Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第521号(2022.04.20発行)

札幌ワイルドサーモンプロジェクト 〜都会でもサケがサケらしく暮らせますように〜

[KEYWORDS]自然産卵/市民活動/野生魚
東京大学大気海洋研究所教授、札幌ワイルドサーモンプロジェクト共同代表◆森田健太郎

かつてカムバックサーモン運動で名を馳せた豊平川。今、その地でサケの野性味を最大限に高めることを目標として、札幌ワイルドサーモンプロジェクトという新たな取り組みが実践されている。
海で育つサケを食べながら守り続けるためには、サケが自然産卵で子孫をつなげる川を保全することが大切である。

なぜ、野生サケにこだわるのか?

われわれが食料としてサケを大量に利用するために、サケを人工的に増やす取り組みが百年以上にわたり行われてきた。人工ふ化放流では、やな(魚止柵)などで産卵のために川に遡上した親サケを捕獲し、人の手で採卵・授精をおこなう。そして、脆弱な稚魚期を人工飼育することで、稚魚が海へ旅立つまでの生残率を飛躍的に高めている。一方、元々サケは川に遡上した後、雌が河床に産卵床という穴を掘って産卵し、争いに勝った雄が放精した後に雌が卵を埋める。そして、野生でふ化した稚魚は春に産卵床から浮上し、自らの力で自然の餌を探す。この間の生残率は、野生では高くても2割程、人工ふ化の五分の一にすぎない。さらに、サケが自然産卵できる川の環境収容力も限られている。そのため、日本では人工ふ化放流に依存したサケの増殖が実施されてきた。しかし、生物多様性の保全を掲げる昨今の学界では、家魚化(domestication)という、人工ふ化への適応現象が問題視されるようになった。かつて、北米の著名な進化生態学者が、日本のサケは「サムライサーモン」になると批評したことが記憶に残る。自らの力で卵を産まなくても、人間が腹を裂いて採卵し、ふ化場の環境に適応進化するという憂慮である。人工ふ化放流は水産業において必須であり、その長い歴史から文化的価値もあるが、生物多様性の保全を目的とするならば、野生のサケの生き方を尊重する必要がある。

豊平川の歴史

かつて蝦夷地随一のサケ漁場であった石狩川。その支流である豊平川(札幌市)は、明治の頃まで毎年大量のサケが産卵のために遡上したという。昭和初期になると豊平川においても人工ふ化放流事業が実施された。稚魚の放流は1948年で終了したが、親サケの捕獲はその放流魚が回帰する1953年まで続いた。放流が中止に至ったのは、地下水が減ってふ化用水が足りなくなったのが一番の原因だったという。なお、この間に捕獲された雌サケ5,499尾のうち採卵に用いられたのは1,677尾(30%)であり、“漁獲”としての意味合いもあったのであろう。その後、20年以上にわたり豊平川からサケの公式な記録は途絶える。急速な都市化に伴う水質の悪化や河川工作物の建設によって、サケがほとんど遡上しなくなったためと考えられている。
昭和の後半になり下水道が急速に整備されたことによって、豊平川の水質は劇的に改善した。公式な記録ではないが、その頃になると豊平川でサケの目撃例が新聞等で報道されている。1979年には札幌にサケを呼び戻そうというカムバックサーモン運動による稚魚の大量放流が始まり、豊平川に本格的なサケの遡上が蘇った。1984年までは魚止め柵によるサケ親魚の捕獲が行われたが、その後はサケが自然産卵した証しである産卵床も確認されるようになった。1990年以降は親サケの捕獲が無くなり、1994〜98年に遡上障害となっていた堰堤に魚道が付けられた。豊平川まで無事にたどり着いたサケはほぼ自由に自然産卵できるようになった。
豊平川で自然産卵したサケがどのくらい育っているのかを明らかにするため、2003年から2006年にかけて放流されたサケ稚魚の全個体に鰭切り標識が施された。その数年後、豊平川に回帰したサケは、59〜76%が自然産卵で生まれた野生魚であることが判明した。また、大規模なふ化放流事業が行われている近郊の千歳川からの迷入魚もほとんど無視できる割合であることもわかった。これらの新事実によって、豊平川でも自然産卵による回帰でサケが維持できるのではないかという論議が始まった。先に述べた昨今の学界での事情も相まって、豊平川に野生のサケを増やすことを目標に掲げた札幌ワイルドサーモンプロジェクト(SWSP)※1が2014年に立ち上がった。

札幌市豊平川のサケ年表。サケの雌1尾は産卵床を1個作ることから、産卵床数≒雌親数と推定される。また、性比を1:1と仮定することで、産卵床数×2≒親魚遡上数と推定される。

札幌ワイルドサーモンプロジェクト(SWSP)の活動

豊平川でのサケ産卵床・ほっちゃれ調査。札幌市豊平川さけ科学館が主体となって実施している産卵床調査にSWSPも協力している。これほど長期にわたりサケの自然産卵がモニタリングされているのは日本で豊平川が唯一である。

200万都市さっぽろを流れる豊平川において、先住民族アイヌの伝統や、過去のカムバックサーモン運動の精神を尊重しつつ、この地域の生物多様性を重んじ、市民とともに豊平川サケ個体群の野性味を最大限向上させることを目指して結成された市民グループ、それが札幌ワイルドサーモンプロジェクト(SWSP)である。
まず、野性味を高めるためにSWSPで取り組んだことは、放流数の見直しである。放流をやめれば野生化させることができるが、それで極端に遡上数が減ってしまうと市民がサケに接する機会が無くなり、それは望ましくない。都会の川である豊平川にサケが遡上してくることは、それだけで意味深いものがある。そこで、目標となる遡上数を1,000尾(≒産卵床数で500個)と定めて、科学的見地に基づく放流数の順応的管理方式を提案した。2016年より放流数が従来の半分以下に削減され、それらの稚魚が海で大きく成長して戻ってくる時期がこれから本格的に始まろうとしている。放流数を減らすだけでは野生のサケは増えないので、サケの産卵環境や稚魚の成育環境の保全と再生が必要である。豊平川は大都市を流れているため、貯水や治水のためのダムや、防災のための護岸や堤防が必要である。そのため、原始の豊平川を再生することは現実的でないが、河川管理者や河川工事の施工業者とSWSPの協働によって、産卵環境の再生・保全と両立を図る取り組みがなされている。すべて成功とはいかなくとも、産卵環境を再生した区間で自然産卵が復活したことも確認している。
このようなSWSPの試行錯誤の試みが、野生のサケを増やすことにプラスになっているのかどうか、モニタリング調査によって検証することが大切である。2016年からは放流する稚魚に耳石温度標識が付けられ、ほっちゃれ(産卵を終えた親サケ)から耳石を採集することによって野生魚と放流魚の判別も可能になっている。さらに、自然産卵で生まれた稚魚が育っているのかどうかを確認するために、降下する稚魚の調査も実施している。
また、サケという生き物について理解を深めてもらいながら、野生のサケについても考えてもらう機会を増やしたいという思いで、アウトリーチ活動にも取り組んでいる。年に1度開催している市民フォーラムでは、SWSPの活動報告や講演会に加えて、高校生の研究発表やフォトコンテストも行っている。このフォトコンテストは、都会の片隅で行われるサケの産卵に親しんでもらうと同時に、市民参加型調査の取り組みとして始まった。位置情報を付与した写真を集める「みんなでサケさがそ!」という試みが2015年から続いており、全国各地から自然産卵するサケの情報が蓄積されつつある。
近年、全国的にサケが減っている。その理由として、海の温暖化に注目されることが多いが、人工ふ化放流に伴う適応度低下や、稚魚が海に到達するまでの河川内の減耗が著しいという指摘もある。放流を免罪符としてサケ本来の生息環境を蔑ろにしてきたことのツケもあるのではないだろうか。SWSPの活動がサケ本来の生き様を見つめ直す機会となれば幸甚の至りである。(了)

  1. 札幌ワイルドサーモンプロジェクト(SWSP) https://www.sapporo-wild-salmon-project.com/

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