Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第542号(2023.03.05発行)

イカナゴの減少と貧栄養化

[KEYWORDS]栄養塩類管理計画/瀬戸内海/貧栄養化
兵庫県立農林水産技術総合センター技術参与◆反田 實

瀬戸内海は、その水質を改善してきたが、生物生産に必須の窒素濃度が低下し、貧栄養化が進んでいる。
このため、養殖ノリの色落ちや漁獲量の減少が続き、海の豊かさが失われてきている。
イカナゴ漁獲量の減少と貧栄養化の関係を調査し、貧栄養化を出発点とする減少シナリオを提示した。
豊かな海を回復させるため、国、県は法律や条令の改正を行い、栄養塩類管理をスタートさせた。

瀬戸内海の貧栄養化

かつて瀬戸内海は富栄養化※1が進んだ時期があったが、近年の水質は大きく改善している。しかし、水質の改善に呼応するように海水中の栄養塩類(窒素やリン等)濃度、特に窒素濃度の低下が進み、現在は貧栄養化と呼ばれる状況にある。具体的な数値で見ると、1990年代の瀬戸内海の全窒素濃度は約0.28mg/Lだったが、2016年以後は約0.18mg/Lである(広域総合水質調査)。水産用水基準(2018年版)には、全窒素濃度が0.2mg/L以下の海域は生物生産性が低く、一般的には漁業に適さないと記載されている。
瀬戸内海東部のノリ養殖は、1990年代後半から色落ちが頻発するようになった。ノリの色落ちとは、海水中の窒素不足により葉体が黄色化する現象である。このようなノリは食べても美味しくない。色落ちの影響は大きく、養殖ノリの生産枚数は1990年代中頃の35~40億枚から2016~2019年は20億枚程度に減少している。また、漁船漁業の漁獲量も1990年代中頃の約27.4万トンから2016~2019年は約13.5万トンに減少している。漁獲量減少の原因をすべて貧栄養化に帰することはできないが、大きな影響を受けてきたと考えられる。
水質の改善にもかかわらず海の豊かさが失われてきたことから、環境省は2015年の瀬戸内法の改正において、瀬戸内海を豊かな海とする理念を新設し、規制中心の施策からの転換が図られた。続いて2021年には栄養塩類管理制度の創設を柱とする改正が行われた。この改正により、各府県の判断により栄養塩類管理計画の策定が可能となった。兵庫県では国の動きと並行して、2019年に県条例の一部を改正し、栄養塩類濃度の下限値(全窒素:0.2mg/L)を設定した。さらに、2022年10月21日に兵庫県栄養塩類管理計画を策定・公表した。兵庫県の取り組みは他府県に先駆けるものであり、瀬戸内海の環境施策は大きな転換点にあると言えるだろう。
次に、瀬戸内海東部海域の重要魚種であるイカナゴの減少プロセスを紹介する。

イカナゴのユニークな生態

日本近海で漁業の対象となっているイカナゴ科の魚は、イカナゴ、オオイカナゴおよびキタイカナゴの3種である。大きく見ると、イカナゴは東北海域以南に、オオイカナゴはそれ以北からオホ-ツク海南部に、キタイカナゴはオホーツク海以北に分布し、前2種は日本海にも分布している。しかし、3種を外形で区別することは難しく、それぞれの分布には重なりがあると考えられている。
瀬戸内海や伊勢湾に分布するのはイカナゴ(Ammodytes japonicus)である。本種には夏眠というユニークな生態的特徴がある。瀬戸内海東部海域を例に、その生活史を紹介する(図1、写真)。

■図1 イカナゴの生活史

イカナゴの寿命は3~4歳と推定され、満1歳で産卵する。産卵期は12月後半~1月上旬で、潮通しの良いきれいな砂地の海底に卵を産みつける。10日余りでふ化し、全長が3~4cmを超える3月初め頃から漁獲される。この頃の稚魚は「しんこ」と呼ばれ、家庭で甘辛く焚き上げる「くぎ煮」作りは、神戸~明石・姫路地方の春の風物詩となっている。
「しんこ」の漁獲は4月中旬頃までに終わり、その後、稚魚は回遊しながら全長10cm前後に成長し、水温が20℃を超える6月下旬~7月上旬に砂に潜って夏眠に入る。夏眠場は産卵場とほぼ同じである。夏眠期間は12月までの5ヶ月余りにおよび、その間、餌は食べない。そして重要なのは夏眠から覚めた時点で、産卵間近な状態まで卵巣が成熟していることである。つまり、夏眠は高水温から身を守るだけでなく、産卵に向けた準備期間でもある。このため、夏眠に入る前に餌を十分に食べてエネルギーを蓄え、肥満度を高めておく必要がある。夏眠に入る時の肥満度が低いと、成熟できなかったり、産卵数が少なくなってしまう。このように、イカナゴの夏眠は、本種の資源維持にとって極めて重要である。

イカナゴ減少のシナリオ

貧栄養化とイカナゴ漁獲量の関連を明らかにするための調査を2015~2019年に実施した。「しんこ」漁獲量と窒素濃度(溶存無機態窒素:DIN)の長期変化には明瞭な同調性が認められた。一方、水温は低いほど漁獲量が多い傾向が見られたが、統計的に有意ではなかった(図2)。

■図2 播磨灘の「しんこ」漁獲量(主要漁協)とDIN・水温(11-3月平均)の経年変化

次に、過去30年以上の「しんこ」保存標本の胃の中を調べたところ、1980年代以降、食べている餌の量が長期的に減ってきていることが明らかになった。これは漁業者の皆さんから聞く「釜揚げの赤腹が減った」という声とも一致した。釜揚げとはイカナゴ稚魚の茹で加工品のことで、餌の動物プランクトンを多く食べている場合は、茹でた時に腹部が赤くなる。この結果から、餌の動物プランクトンが減ってきていると考えられた。
また、同じ期間に肥満度が低下していること、つまり、「しんこ」が痩せてきていることも分かった。前節で紹介したように、イカナゴは痩せた状態で夏眠に入ると、産む卵の数が減ることが知られている。そこで、同じサイズの親魚の卵数を比較したところ、1987年に比べて2016~2018年の卵数は約3割少ないことが分かった。さらに、大阪湾・播磨灘イカナゴ生活史モデルを開発し、栄養塩類からイカナゴまでの生物生産のプロセスを再現した。
このモデルを用いてシミュレーションを行い、窒素濃度の変化が漁獲量の増減につながる結果が得られた。これらから、「海域の貧栄養化→餌生物の不足→イカナゴ肥満度の低下→産卵数の減少→イカナゴの減少」というシナリオを提示した。海の生態系は複雑なため、このシナリオで全てを説明できるとは思わないが、重要なプロセスであると考えている。なお、調査結果の詳細は兵庫県水産技術センターのホームページで公開している※2
最後に、兵庫県では、栄養塩類管理計画に基づき栄養塩類の供給量増加の取り組みがスタートした。今後は綿密なモニタリングにより施策の影響と効果を評価し、その結果を取り入れて負荷量管理の強弱を柔軟に(順応的に)行い、豊かな海の実現を目指すことが大切である。(了)

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