Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第572号(2024.06.05発行)

氷の島グリーンランドで何が起きているのか
〜気候変動が北極の自然環境と社会に与える影響〜

KEYWORDS 氷河氷床/海洋生態系/北極域社会
北海道大学低温科学研究所教授◆杉山 慎

北極グリーンランドで氷河氷床の融解が止まらない。
氷の融け水は海洋とその生態系に影響を与え、さらには厳しい自然に生きる人々の暮らしにもインパクトを生じている。
北極域で進行する急激な気候変動と自然環境の変化、さらにその社会影響を理解するために、現地との協働が求められている。
グリーンランドの氷が融けると何が起きるか
北極海に面した氷の島、グリーンランドをご存じでしょうか?北米大陸と欧州の間、日本から見ると北極点の反対側に位置しています(図1)。島の面積は日本国土の約6倍、その80%が平均1,700mの厚い氷に覆われています。この氷は「グリーンランド氷床」と呼ばれる北半球最大の氷河です。その他にも無数の氷河が陸地を覆っています。北極域で進む地球で最も急激な温暖化、その影響を受けて氷河氷床が急速に融解し、地球環境に深刻な影響を与えています。さらには氷河の融解に代表される自然環境の変化が、グリーンランドに住む人々の暮らしにも深刻な影響を与えています。
陸上にある氷河氷床が融けて海に流れ込めば、海水が増えて水面が上がります。実際いま世界で起きている海面上昇は、その半分が氷河氷床の融け水によるものです。中でもグリーンランドからの流出が最も大きく、全世界の氷河が海水面に与える影響の40%を占めています。氷の融解によって生じる海の変化は海水面だけではありません。グリーンランドが位置する北大西洋は、赤道から北上してきた海水が冷やされて沈み込む海洋大循環の要所です。淡水によって海水の塩分が薄まれば沈み込みが阻害されて、大西洋の南北循環が止まってしまう可能性があります。そのようなことになれば、赤道域から運ばれる温かい海水の供給が滞り、北米東岸や欧州は急速に寒冷化すると考えられます。
■図1 グリーンランドとカナック村(北極地図©北極環境研究コンソーシアム・国立極地研究所2015)

■図1 グリーンランドとカナック村(北極地図©北極環境研究コンソーシアム・国立極地研究所2015)

カナック村に見る自然環境の変化とその社会影響
私たちは氷河氷床の変動とその影響を明らかにするため、2012年からグリーンランド北西部カナック村で観測を続けています。長期間の観測によって融解の実態が明らかになりました。地球平均の4倍の速さで進むともいわれる北極域の激しい気温上昇が、氷河融解の主要因であることは間違いありません。しかし気温上昇だけではないことも分かってきました。環境の変化によって繁殖した微生物によって、氷が暗く染まるようになりました(図2a)。その結果、夏に黒い服を着るのと同様、光エネルギーの吸収が増えて氷が融けやすくなったのです。また、大気だけでなく海洋の温暖化も氷河にインパクトを与えています。グリーンランドでは氷河の末端が海に流れ込んでいますが、この部分が温まった海水に融かされて後退していることも判明しました(図2b)。
海の影響も受けて変動する氷河氷床が、海洋生態系に大きな役割を果たしていることも明らかになってきました。氷河の末端が海に浸かっていると、融け水は氷河の底から海に排出されます。深い海の底に吐き出された淡水は、海水との密度差によって湧きあがります。その時に深い海から、栄養分を含んだ海水、プランクトン、魚などが巻き上げられて、海面まで運ばれるのです(図2c)。氷が良く融ける夏になると、氷河の前にはたくさんの海鳥が群れを成し、アザラシの姿も良く見かけます。彼らは融け水が運ぶ餌を目当てに集まっている、つまり氷の融け水が海の生態系を支えているのです。もし氷河が縮小して海から退いてしまえば、海の生き物を取り巻く環境は大きく変わってしまうでしょう。
カナック村での私たちの調査には、現地の人々からの助けが欠かせません。例えば海での観測には、地元の漁師に船を出してもらいます。彼らと活動するうちに、私たちが調べる自然環境の変化が、人間社会に大きな影響を持っていることに気がつきました。漁業や狩猟を通じて海の恵みに頼るグリーンランドでは、海洋生態系の変化はとても重要です。海水温の上昇に伴って、近頃では見慣れない魚や貝が獲れるようになったとのこと。また海氷が海を覆う期間が減って、犬ぞりを使った伝統的な狩猟が難しくなった一方、移動や輸送に船を使える機会が増えています。そして氷河の融解も、社会に重要なインパクトを生じています。氷河から流出する河川の増水によって、カナック村の道路や橋が破壊される様子を何度も目の当たりにしました。夏に気温が上がった時に、大量の融け水で洪水が起きたこともあります。しかしながら、もっと規模の大きな洪水災害は豪雨によって起きています。日本と同様に北極でも、過去に例のない集中豪雨が増えているのです。急な斜面では豪雨による地すべりが発生して、集落への被害も出ています。
■図2 (a)微生物に覆われて暗く染まった氷河。(b)海に流れ込む氷河。(c)融け水によって形成される氷河前の生態系。(d)カナック村でのワークショップ。

■図2 (a)微生物に覆われて暗く染まった氷河。(b)海に流れ込む氷河。(c)融け水によって形成される氷河前の生態系。(d)カナック村でのワークショップ。

北極域の気候変動を現地社会と共に理解する
氷河から始まった私たちの研究活動ですが、氷河から海洋生態系へ、さらには人間社会にまで課題が広がりました。海洋生態系や陸域の分野に加えて、社会科学の研究者とも協力して、気候変動に起因する自然環境の変化と、その社会影響を広く調査しています。その研究成果をカナック村の人々と共有することで、持続的な将来に貢献できるのではないかと考えました。そこで2016年から始めたのが村人とのワークショップです(図2d)。私たちからは研究プロジェクトとその成果について紹介し、参加した村人からは現地で目にする環境変化について意見をもらいます。厳しい環境に共に暮らす人々は気候の変化に敏感で、自然を観察する眼は正確です。ワークショップでの議論を通じて、研究上の問題点が明らかになり、次の課題への方向性が見えてきます。
北極域での研究を進める上で、その土地に暮らす人々との対話がとても重要です。北極の変化が地球規模の影響を持っているとはいえ、現地の理解なしに調査を進めることはできません。また調査を通じて明らかになった成果やデータを共有して、現地の将来に役立てる必要があります。さらに次のステップとして、研究課題を設定する段階から相談を重ね、共同でプロジェクトを提案することが求められています。そのような取り組みは一朝一夕には実現しません。カナック村での研究活動が10年を超えた今、現地で必要とされている研究プロジェクトを村人と共にデザインして、その達成のために共に汗を流せたらと考えています。(了)

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