Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第506号(2021.09.05発行)

豊かな瀬戸内海に向けた新たな制度について

[KEYWORDS]排水規制/生物生産性/栄養塩管理
広島大学名誉教授、放送大学名誉教授◆岡田光正

かつて「瀕死の海」と呼ばれた瀬戸内海は、排水規制等の様々な水質保全施策によって水質改善が進んだ。
しかし、漁獲量の減少やノリの色落ちの頻発など新たな課題が浮き彫りとなったため、生物の多様性及び生産性の確保のための栄養塩類の管理という特別措置が認められるようになった。
これまでの排水規制、すなわち栄養塩類などの汚濁物質の一方的削減とは全く異なる水環境行政の大きな転換を図るものといえよう。

瀬戸内海の水質改善

瀬戸内海は高度経済成長期に水質汚濁が進み、一時は「瀕死の海」と呼ばれる状況にまで悪化した。その対策として、水質汚濁防止法による排水規制、総量削減、そして瀬戸内海環境保全特別措置法※1(以下、瀬戸法)等の施策が実施されてきた結果、瀬戸内海の水質は改善されてきた。しかし、近年は漁獲量の減少やノリの色落ちの頻発など、新たな課題が浮き彫りとなってきた。ここでは、瀬戸内海の再生に向けた様々な取り組みの経緯とともに、本年制定された豊かな瀬戸内海に向けた新たな制度について、栄養塩類の管理を中心に紹介する。

瀬戸内海の環境保全のための水質目標とその達成状況

瀬戸内海はもとより、環境の保全や再生に取り組む場合、その環境の望ましい状態、すなわち目標を定めることが不可欠である。最初の瀬戸法では、昭和40年代(1965〜1974年)に瀬戸内海の水質汚濁が急速に進行したことを受け、水質ならびに自然景観の保全を目標としていた。水質保全として、まずは有機汚濁を防止するため、化学的酸素要求量(COD)※2等を指標として水質環境基準を定めた。その基準、すなわち目標を達成するため、CODを対象として様々な排水規制が行われてきた。しかし、CODのみでは赤潮発生に代表される富栄養化防止ができないことが明らかとなったため、その原因物質である栄養塩類(全窒素、全りん)が水質環境基準に追加され、その排水規制も行われてきた。
では、その結果として水質はどうなったか? 令和元年度公共用水域水質測定結果によれば、大阪湾ならびに大阪湾を除く瀬戸内海のCODの環境基準達成率はそれぞれ66.7%、77.0%と依然として低いものの、全窒素や全りんの環境基準達成率は、それぞれ100%、98%と極めて高くなった。水質環境基準を当てはめた当時(1995〜1996年)の全窒素と全りんの達成率はそれぞれ0%、60%であったことと比較すれば排水規制等の成果があったといえよう。

水質保全から豊かな瀬戸内海の回復へ

このように水質環境基準はかなり達成されたのにもかかわらず、漁獲量の減少やノリの色落ちが頻発に見られるように、生物生産性は低迷している。水質保全だけではかつての豊かな瀬戸内海の再生につながらないとの認識が高まってきた。
2015(平成27)年の瀬戸法改正においては、これまでの水質保全を中心とした考え方に加え、「生物の多様性及び生産性が確保されていること等、その有する多面的価値及び機能が最大限に発揮された豊かな海とする」ことが盛り込まれた。また、瀬戸内海の環境保全に関する施策は、「湾、灘その他の海域ごとの実情に応じて行わなければならない」とされた。そして、これまでの目標であった「水質の保全」および「自然景観の保全」の2項目から、「沿岸域の環境の保全、再生及び創出」、「水質の保全及び管理」、「自然景観及び文化的景観の保全」、および「水産資源の持続的な利用の確保」の4項目に改められた。とくに、豊かな瀬戸内海を目指すため、藻場・干潟等の保全を含んだ沿岸域環境の保全・再生・創出を新たな目標として明確化するとともに、地域性や季節性に合った水質の管理の視点の追加、さらには生物多様性の観点や環境との調和に配慮しつつ、水産動植物の増殖の推進を図るという水産資源の持続的利用の確保も新たな大きな目標と定められた。その後、気候変動による水温上昇等の環境変化とも相まって、これまでの取り組みで削減されてきた窒素・りん等の栄養塩類の不足等による水産資源への影響、また、開発等による藻場・干潟の減少等が更に深刻化する恐れが指摘されるようになった。さらに、海洋プラスチックごみを含む漂流ごみ等が生態系を含む海洋環境に及ぼす悪影響も懸念されるようになった。
このため、2021(令和3)年6月3日に成立した瀬戸法改正※3では、生物の多様性および生産性の確保のための栄養塩類の管理に関し特別の措置を講ずることにより、瀬戸内海の環境保全を図ることを新たな目的として追加した。また、基本理念に、瀬戸内海の環境保全は、気候変動による水温の上昇その他環境への影響が瀬戸内海においても生じていること及びこれが長期にわたり継続する恐れがあることも踏まえて行わなければならないことが追加された。
とくに、新たな栄養塩類の管理制度においては、海域における栄養塩類の投入、排水処理方法の変更など、特定の海域において栄養塩類を適切に増加させることを可能にする特例が新設された。栄養塩類の管理と周辺環境の保全との調和・両立を確保することが義務づけられてはいるものの、これまでの水質規制、すなわち一方的削減と異なり、水環境行政の大きな転換を図るものといえよう。ただ、これは栄養塩類という植物の成長に必須の物質を対象としており、過剰な場合には赤潮発生のような富栄養化問題につながるものの、逆に欠乏する場合には生物生産性の低下につながる。このように2面性を持つ物質に対する特別な規制といえよう。
なお、当初の瀬戸内海環境保全では、瀬戸内海全体を一つの水域として扱っていたが、その後、水質の回復が進むにつれ大阪湾と大阪湾を除く瀬戸内海を別の水域として扱うようになった。そして、前回の2015(平成27)年の改正では、豊かな海を目指すため、瀬戸内海を湾、灘その他の海域ごとの実情に応じて管理することとなったが、今回は、管理対象となる海域がよりきめ細かいものとなったといえよう。

瀬戸内海環境保全特別措置法による対象区域(出典:国土交通省)

新たな瀬戸内海の再生を目指して

このように、瀬戸内海を同質な海域ととらえるのではなく、湾・灘、さらにはその一部の特定の海域を周辺とは異なる目的で管理することが可能となり、まさに多様性の高い瀬戸内海を再生することとなった。このため、生物多様性と生物生産性の目標を海域ごとに定めることとなり、その管理方法もきわめて多様とならざるを得ない。
しかし、瀬戸内海の各海域、湾、灘、さらに特定の海域も相互につながっている。ある海域の目標設定と栄養塩管理が他海域、あるいは瀬戸内海全体の管理と矛盾してはならない。今後は地域の独自の役割がさらに重要となるとともに、瀬戸内海全体としてどのように矛盾なく管理していくか、その整合性を担保することが大きな課題であろう。
なお、栄養塩管理は生物生産性、多様性確保の一面に過ぎない。栄養塩類の管理のみで目標が達成される保証はない。藻場・干潟等の保全・再生・創出、底質の改善等も両輪として同時並行で実施する必要があることを忘れてはならない。(了)

  1. ※11973(昭和48)年に最初に制定された際の名称は「瀬戸内海環境保全臨時措置法」で、1978(昭和53)年より現行の名称となった。
  2. ※2水中の有機物を化学的に酸化するために必要とする酸素量。海域の有機汚濁に関する指標で、この値が大きいほど有機物等が水中に多く、汚濁の度合いが大きいことを示す。
  3. ※3瀬戸内海環境保全特別措置法の一部を改正する法律案の概要はこちらをご覧ください(https://www.env.go.jp/press/109207.html)。

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