Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第551号(2023.07.20発行)

北極圏と草木染

KEYWORDS 地球温暖化/第三極/持続可能性
(公財)笹川平和財団海洋政策研究所長◆阪口 秀

北極サークル日本フォーラムで飾られた生け花は、その多くが野山を歩いて集められたもので、同フォーラムの終了後は、持ち帰られて再利用された末に、草木染に用いられ、残りはもとの野山に返されたという。まさに輪廻転生そのものであり、究極の持続可能性の追求である。
北極圏では、この草木染までが地球温暖化の影響を受けている。地球温暖化は伝統文化の領域にまで影を落としているのである。
気候変動と第三極
近年の急激な地球温暖化の影響で、北極、南極の両極域と第三の極と呼ばれるヒンドゥークシュ・ヒマラヤ山系では氷河の融解が加速している。とくに北極圏と第三極の下流域には、多くの人が暮らしているため、氷河の融解は生活様式や居住域の変更を余儀なくすることもある。例えば、これまで分厚い氷に覆われていた地域が海や湖や川となれば、犬やトナカイのそりでの移動や狩猟ができなくなるだけでなく、洪水が頻発し農業にも大きな支障が出る。また、温暖化は動植物の生態系にも大きな変化をもたらし始めているため、その動植物を利用している人々の暮らしにも大きな影響が出てきている。
このような北極圏と第三極の問題を、市民、産業、行政、政治家、学者などのさまざまな観点から地球全体で取り組むプラットフォームが、本号にご寄稿いただいたグリムソン前アイスランド大統領が議長を務められる北極サークル(Arctic Circle)である。その地域フォーラムの一つを、非北極圏国の日本で開催できたことは、非常に大きな意味があった。なぜなら、問題解決の取り組みを地球全体で進めるためには、北極圏や第三極の問題を日本やアジアでも広く認識することが必要だからである。
北極サークル日本フォーラムの生け花と持続可能性
ところで、2023年3月4~6日に開催された北極サークル日本フォーラム(Arctic Circle Japan Forum)の会場では3日間を通して受付、メインホール正面左に生け花が飾られた。また、初日のレセプションのジャパンナイトではストラディバリウスのバイオリン演奏によるライブ生け花のショーが演じられた。生け花は、その源流は飛鳥・奈良時代からといわれ、非常に長い歴史を持つ日本の伝統文化の一つであり、参加者の相互理解を促進する上で「文化」を重要なキーワードとする北極サークルの趣旨に応えたものだ。
会場受付の作品は「ともし火」と名付けられ、北極サークルに秘められた熱意が表現された。メインホールには北極に関わるさまざまなステークホルダー間のバランスをモチーフにした大きな作品が飾られた。そしてライブショーでは、北極の過去、現在、未来をモチーフにした作品が披露された。(写真2)これらの作品は草月流の師範として国際的に活躍されている髙橋一先生が手掛けられた。そして同フォーラム開催の3日間を通して、生けられた花は、多くの国からの参加者を魅了し、北極のことをさまざまな角度から深く考えさせてくれた。
最終日、全てのイベントが終わった後に、髙橋先生が会場に来られて、飾られた生け花全てを回収された。われわれ主催者側や会場の虎ノ門ヒルズに手間を掛けさせないご配慮かと思いきや、実は、そうではなかった。一般的に華道、生け花というと、裕福な層の趣味や教養であって高価な花材と花瓶などが用いられるものと考えられているが、髙橋先生のお考えは全く逆であった。会場で生けられた作品は、どれも非常に大きく豪華で力強く華やかに見えるが、その花材のほとんどは、髙橋先生の地元神奈川県秦野の野山をご自身が歩いて集められたもので、モチーフを完璧に表現するために必要な色を足す目的でほんの少しだけお花屋さんから購入されたそうだ。回収される際に驚いたことは、枯れた葉や花も全て丁寧に持ち帰られ、後日、その中で再利用できるものを別の生け花に何度も用いられたそうだ。まさに、北極サークルの重要なキーワードである「サステナビリティ=持続可能性」を体現されている側面を垣間見た。
さらに私が驚いたことに、髙橋先生は同フォーラムで用いた全ての花材が枯れ果てた後に、それらを鍋で何日も炊いて草木染の染料を作り、丹後織の白い布を染めてミョウバンで固定する作業を何度も繰り返し、淡いレモン色のハンカチを作られていたのである。そして私に「あなたが心血注いだ日本フォーラムは、この布が放つ光と色として永遠に残ります」という芸術家ならではの美しい言葉とともに、そのレモン色のハンカチを手渡された。そして、後日、鍋に残った枝や葉、花の残りを、それを集めた秦野の山に全て返されたそうだ。「これで私の日本フォーラムはやっと終わりました」と髙橋先生の華道は、秦野の山に始まり山に帰す。まさに輪廻転生そのものであり、究極の持続可能性を追求されている。
写真1 北極サークル日本フォーラムメインセッションの様子

写真1 北極サークル日本フォーラムメインセッションの様子

写真2 北極サークル日本フォーラムでのライブショーの様子(中央が髙橋一先生)

写真2 北極サークル日本フォーラムでのライブショーの様子(中央が髙橋一先生)

北極圏での草木染と地球温暖化
この美しい話をきっかけに、スカンジナビア・ニッポンササカワ財団の奨学金でフィンランドの大学に草木染の勉強をするために留学した方がおられることを知った。少し調べてみると、北極圏の北欧諸国は草木染が伝統的に有名であることが分かった。記録によると、バイキングが海を渡って北欧地域に伝え広めたとあるので、歴史は古い。ちなみに日本ではさらに古く縄文時代から用いられていた染色技術である。寒い地域で過ごす人には毛糸の帽子、上着、手袋、セーター、マフラーが必需品で、ノルディックカラーのデザインを織りなす毛糸は昔から草木で染色されていたのである。しかし、北極圏には元々草木が少なく、とくにアイスランドのような火山島ではさらに少ない。しかし、少ないながらに草木が持つ光の恵みを大切にしていた証しである。話は脱線するが、草木の少ないアイスランドでは、木の根っこを原料としたお酒まである。全く人間の英知は計り知れない。
実は昨今、この草木染までが地球温暖化の影響を受けているという研究が下記の論文に記されている。
Molly Pluenneke, “Shift in Icelandic Plant Populations Due to Climate Change: Through the Lens of Natural Dyes,” SIT Graduate Institute/SIT Study Abroad, SIT Digital Collections, Fall 2017
温暖化によって、草木染の原料となる草木の生息分布が大きく変化し始めたことが原因であるという。北極域や第三極の問題とは規模も性質も異なるが、地球温暖化は伝統文化の領域にまでその影を落としているのである。(了)

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