Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第512号(2021.12.05発行)

「社会変革」に向けた地域・科学・アートの協働〜サンゴ礁保全研究の最前線〜

[KEYWORDS]サンゴ礁保全/住民主体型管理/科学コミュニケーション
(国研)水産研究・教育機構水産資源研究所 社会・生態系システム部研究員◆杉本あおい

持続可能な未来を築くため、人の心と行動を変えるための新しいアプローチの一つとして、「科学コミュニケーション」という概念─科学と社会をつなぎ、科学的根拠にもとづき社会のより良い変革を進めていくこと―が注目されている。その一例として、沖縄県石垣島のサンゴ礁生態系保全に関して、アーティスト、デザイナーたちとの地域と科学の協働による取り組みを紹介したい。

伝わらない科学、知らない市民

「地球環境の悪化はますます加速し、人類はその文明のあり方を抜本的に見直す必要性に迫られている」―このようなフレーズを聞いたことのある人は世界中に数億、もしかすると数十億人いるかもしれません。しかし、これが言葉として多くの人に知られていることと、実際に「人類がその文明のあり方を抜本的に見直す」ことの間には、残念ながら大きな隔たりが存在しています。その証しに、生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学 - 政策プラットフォーム(IPBES:Intergovernmental Science-policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services)※1が出した『生物多様性及び生態系サービスに関する地域・準地域別評価報告書:アジア・オセアニア地域』(2018)や『生物多様性と生態系サービスに関する地球規模評価報告書』(2019)では人類が持続可能な社会を築くためには早急に、「経済、社会、政治、技術すべてにおける社会変革(transformative change)」を要すると記されました。20世紀半ばから環境問題に関わる研究者や政策関係者が警鐘を鳴らし続けたにも関わらず、いまだ人類は持続可能性への「社会変革」を実現できておらず、持続可能な開発目標(SDGs)でも2030年までに社会のあり方が抜本的に見直されなければ、人類は不可逆的な損失を将来世代に残してしまうことが記されています。
なぜ、こうした変革の必要性が数十年前から叫ばれていたのに、実際の社会で変革を起こすことがこれほど困難なのでしょう。筆者はこれを、「人の心や行動は学術論文や政策文書そのものだけでは変えることができないから」だと考えています。持続可能な未来を築くため、人の心と行動を変えるための新しいアプローチを、研究者や政策関係者は早急に採り入れる必要があります。このアプローチの一つとして、近年、「科学コミュニケーション」という概念―科学と社会をつなぎ、科学的根拠にもとづき社会のより良い変革を進めていくこと―が注目されていますが、以下ではその一例として、沖縄県石垣島のサンゴ礁生態系保全に関する科学コミュニケーションの取り組みを紹介します。

地域住民にとっての自然の豊かさをつなぐ科学と政策

サンゴ礁を含む生態系の保全には、「なぜ、その保全が必要か?」という根拠が必要です。先述のIPBESなど、生態系保全をリードする国際機関、国内では環境省などが中心になりその保全の根拠を示しています。また海であれば漁業収入や観光収入、つまり、自然を「資本」と見なしたうえで貨幣換算価値をもって、「海はこれだけのお金を生むので、守らなければならない」というような根拠も各所で示されてきました。
しかしこの論理にもとづくこれまでの生態系保全には、大きな問題がありました。それは、「海を利用する産業の産出額さえ多ければ良い」という間違った施策を招きかねないことです。こうした既存の生態系保全の限界を踏まえて、今回筆者が共同研究者たちと共に行ったのは、石垣島を含む八重山地域のサンゴ礁を「お金に換算できる価値」としてではなく、「地域住民にとっての重要な価値」として明らかにする研究です。手法として、自由記述型質問票を用いたワークショップとアンケートで得られたテキストデータをネットワーク分析にかけることで、住民が有する多元的な「海の価値」を定量的に可視化しました。そしてそれを、アーティスト、デザイナーたちとの協働により、感性に訴えるようなインフォグラフィックや短編動画作品(図参照)として表現しました。研究の結果で明らかになったのは、島の人々にとっての海の価値は、当然ながら漁業、観光業の収入のみならず他にも「愛着・インスピレーション」「(海神祭など)地域の海に関わる文化」そして「海への畏怖」など多元的なものが存在するということでした。さらに特筆すべきは、「人為的な環境問題」という要素も抽出され、過剰な海洋観光開発が様々な環境・社会問題を引き起こしている、という住民意識も明らかになったことです。そしてこれは、従来の生態系保全政策の根拠が海を利用する産業、とりわけ海洋観光業の「産出額」であったことによりもたらされた弊害である可能性が示唆されました※2
人類に残された時間に余裕がなくなっている中で、持続可能性に関する研究は社会に広く届き、社会のあり方が持続可能な形に変革するのを後押ししない限り、もはや意味を持たないと言えるのではないでしょうか。本研究の文脈で言えば、貨幣換算できる自然の物質的価値を偏重することで、過剰な観光開発を引き起こすのではなく、愛着、地域文化、畏怖といった地域にとっての無形で精神的な価値も豊かに受け継がれるような、社会のあり方そのものの変革を促して初めて、研究にも意味があると考えています。

Youtubeリンクへの二次元コード
研究結果をより広く社会に広めるため制作した短編動画。地域の人々に愛される動画になるよう、八重山のわらべうたを冒頭に、また漫画家・五十嵐大介氏の協力を得て八重山の自然や芸能のイラストを挿入しました。
地域住民にとって重要な八重山の海の価値を明らかにした論文のグラフィックアブストラクト

越境し動きだす協働

研究結果をわかりやすく表現したインフォグラフィックや短編動画は地域住民の方々にも好評で、筆者自身これまでにない反響を得ることで、初めてしっかりと自分の研究を現地に伝えることができたという実感を持つことができました。そして地域住民の方々に届くものは、地域、国、さらにセクターを超えて、多種多様な属性を持つ方々にも届く力を持つこともわかってきました。論文を書いたから、事業が終了したから終わりではなく、これらの表現は持続可能な社会への変革に向けて自律的にコミュニケーションを拡張し続け、それはまた地域、国、さらにセクターを超えた協働による新たな科学を創造していく可能性も感じています。
人類に残された時間の中で持続可能性な未来を創る変革を起こすためには、従来のアプローチの前例踏襲に固執することは時間の浪費になりかねません。自然環境も社会環境も激変していく社会においてポジティブな未来を創造するための多くのチャレンジを誘発するため、研究者にできることは何なのかを探求し、実践していきたいと思っています。(了)

  1. ※1環境省HP科学と政策の統合(IPBES)http://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/ipbes/index.html
  2. ※2八重山地域住民参加型「海の価値」https://www2.fra.go.jp/xq/851-2/

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