Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第521号(2022.04.20発行)

海民バジャウにみる資源利用の技法

[KEYWORDS]東南アジア海域世界/海洋資源/生業の転換
東洋大学社会学部国際社会学科教授◆長津一史

バジャウ人は、東南アジア島嶼部、フィリピンのスル諸島、マレーシアのサバ州、インドネシア東部の海上や海辺に住んでいる約110万人と言われる海の民である。
彼らは東南アジア海域世界の住民のなかでも、離散移住の傾向がとりわけ強い。
移動と適応力の高さで海の資源を確保しているバジャウ人の海で生きていくための生存戦略を紹介したい。

バジャウ人の移動する生き様

バジャウ人の集落は、東南アジアの島嶼部、国でいうとフィリピンのスル諸島、マレーシア・サバ州、インドネシア東部に拡散分布している。人口は約110万人。かれらの家屋のほとんどは海上か海辺に建つ。このまま世界的な海面上昇が続けば、バジャウ人の集落もまた海に沈む、とまではいかなくても海に浸かってしまうだろう。しかし、だからといって、かれらの生活が危機に直面することはないだろうというのが筆者の推測である。海面上昇のみならず海洋の環境が悪くなれば、かれらは家を捨て、さっさと他の場所に移動してしまう可能性が高いからである。
ここでは、バジャウ人に焦点をおきつつ、海面水位の上昇があってもしなやかに生き延びてゆくであろう東南アジアの海民の、移動に根ざした生き様を紹介してみたい。
東南アジア島嶼部は、中国とインド、中東を結ぶ歴史的な海の道の中間に位置している。自然生態的には熱帯多雨林が卓越する多島海である。この地域の人びとは、古くから海を渡る移動を繰り返し、ここに独自の社会文化圏を築きあげてきた。東南アジア研究者は、そうした社会文化圏を東南アジア海域世界と呼ぶ。
東南アジア海域世界の住民のなかでも、離散移住の傾向がとりわけ強いのがバジャウ人である。東南アジア海域世界の他の人たちと同様、バジャウ人が離散移住してきた典型的な理由のひとつは、中国向け輸出海産物の採捕であった。バジャウ人が利用してきた海産資源は、地元で消費される海産物と特殊海産物の二つに大きくわけることができる。特殊海産物とは、鶴見良行(歴史学者、1926〜1994)の用語で、ナマコ、フカヒレなど、現地では利用されることがなく、もっぱら東南アジア以外の地域に輸出することを目的として採取・加工される海産物を指す。

バジャウ人の村

スラウェシからオーストラリアへの移動

バジャウを含むインドネシア・スラウェシ島の漁民たちは、中国向けの干ナマコを採捕する漁場を開拓していく過程で、オーストラリア北岸に到達した。こうしたナマコ等を求めてのインドネシアからオーストラリア本土への出漁は、20世紀初頭にオーストラリア連邦政府が入国管理を強化するにしたがって衰退した。しかし、オーストラリア北部の海域やその岩礁・小島へのインドネシア漁民の出漁はその後も続いた。かつてはナマコが目的だったが、第二次大戦後は、ボタン材としてのタカセガイ、鼈甲(べっこう)を取るためのウミガメ、フカヒレを取るためのサメが捕獲対象になった。
1990年代末から2000年代にかけては、フカヒレ価格の高騰を背景に、大量のバジャウ人がスラウェシ島南東のワカトビ諸島からティモール島南のロテ島を経由してオーストラリア領のアシュモア礁を目指した。サメ延縄漁をおこなうためである。2010年代に入ると、違法操業や不法移民の流入を防ぐためにオーストラリアの海上警備が強化された。2015年に訪問した際、スラウェシ島やロテ島のバジャウ人の一部は、こうした状況をふまえて、国境海域周辺でのマグロ釣り漁(凧と疑似餌を用いる)に生業を転換しつつあった。

移動と適応

バジャウ人は、移動によって漁場、あるいは生活の海を東南アジア海域世界に拡大してきた。その移動は、かれらが海で生きていくための生存戦略そのものであった。同時に、こうした移動史をたどって驚かされるのは、かれらの生業面での適応力の高さである。バジャウ人は、サンゴ礁における小規模漁業を主な生業とすることで知られてきた。しかし、いまみたオーストラリア出漁のバジャウ人は、深海底に接する離礁というアシュモア礁の海洋環境とグローバルな海産物市場の動向をふまえて、浅海での潜水漁から水深100メートル以上の深海での延縄、凧と疑似餌を用いた釣り漁へと漁法を変えていた。
バジャウ人やブギス人(スラウェシ島南西に住む民族)、ブトン人(スラウェシ島南東に住む民族)などの海民のあいだでは、民族間の通婚や交流が顕著にみられる。漁法は、そうした関係を通じて伝えられてきたのだろう。離散移住はこうした技術移転をともなう民族間関係の拡大にもつながっている。
バジャウ人の移動は、資源の確保だけでなく、治安の悪化や周辺民族からの迫害など、政治的な理由によっても生じてきた。1970年代前半、フィリピン南部でムスリム分離独立勢力と政府軍とのあいだで内戦が生じた。この内戦を逃れてマレーシア・サバ州に移動したバジャウ人の数は、数十万人に及ぶと考えられている。このような政治的に強いられ移住の場合でも、バジャウ人の多くは、移動先の海を利用することで生活上の困難を克服してきた。
気候変動のような地球規模での自然環境の変化によってバジャウ人の大規模な移動が生じたという事例はいまのところ聞いたことがない。とはいえ、今後、気候変動によって特定の海産資源の枯渇や海洋汚染が生じる可能性は十分にある。ただ、そのときもかれらは、やはり別の海域を目指して離散移住していくと思われる。
かれらの居住地は、そうした移動を可能にするのに十分な広さの海域に及び、そこにはかれらのネットワークが広がっている。また、それら海域の海洋生態に関する在地の知識もかれらのあいだで継承されている。それらはいわば、バジャウ人たちが生存のためにこの海域に蓄積してきた資本である。海で生きることを担保される限り、かれらはこれらの資本を用いて移動する生き様を実践し続け、社会経済、自然環境、いずれの面での困難にも対処していくに違いない。(了)

島嶼部東南アジアにおけるバジャウ人の人口分布(2000年)
フィリピンは州(province)、マレーシア・サバ州は郡(daerah)、インドネシアは県(kabupaten)を単位とする。出典:各国の2000年センサス(フィリピンとインドネシアは電子版)をもとに作成)

第521号(2022.04.20発行)のその他の記事

ページトップ