規定を含んでいる。
CAOF協定は前文で国連宣言に言及し、先住民族を“indigenous peoples”(複数形)と表現している。また同前文は、北極の先住民族を含む北極の居住者の利益を認識して、これらの居住者が「北極海における海洋生物資源の長期的な保存及び持続可能な利用」等に関与することの重要性を強調する。また中央北極海の公海水域における漁業の保存および管理の基礎として、北極海の海洋生物資源および生態系に関する科学的な知識だけでなく、先住民族および現地の知識(indigenous and local knowledge)の双方の利用を促進することにも言及する。第4条4項では、科学的調査および監視に関する共同計画の作成にあたり、先住民族および現地の知識を考慮に入れることを確保することを求め、第5条2項では、協定の実施を促進するために、北極の先住民族を含む北極の社会の代表者が参加することが可能な委員会等を設置することができるとされる。なお、これらの規定に関して、科学調整部会(Scientific Coordinating Group)の手続規則等が採択され、先住民族代表も国家代表の一部として会合に参加する形で既に動き始めている。
米国アラスカ州ウトキアグヴィク(バロー)のクジラの骨でできたアーチ越しに見える北極海(2018年8月に筆者撮影)

米国アラスカ州ウトキアグヴィク(バロー)のクジラの骨でできたアーチ越しに見える北極海(2018年8月に筆者撮影)

国家管轄権外区域の海洋生物多様性に関する協定
2023年6月19日、「海洋法に関する国際連合条約の下の国家管轄権外区域の海洋生物多様性と持続可能な利用に関する協定」(BBNJ協定)が採択された。本協定の交渉では、太平洋小島嶼開発途上国を中心とする一部の国家代表が、BBNJ協定に伝統的知識とその保有者である先住民族と地域社会(local communities)の規定を入れるよう要求した。そのためBBNJ協定は、先住民族に関する規定を多く有している。
BBNJ協定は前文で国連宣言に言及し、先住民族を大文字の“Indigenous Peoples”と表現する。近代国家成立以前からそこに暮らしていた先住民族は、国際法の脱植民地化を目指して、自らが国民国家と対等な存在であることを主張し(Nation to Nationの関係)、その象徴として、条約等において大文字で記載される国家(States)と同じ大文字で先住民族を記載することを求めている。BBNJ協定は、先住民族に国家と同じ地位や特別な権利を認めるものではないが、その利益や権利への「配慮」はこれまでの国際海洋法にはなかったレベルのものである。
例えば、先住民族と地域社会は、海洋保護区を含む区域型管理手段の設定にあたり、関連ステークホルダーとして協議されなければならず(第19条2項、第21条2項(c))、その伝統的知識は保護を必要とする領域の特定に利用される(第19条3項、同4項(j))。また環境に対するリスクを伴う活動を実施する前に当該活動の環境への影響を評価する環境影響評価(EIA)について、科学および科学的情報だけでなく、先住民族と地域社会の関連する伝統的知識にも基づくことが要求されている(第31条1項(c))。また科学技術委員会について、「先住民族及び地域社会の伝統的知識に関する専門知識を含む学際的な専門知識」等の必要性を考慮した上で委員構成が決定される(第49条2項)。
現状と課題
CAOF協定とBBNJ協定では、先住民族を象徴的な文言を用いて表現しているが、国際法全般と同様に、国際海洋法を構造転換するほどのインパクトがあるわけではない。しかし、これまで国際海洋法では、基本的には先住民族に関する規定がなかった※ことを考えれば、これらの条約で先住民族の利益や権利への「配慮」が条文上明記され、締約国が先住民族の声により耳を傾けなければならなくなってきたことは特筆に値する。しかもこのような成果が、先住民族自身による国連宣言に依拠した権利活動に基づいてもたらされている側面があることにも留意される必要がある。今や先住民族は、国際法形成における重要なアクターなのだ。
その一方で、先住民族が求めるようになっている地域社会との区別は、両者の定義とも絡んで、非常に難しい問題を提起している。先住民族は、国連宣言が適用されない地域社会と、多くの国際条約においてセットで扱われていることは、自らの権利を弱めることにつながると懸念している。海の脱植民地化に向けた先住民族の闘いは始まったばかりだ。(了)
※ 国際捕鯨取締条約の下における先住民生存捕鯨は国際捕鯨委員会(IWC)の決議に基づいて認められた

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