Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第565号(2024.02.20発行)

海と人とを学びでつなぐ3710Lab

KEYWORDS 海洋教育/海との共生/デザイン
(一社)3710Lab代表理事,東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センター特任講師◆田口康大

海と人とのつながりを学び探ることは、魅力的で楽しい。
それ自体が私たちがあらためて海とつながっていく営みであり、海とどう生きるのかという問いへの答えを形成していく。
この営みを展開するために設立されたのが3710Lab(みなとラボ)である。
海とどのように関わり生きるのかを考える場をつくる
人類は海とどのような関わりを持ってきたのか、そして今後どのように関わっていくのか。また、この問いに向き合う場は、社会のどこにあるのか。2011年の東日本大震災に伴う被害に接し、そのような問題意識を抱いた。このことが、「海と人とを学びでつなぐ」をテーマに活動する一般社団法人3710Lab(みなとラボ)の設立へとつながっている。2013年、筆者は東日本大震災の爪痕が生々しく残る、宮城県気仙沼市に向かっていた。被災地と呼ばれる場所で、今、教育として何が求められているのかを確認したかったからだ。
教育学を専攻し、人間と教育との関係について実践的かつ理論的な研究を行なってきた筆者は、その年東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター(現、東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センター)に着任し、以降海との関わりを深めるさまざまな活動を行なっていた。海洋教育促進研究センターでのミッションは名称そのままに海洋教育を促進することであったが、その際の「海洋教育」は海洋学的な意味合いが強く、海に関する科学的な知識を伝える=教育する、そんなイメージであった。研究課題に向き合うなかで、海洋学的な知識を伝える意義は十分理解しつつも、恩恵と畏怖が併存するこの海とどのように関わり生きるのか、それを考えることが今必要なのではないかとの思いを強めていた。知識はその問いを考える過程で身につけていくものであると考えるようになっていた。高校時代の恩師が気仙沼市の教育長をされていたこともあり、現地で多くの話を聞くことができた。なかでも印象的だったのは、教育長が「海に向き合う教育の不足」を語られたことだった。自然現象としての海の特性やメカニズム、それに支えられた産業についての学習が足りなかったと。だが、それ以上に強く語られたのは、なぜその教育/学びが必要なのかという考え、いわば、教育の思想的な基礎づけの必要性であった。気仙沼市としてどのような教育を目指していくのか、それをあらためて考えなければならない、ということだった。
なぜ海洋教育なのか。その問いは、海洋教育とは何かという問いとセットである。自分なりの回答を言えば、海洋教育とは海と人との共生を探究する教育である。海とどのように関わり、生きていくのかを考え、形作っていく、そのものが探究的な営みである。しかしながら、この営みは社会において日常的に行われるものではない。日常の経験によっては子どもが到達し難いからこそ、「教育」として組織的・計画的に行われる必要がある※1。
海とつながることの楽しさを取り戻す
しかし、このことは社会の論理であって、子どもたちからすれば重要ではない。多くの学校に行き、子どもたちと触れ合うなかで、大人の論理を飛び越えて新たな意味を生み出していく瞬間に何度も出くわした。子どもたち自身が、「海洋教育」の豊かな可能性を拓いていく瞬間があった。だが、その瞬間をすくい取り、新たな学びへとつなげていくことは、学校の限られたリソースでは難しいのも現実だった。そうであればと考え、設立したのがみなとラボである。社会的な意味に回収あるいは還元されない、海洋教育そのものの豊かさを拓いていくことを目指した。
海と人とのつながりを学び探ることは、魅力的で楽しい。それ自体が、私たちがあらためて海とつながっていく営みであり、海とどう生きるのか、という問いへの答えを形成していく。そう考え、みなとラボでは、日本財団等と協同しながら、そのつながりの多様さを学びとして提案している。みなとラボの活動の特徴として、多分野の専門家や職能を持つ方との協同による実践がある。そのひとつが、デザイナーとの取り組みだ。長崎県の壱岐市立の小学校では、プロダクトデザイナーの倉本仁氏とともに漂着物から物語を創作する授業を実践した(写真1)。創作の視点からゴミを見てみると、新たな価値が生まれることに気づく。物語の挿絵をつくる切り絵の作業では、手で描くのと違って思い通りにならないという「失敗」からこそ、予測不可能なものが生まれたり、新たなイメージが生まれる楽しさがあることを発見することとなった。
グラフィックデザイナーの山野英之氏とは、海をテーマとするジャーナルづくりと、その中の企画として浜辺の漂着物から、自分たちの海の「かたちともよう」を探り、それをパターンとして商品開発を提案するワークショップを行った※2。それぞれの職業や専門によって異なる考え方や物事の見方に触れることで、海(さらには世界)とのつながりを複眼的に見ることができるようになる。また、多種多様な職業に触れることで、生きる上で支えとなる自分なりの表現を見つけてもらいたいという願いもある。触れられる職業やコミュニティには地域や家庭環境によって差があり、その格差をなくすことにもつなげたいとの考えもあった。ことデザインに関わる仕事に地方の子どもたちが触れる機会は少なく、この経験によって子どもたちの鋭い感覚が立ち上がるような瞬間に立ち会えることは、筆者にとっても素晴らしい経験となっている。可能性を拓いていくのは子どもたち自身である。先回りして道を用意するのではなく、子どもたち自身が試行錯誤しながら、自分なりに表現できること、世界と関わっていけるようにすること。そのために活動している。
■写真1 壱岐市の子どもたちと制作した『壱岐と海と私』。地域住民に配布することでコミュニケーションが生まれた。
https://3710lab.com/contents/3969/  ※写真をクリック
海を内在化する視点をつくる
最近の取り組みの中で、海洋教育を実施することが結果的に子どもたちと海との距離を広げているのではないかという疑問にぶつかっている。ある哲学者は、自然が客観的事実であり人間活動とは独立したものであるという「科学実在論」的な考え方が、今日の環境問題の根本にあると主張した※3。海について学ぶほどに、海を対象あるいは情報として見る意識が強まり、私たちとつながりがあり、共生するものであるという感覚を希薄にしていないだろうか。海を消費や管理の「対象」としてみなすのではなく、海を自分とつながりのあるものとして捉える内在的な視点が必要だと考えることが多くなった。自然ゆえのコントロールのできなさや不自由さをもう一度自分の中に入れることが、海とのつながりを取り戻すことであり、海との共生ということだと考えている。
もうひとつ疑問に思うことは、2030年や2050年の世界を想像させることで、子どもたちのみならず、私たちの考えや想像が近視眼的になっているのでは、ということだ。地球環境の変化をシリアスに捉えればこそ、今この瞬間の行動にストイックになってしまう。未来と今が直線的につながれた状態では、イノベーティブな考えも生まれず、豊かな未来を描くことはできないのではないか。問題をシリアスに捉えつつも、おもしろく、軽やかに向き合うアプローチが必要なはずだ(写真2)。
みなとラボが提供しているのは、「場」そのものだ。そこは自由で、不確実で、失敗も成功もなく存在している。海を自身に内在化するには、まさに水面をたゆたうように存在する場が必要と感じる。そこで生まれる共感覚が、やがて海と生きる、海洋教育そのものになっていくと信じている。(了)
■写真2 日本財団と共催した国際海洋環境デザイン会議で実施したワークショップ。海を楽しむ場づくりを進めている。

■写真2 日本財団と共催した国際海洋環境デザイン会議で実施したワークショップ。海を楽しむ場づくりを進めている。

※1 クラウス・モレンハウアー著、今井康雄訳『忘られた連関─「教える‐学ぶ」とは何か』みすず書房、1987年
※2 「ヨロンジャーナルvol.2」 https://3710lab.com/contents/3958/
※3 ブルーノ・ラトゥール著、川村久美子訳『地球に降り立つ―新気候体制を生き抜くための政治』新評論、2019年

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