Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第538号(2023.01.05発行)

海業のすすめ

[KEYWORDS]海業/漁村地域活性化/地域資源
東京海洋大学副学長・学術研究院教授◆婁 小波

漁村地域振興が喫緊の社会的課題となる中、海業(うみぎょう)が再び注目され、2022年3月に策定された新たな水産基本計画や新たな漁港漁場整備長期計画において、さらには6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2022」(骨太の方針)において、その振興が明記された。
果たして、海業とは何か。本稿ではその定義や特質、あるいは期待される社会経済的意義について解説する。

漁村振興策としての海業(うみぎょう)

漁村は古来、伝統産業である漁業または水産業によって支えられ発展してきた。しかし、1990年代以降の漁業の衰退や水産業の空洞化などを背景に、崩壊の危機に直面する漁村地域が散見されるようになった。このための打開策が問われて久しいのだが、いま「海業(うみぎょう)」が再び注目されている。2022年3月に更新された水産基本計画や漁港漁場整備長期計画において、海や漁村に関わる地域資源を活かした「海業」を振興することで、新たな雇用を生み出し、追加的な所得を確保し、地域のにぎわいを取り戻すことが目指されるようになった。また、6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2022」(骨太の方針)においても、「海業の振興を進める」ことが着実な資源管理、養殖業の成長産業化などとともに明記された。
今後5年間の水産基本政策として示された海業の振興を、いかに効果的・効率的に進めるか、どのようにして漁村の新たな地域産業として定着させるのか。本政策の推進によって海業の真価が問われるわけだが、その前に、海業とは何かといった、基本的な概念についてある程度の共通理解を得ることが必要であろう。

海業とは何か

駿河湾の遊漁船

「海業」とは、「海辺に立地する産業」、あるいは「海風に吹かれた産業」を指すものとして、1980年代中頃に当時の神奈川県三浦市市長によって創られた言葉である。この海業の振興が三浦市の政策的スローガンとして掲げられ、その後神奈川県もこれに倣って、2000年代初めまで海業振興を県の水産振興政策の柱に据えた。その後、県政策の表看板からは外されたものの、海業と呼ぶにふさわしい実践的な取り組みは続けられてきた。
こうした地域での実践的な動きと並行して、1990年代中頃から海業的取り組みに関心を持つ研究者も現れ、漁村地域の一つの経済現象として、またオルタナティブな政策的選択肢として、海業は本格的な学術研究の対象とされるようになった。地域振興に果たすべき海業の役割や効果的な仕組みなどが分析されると同時に、その推進に必要な地域資源の適切な管理や利用調整のしくみ、あるいはそれらを組み込んだビジネスモデルのあり方などについての研究が進められてきた。
筆者もその内の一人として、研究成果の一部を、小著『海業の時代』(農文協、2013)にまとめた。そこでは海業を、国民の海への多様なニーズに応えて、水産資源のみならず、海・景観・伝統・文化などの多様な地域資源を活用して展開される、漁業者を中心とした地域の人びとによる、生産からサービスに至るまでの一連の経済活動の総称として、限定的・狭義的に捉えている。海業は漁業、水産業と共に、漁村地域経済を支える第3の柱として位置づけられている。地域のもつ多様な資源から価値創造することで創出されるという、狭義的な海業の具体例は枚挙にいとまがなく、その内容は多岐にわたる(表)。地域で誰がどのような海業を興すかは、当該地域のもつ地域資源の態様と、地域の漁業者を中心とした人びとの選択と合意形成と熱意に委ねられる。
なお、今般の新たな漁港漁場整備長期計画(水産庁、2022)においては、海業を「海や漁村の地域資源の価値や魅力を活用する事業であって、国内外からの多様なニーズに応えることにより、地域のにぎわいや所得と雇用を生み出すことが期待されるもの」と捉えている。この定義は「地域のにぎわいや所得と雇用を生み出す」という目的を明示しているところに特徴があるが、基本は狭義の海業の振興によって政策目標の達成を図ろうとするものとみてよいだろう。

海業の特徴と社会経済的意義

多様な地域資源の態様に応じて、多様な形態を有する海業であるが、これまで成功した海業には以下の3つの共通した特徴がある。すなわち、①海業はニーズベースの経済活動であり、地域資源を「水産物」に限定せず、海洋レジャー資源や地域の伝統文化・食文化、さらには漁港インフラや漁労文化などの、地域に存在するありとあらゆるものを「地域資源」と見なして価値創造の対象としていること、②水産物を介しての食品関連産業との連携・融合はもとより、地域の既存の観光業者や飲食業者などのサービス業者との連携・融合をも進め、さらには地域の漁業者が自らの経営事業ドメイン※1の拡大を目指した事業融合を重視していること、③資源の乱獲や環境の破壊あるいは地域社会での摩擦を回避するための地域資源の管理、あるいは環境管理のための仕組みが構築されてさまざまな管理活動が行われ、資源・環境にやさしい産業としての性質を有していること、などである。
昨今の漁業をめぐっては、ふたつの相反する目標が拮抗する政策的ジレンマに直面している。すなわち、一方では否応なしに市場原理に対応せざるをえず、国際競争力を高めるための少数精鋭の効率的な漁業経営体(中核的協業体や企業的経営体など)を育成する必要性がある。だが他方では、生活原理や自然の摂理に基づき、それを支える漁村コミュニティを維持するための一定規模の経営体数や漁業者数を確保する必要がある。海業には、地域資源の価値創造を通じて新たな就業の場を提供し、追加的所得を生み出し、地域後継者を確保することで、この政策的ジレンマを解消する役割が期待できる。
海業のもう一つの重要な社会的意義は、水産物自給力の維持・向上が可能なことにある。水産基本政策では、食料安全保障を達成するために自給率の維持・向上が政策目標として掲げられてきた。だが、この自給率と同等に重要なのは、「自給力維持」という考え方である。「自給力」とは、いざという有事のときにも国内で水産物を供給できる力である。国内の漁村・漁港・漁船・漁業者を一定の水準で維持することは、自給力を確保するための最も正当な方法である。海業の振興により地域後継者・漁業後継者を確保できることは、この自給力維持・向上に大きく寄与しうる。
今後、漁村地域の持続可能な未来に向けて海業の振興施策(ハード・ソフトを含む)に期待を寄せるとともに、それらが漁村の抱えるさまざまな社会的課題の解決に寄与することを願う。(了)

■図1 漁村を支える「3本柱」
■図2 漁村地域経済分野を融合する海業
  1. ※1経営事業ドメイン=企業が経済活動を展開する事業領域、または主力事業となる本業

第538号(2023.01.05発行)のその他の記事

ページトップ