Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第561号(2023.12.20発行)

べっ甲細工の原材料安定確保とタイマイ陸上養殖技術開発

KEYWORDS べっ甲細工/ワシントン条約/陸上養殖
東京鼈甲組合連合会会長◆大澤健吾

日本伝統的工芸品であるべっ甲細工は、その原材料となるタイマイの甲羅を輸入に頼ってきたが、現在はワシントン条約による制限により、べっ甲業界は原材料確保の道を断たれた。
べっ甲細工を伝統的工芸品として次の世代に紡ぐため、業界の総力を結集してタイマイ養殖事業に取り組んでいる。
日本の古代から続く人と海の調和の象徴としてべっ甲細工を後世に伝えていきたい。
経済産業省指定日本伝統的工芸品のべっ甲細工とワシントン条約
わが国におけるべっ甲の歴史は古く、飛鳥・奈良時代にさかのぼり、正倉院の宝物殿の中の「玳瑁杖(たいまいのつえ)」「玳瑁如意(たいまいにょい)」「螺鈿紫檀五弦琵琶」に見ることができる。平安時代には菅原道真を祭る道明寺天満宮に「玳瑁装牙櫛(たいまいそうげのくし)」が国宝として蔵せられ、鎌倉時代には鎌倉八幡宮宝物殿にべっ甲の矢たて等、べっ甲を使用した製品が所蔵されている。江戸時代には「徳川家康の眼鏡」とされる宝物が久能山東照宮に納められている。また『玳瑁亀圖説天・地二巻』(金子直吉著1841(天保12)年、国立国会図書館・東京国立博物館・東京芸術大学所蔵)では、玳瑁の歴史と共に、べっ甲職人とべっ甲製造の技術・技法が記されており、すでに江戸中期初頭に確立されていたことを知る上でも、非常に貴重な文献となっている。明治・大正にかけては日本の伝統工芸を代表して各国の万国博覧会に出展し好評を得、美術品として宮内庁三の丸所蔵館に「双鶴置物」「伊勢海老」などの名品が所蔵されている。また、令和の徳仁新天皇ご即位の折には「斎田点定の儀」※1における亀卜(きぼく)を執り行う亀の甲を加工するという大任に当業界のべっ甲職人があたらせていただいた。
これらの歴史的背景が認められ、2015年には関東地方を中心とした江戸べっ甲が経済産業省指定の日本伝統的工芸品に認められ、続く2016年には長崎地方を中心とした長崎べっ甲が認められた。しかしながら、べっ甲の原材料となるタイマイの甲羅は、そのほとんどがタイマイを食する文化の国々からの輸入に頼っており、ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)では最も保護すべき対象となるⅠ類に分類されている。1994年に日本政府がワシントン条約から伝統文化を保護するための留保措置を撤回したことにより、べっ甲業界は原材料確保の道を断たれた。
この決定以前、1991年には国の「べっ甲産業救済対策費」が措置され、社団法人日本べっ甲協会(現(一社)日本べっ甲協会※2)が1992年1月付けで設立した。当初はワシントン条約会議によるタイマイの限定的輸入再開を目指したが、その道は険しく、2001年4月にべっ甲原材料の安定的確保を目指しタイマイの国内陸上養殖の研究へと舵を切り、経済産業省と共に研究事業を進めることとなった。
■図1 べっ甲細工のかんざし

■図1 べっ甲細工のかんざし

タイマイ陸上養殖技術開発の経緯と現状
当初の養殖事業は、美ら海水族館、名古屋港水族館、日本ウミガメ協議会との共同開発により進み、主にウミガメの人工繁殖を探るものとなっていた。2004年には水産総合研究センター西海区水産研究所八重山支所(現(国研)水産研究・教育機構)が共同研究に参加、2005年には石垣市水産課も研究に参加した。2007年には養殖のコスト計算等を行うコンサルティング会社いであ(株)が共同研究に参加し、ほぼ現在の状況になり、特に西海区水産研究所が参加してからは、養殖事業の中心は沖縄県石垣島に移り、野外の陸上人工海浜における人工繁殖の成功などの成果を上げていった。
2008年には東京鼈甲組合連合会に青年部が発足、関係機関と共にタイマイ陸上養殖の本格事業化を見据え、コスト算出を始めていったが、当初は業界側の想像を大きく超えた1頭単価となり、とても現在の原材料価格との折り合いはつかない状況となってしまった。コスト削減のため、給餌の回数や餌の種類、水槽の加温・非加温、成長を早め飼育年数を減らすための添加剤の研究、養殖場所の再検討などさまざまな案が浮上したが、コスト面に多くの割合を占める養殖場使用料と設備投資費、人件費が大きな壁となり、現在も課題となっている。
コスト面での課題はあるものの2011年には、成長した養殖タイマイを利用し試作品を作成、沖縄・東京・長崎・大阪の順で関係者に向けた展示会を行い、養殖により生産されたタイマイの甲羅がべっ甲細工の材料として問題のないことを実証した。べっ甲業界の第一課題である原材料の安定的確保を目指し、2017年にタイマイ陸上養殖を事業化することとし、現在はべっ甲業界による出資の下でタイマイ陸上養殖を専門とする「石垣べっ甲株式会社」を設立、べっ甲事業者が役員となり運営している。東大寺正倉院に蔵せられている玳瑁製品から数えると約1,400年の歴史を有し、天皇陛下即位礼の「斎田点定の儀」に使用される亀の甲をはじめ、べっ甲細工を伝統的工芸品として次の世代に紡ぐため、業界の総力を結集してタイマイ養殖事業の維持発展をしている。
■図2 養殖タイマイ
■図2 養殖タイマイ
タイマイは、体長およそ90cm体重は平均60kgの中型のウミガメで、主要な繁殖地はインドネシア、セーシェル、モルディブ、西インド諸島。日本では南西諸島で少数産卵、太平洋に生息する北限となっている。
陸上養殖から見る海の資源回復とべっ甲細工の将来
現在、石垣べっ甲(株)では400頭以上のタイマイを飼育し、最大で年間100頭以上の孵化に成功している。温度管理、塩分濃度などを調整して、できる限り海洋に近い環境を陸上で再現することにより、タイマイにかかるストレスを軽減するなどの配慮をした上で、病気にかかりにくく、成長を無理なく促進する餌料の研究を進め、人工飼育海浜での増殖を実現したことは、確実にタイマイという海洋資源の回復に寄与し、人と自然とが無理なく共存する持続可能な事業であると言える。
現在のべっ甲製品はバブル時代に比べると大幅に原材料の使用量が減っており、養殖事業から得られる原材料が安定していけば、伝統を維持することが可能である。しかしながら、高級品との認識があるべっ甲製品がかつての好景気の裏側でタイマイの生息数を減らすことに繋がってしまったことも、残念ながらまた事実である。
日本の伝統工芸を代表し、和装装飾品の主役となる「かんざし」、高級品と言われる「べっ甲の眼鏡」などのべっ甲製品は人工物にはない美しさ、肌触り、軽さも重要な魅力ではあるが、最も大きな特徴は熱と水と圧力だけで接着剤等の化学薬品を使わずに素材同士を結合できることにある。さらにそれは折れたり壊れたりしても多くの場合が再度、同じ技法で修復することが可能で、大切に使い続けたべっ甲製品は長く愛用することができる。本来のべっ甲は、江戸の時代から日本を代表する装飾品として「一生もの」を大切に扱い続け、原材料はタイマイを食する文化の国から甲羅のみを譲り受けて余すところなく使用し流通する、という資源も人も物も大事にする持続可能な、現在で言うところのSDGsを実現していた産業と言える。それら先人の教えに則り、べっ甲職人が行う水産事業では、タイマイの甲羅以外の部位は食肉として加工し、皮は皮革製品の材料として余すことなく使い切ることとしている。「命を頂く」という観点からも天然資源を利用させて頂く産業としてのあるべき姿だと考え、同時に悠久の歴史を持つべっ甲を、日本の古代から続く人と海の調和の象徴として取り扱っていきたいと考えている。(了)
※1 斎田点定の儀=天皇即位の際の大嘗祭に、斎田とする悠紀・主基の両田を亀卜により占い、勅定する儀式
※2 (一社)日本べっ甲協会 http://www.bekko.or.jp/

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