Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第562号(2024.01.05発行)

海の哺乳類にヒトが与えるインパクト

KEYWORDS ホエールウォッチング/観光産業/Animal Warefare(動物福祉)
写真家◆水口博也

いま世界の趨勢は、野生動物と一定の距離をとりながら、穏やかに観察するという方向に向かっている。
一方、日本ではクジラを「愛する」と自称する人々によるハラスメントが横行するホエールスイムがにわかに盛んになっている。
多くの人びとが出かけるようになったホエールウォッチングからいったい何を学ぶべきか。
ホエールウォッチングのルール
毎年、冬から春まで、北太平洋を回遊するザトウクジラの一部が繁殖と子育てのために、日本近海とりわけ沖縄、奄美群島や小笠原諸島周辺に来遊する。そして、その姿を観察するために、ホエールウォッチングが盛んに行われるようになった。ホエールウォッチングは、まずは米国やカナダで1960年代にはじまったあと、1980〜90年代にかけて急速に広まった。この観光産業が、鯨類のみならず多くの海洋生物や海洋環境の保護にむけた意識を大きく高めたことは間違いない。
ちなみに、ボートや船舶で接近することの影響は当初より問題視され、ホエールウォッチングの先進国である米国やカナダでは、対象動物にできるだけ影響を与えないウォッチングの方法が模索されてきた。こうして提案された方法が、現在世界の多くのホエールウォッチングのオペレーターやホエールウォッチャーたちが承知している「接近は100ヤード(約90メートル)まで」や「側方から接近」といった、世界中の多くの国で共有されているものである。
その後2000年をすぎた頃から、世界の各地でクジラが観察できる場所が新たに知られるようになり、ホエールウォッチングという観光産業が世界中に広がった。こうした新興国、新興地でのウォッチングは、かつて米国やカナダで地元の人びとの興味から自然発生的に生まれ、やがてビジネスに成長したのとは異なり、当初からビジネスに焦点をあわせたものになる。また先進国のように、法律による規制(米国で1972年に作られた海洋哺乳類保護法など)がなく効果的な規制ができない国や地域では、ひたすらビジネスからの要請が優先されたものになっている。日本もほぼ同様の状況だが、小笠原諸島にかぎっては、ホエールウォッチングが商業的にはじめられる前に米国、カナダの研究者を招聘して調査を行い、世界の標準ルールに匹敵する観察ルールが作られた。しかしあくまで自主ルールなので、守られていない例があることも聞く。
■ 米国やカナダでは、1970年代から広く、かつ穏やかな方法でホエールウォッチングが行われてきた。

■ 米国やカナダでは、1970年代から広く、かつ穏やかな方法でホエールウォッチングが行われてきた。

ホエールスイムというハラスメント
さらにクジラに大きな影響を与えるというホエールスイムが急速に盛んになっていることにも、大きな懸念がある。海上とくらべてはるかに視界がきかない海中でクジラを観察しようとすれば、数メートルの距離にまで接近する必要がある。それが体長十数メートルの動物を観察する距離として、異常な接近距離であることは言をまたない。ホエールスイムが行われている各地では、一般のホエールウォッチング以上に近距離まで船舶やボートが接近することによるクジラの生態や行動への影響は、数多くの調査で明らかになっている。幸いザトウクジラは、近年世界中の海で個体数を増やしており、それぞれの海域での増加率等も調査されているが、長くホエールスイムが行われてきたトンガを繁殖海域にもつ個体群の増加率が、他の海域のそれより低いことは指摘されている。
日本でのホエールスイムを懸念する、より大きな理由は、対象となる沖縄、奄美群島の海が、ザトウクジラの出産や子育てのための海域であることだ。トンガも同様だが、こうした海での船舶やボートの接近、あるいはスイマーの際だった接近は、親子の授乳や休息の時間を奪うことになる。とりわけ繁殖海域でのザトウクジラの母親は、ずっと採餌することなく子育てに専念する。人間の接近によって母子クジラが不必要に潜ったり、休息を諦めなければならない状況は許容できるものではない。
ホエールウォッチングの世界的な標準ルールからいえば、極端といえるほどにクジラに接近するホエールスイムが、ハラスメントにあたることは、個体群の増加率などから科学的に証明されているといっていい。保護先進国である米国やカナダでは、ホエールスイムはいっさい禁止されている。ただし、そのレジャーを行う責任を参加者にのみ押しつけるわけにはいかない。自然教育に尽力すべきであり、こうした内容を機会があるごとに発信すべき研究者や、そうした科学的な成果を事業に反映させるべき業者らが、世界に通用する観察方法についてより真摯に議論すべきだろう。
近年はこうした批判をさけるために「クジラの生態に影響を与えないように配慮しながら」と銘うつホエールスイムのオペレーターも出はじめているが、具体的な方法や根拠は示されていない。そうした態度は「サステイナブルな触れあい」ではなく、「サステイナブルなハラスメント」を促進するものであり、「自分は野生動物にインパクトを与えないで観察したい」と思う人びとの思いを利用しながら、そうした人びとの真摯な思いを裏切る不誠実な宣伝文句といわざるを得ない。SNSには、水中で目前にいるクジラが、胸びれや尾びれを激しく動かして海面を泡だてている写真が投稿され、明らかに強引な接近がなされていることがうかがわれるが、そうした投稿に「クジラ好き」と自称する人びとの「いいね」が集中する。それが矛盾に満ちた行為であることは、どうすれば理解されるのだろう。
■ ザトウクジラが尾びれを海面に見せて深く潜りはじめる。

■ ザトウクジラが尾びれを海面に見せて深く潜りはじめる。

環境モニターとしてのホエールウォッチング
いま気候変動やプラスチックゴミなどの問題で、クジラを含む野生動物がすでにさまざまなストレスを受けている。せめてそれ以外のストレスを少なくすることは、環境モニターとしてのホエールウォッチングの価値を高める意味でも、きわめて優先すべき作業である。
いまの日本のなかでとるべきことは、まずは本稿の最初で紹介した世界の標準的なルールを厳守することだ。自身でルールづくりが進まない日本のような国ではひとつの便利な道だろう。
鯨類の仲間であるイルカについては、海洋哺乳類保護法がある米国では珍しく、ハワイでハシナガイルカを対象にドルフィンスイムが行われていた。しかし、イルカたちの生態に与える影響が以前から指摘され、近年中止されるにいたった。カナダのハドソン湾では、ベルーガ(シロイルカ)と泳ぐツアーがあったが、これもベルーガの生態に与える影響が懸念され、この類いのツアーは催されなくなった。
世界の趨勢は、野生動物と一定の距離をとりながら、穏やかに観察するという方向に大きく舵をきっている。一方日本では、「エコツアー」という看板のもと、「イルカ好き」と自称する人びとがドルフィンスイムに熱中する。化石燃料を燃やしつづけて、幼い子どもをつれた母クジラを追いまわしながら「クジラとの感動の出会い」を謳うという欺瞞から、そしてAnimal Warefare(動物福祉)の観点からも、そろそろ決別すべきときである。(了)

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