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オーシャンニューズレター

第572号(2024.06.05発行)

ロシアによるウクライナ侵攻と北極国際協力

KEYWORDS ウクライナ侵攻/北極評議会/中央北極海無規制公海漁業防止協定
神⼾⼤学大学院国際協力研究科極域協力研究センター研究員◆稲垣 治

ロシアによるウクライナ侵攻をうけて、北極国際協力の中には北極評議会のように機能を一時停止してしまったものもあれば、中央北極海無規制公海漁業防止協定のように侵攻後も比較的順調に機能しているものもある。
順調に機能していないものでも、多くは協力の枠組み自体は存続しており、今後息を吹き返すことも十分考えられる。
全体としてみれば、ウクライナ侵攻が北極国際協力に大きな影響を与えているのは確かであるが、北極国際協力を崩壊させたわけではない。
ウクライナ侵攻の衝撃
2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、北極国際協力に大きな影響を与えている。北極国際協力は、1987年のゴルバチョフ ソ連書記長によるムルマンスク演説を契機に冷戦後ほぼゼロの状態から30年以上をかけて発展してきた。その北極国際協力の成功の象徴が、1996年に北極圏国(Arctic Eight : A8※)が設立したハイレベルフォーラムの北極評議会(Arctic Council:AC)である。2000年代半ばに北極での急速な気候変動が明らかになり、北極が世界から注目されるようになると、ACは北極国際協力の中心的なフォーラムとみなされるようになった。日本も2013年にオブザーバーになっている。ACはこれまでさまざまなプロジェクトを実施してきたが、特に北極環境の科学的評価は影響力があり、また近年では条約交渉を行うフォーラムとしても機能してきた。ところがウクライナ侵攻は、このACを一時存続の危機に陥れた。
侵攻直後の2022年3月3日ロシアを除く北極圏国(A7)は共同声明を出し、侵攻を非難するとともに、ACの作業を継続することを可能にする必要な方策を検討するまで、ACのすべての会合への参加を停止すると決定した。注意すべきは、A7は自らの参加を停止したのであって、ロシアの参加を停止したわけではないことである。ここにはロシアを過度に刺激しないようにするA7の配慮が読み取れる。他方でこの措置によりACの作業は中断を余儀なくされた。同年6月にはA7は再び共同声明でロシアの参加が伴わないプロジェクトの再開を表明したが、実際にどの程度のプロジェクトが再開されたのかは不明である。
2023年5月11日ロシアを含むA8と6つの北極先住民族組織(常時参加者)が参加して、「北極評議会第13回会合」がロシアのサレハルドとオンラインで開催された。合意された声明では、第1に北極圏国は、ACを守り、強化するために取り組むという約束を確認した。これによりACの瓦解は一応回避された。第2にロシアの議長国が終了し、2023〜2025年の期間ノルウェーが議長国を務めることが確認された。ACでは2年毎に構成国が議長国を持ち回ることになっており、侵攻開始当時ロシアが議長国だったことから、円滑な議長国の移行が懸案であったが、この点も解決をみた。他方でこの声明では、ACの作業再開の具体的な方法について言及はない。
ACの再開方法については、そのためのガイドラインが2023年8月にA8よって合意された。ACには、閣僚会合、高級北極実務者(SAO)会合、そしてこれまでACのプロジェクトを実施してきた6つの作業部会と専門家部会などの補助機関の3つのレベルがあるが(図参照)、このガイドラインは、作業部会と専門家部会の作業をプロジェクトレベルで再開させるものである。そのための意思決定は、書面手続きによるとされた。さらに2024年2月には、作業部会の公式会合をヴァーチャル方式で段階的に再開していくことがA8によって合意された。これにより作業部会の意思決定が容易になると考えられる。一方で、同じく2月には、ロシアがACへの資金拠出を中断したとの報道もあった。このように困難が続く中でも、ACは、閣僚会合やSAO会合といった政治レベルの協力ではなく、まずは作業部会という主に科学的・技術的な協力から再開を模索している。
AC以外にも深刻な影響を受けている協力がある。例えば、バレンツ地域の協力フォーラムであるバレンツ・ユーロ北極評議会(BEAC)からは、2023年9月にロシアが脱退してしまった。またACの下で交渉されたA8を締約国とする3つの協定(北極捜索救助協定、北極油濁汚染準備対応協定、北極科学協力協定)についても、協定自体は法的には引き続き有効と考えられるが、締約国会合が開催できないなどその実施に支障が出ている。
■図 北極評議会の組織構造(筆者作成)

■図 北極評議会の組織構造(筆者作成)

北極国際協力は崩壊したのか
ではウクライナ侵攻によりあらゆる北極国際協力がACのような深刻な影響を受けているのだろうか。北極国際協力は、ACやBEACのような非拘束的文書で設立されたフォーラムと北極に適用される地域的条約などから構成される。重要なのは、侵攻によりこうしたあらゆる北極国際協力が機能を停止してしまったわけではないということである。比較的順調に機能しているものとして、中央北極海無規制公海漁業防止協定(CAOFA)がある。
CAOFAは、中央北極海の公海水域(協定水域)の規制されていない漁獲を防止することを目的として、2018年に署名され2021年に発効した条約である。締約国は、北極海沿岸国(カナダ、デンマーク、ノルウェー、ロシア、米国)と中国、アイスランド、日本、韓国、欧州連合の10カ国・機関である。協定水域では未だ商業漁業は開始されていないが、CAOFAは、予防的に保存管理措置に基づいてのみ商業的漁獲と試験的漁獲を許可することとし、また協定水域の生態系に関する科学的知見を蓄積・考慮した上で、商業漁業に向けて新たな地域的漁業機関または枠組みを設けるかどうかを将来的に判断することになっている。
CAOFAの下では、発効後、締約国会合や科学的会合の開催にはじまり、科学的調査と監視に関する共同計画(JPSRM)の作成、試験的漁獲のための保存管理措置の採択などさまざまな作業が予定されている。注目されるのは、侵攻開始後も、ロシアの参加の下、比較的順調にこれら作業が進んでいることである。すなわち2022年11月に韓国で開催された第1回締約国会合では、手続規則が採択され、議長も選出された。さらに2023年6月には同じく韓国で第2回会合が開催され、JPSRMの骨子が決定されるとともに、試験的漁獲のための保存管理措置の策定工程が合意され、また第3回会合を2024年6月に韓国で開催することを決めた。
以上をまとめると、全体としてウクライナ侵攻が北極国際協力に大きな影響を及ぼしているのは確かな一方で、北極国際協力を崩壊させたわけではない。北極国際協力の中には、侵攻後も順調に機能しているものもあるし、順調に機能していないものでも、多くは協力の枠組み自体は存続しており、今後息を吹き返すことも十分考えられる。(了)
※ A8とは、カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、米国

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