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オーシャンニューズレター

第494号(2021.03.05発行)

みらい造船が切り拓く100年先の未来

[KEYWORDS]東日本大震災/造船所/人の力
(株)みらい造船代表取締役社長◆木戸浦健歓

東日本大震災を経て気仙沼市の造船5社と舶用関連事業者2社が新造船施設建設事業主体として合併統合した。
震災後の施設復旧と復旧過程で見えてきた課題解決に向けた構想、そして新造船所と新組織ができるまでの経緯と施設概要の説明とともに、(株)みらい造船完成の原動力を考えてみた。

震災被災状況と新造船構想誕生まで

宮城県気仙沼市は東北地方太平洋に面した4県、青森県、岩手県、宮城県、福島県のほぼ中央に位置する。東日本大震災震源地からは北西方向直線約150kmの距離である。気仙沼は周囲を陸地に囲まれた天然の良港で、水産物の水揚げ、補給、船舶修繕等の漁港機能が全て揃っているため、日本全国から多くの漁船が寄港する拠点漁港である。漁港機能の維持は地域経済の生命線であり当地の造船産業は水産業、水産加工業を下支えする漁港機能の一部と見なすことができる。当地の造船会社はいずれも気仙沼湾深部に位置し、いずれの工場設備も地震・津波による損壊被害を受け、特に深刻なのは地盤沈下であった。震災直後の調査結果で、気仙沼市は70〜100cm程度地盤沈下しており、造船施設内では斜路式船台の長さが約10m 短縮し作業場所が全体の20〜30%縮小した。また後日行った海中調査の結果、津波流出物による船台レール損傷、さらに船台基礎部が不均一に沈下していることが判明した。震災発生から約半年後に最初の船台が復旧し、その後約5 年程度で造船施設機能の仮復旧を実現したが、事業継続と復旧を同時進行したため、地盤沈下対策を施す完全復旧はできなかった。
不完全な復旧による造船会社の機能低下は、建造・修繕した船舶の操業スケジュールにも影響をもたらし、また船舶機器メンテナンス・電装・塗装・資機材を取り扱う造船関連事業者は滞架船舶上で作業を行うため、造船業者の生産性の低下、船舶上架に関連する危険度の上昇は造船関連事業者全てに負の影響を与えた。その事実を認識し、目標を自社の個別復旧から地元の造船・舶用産業を含む水産業全体の機能回復と継続に位置付けたことが、結果的に事業の継続性を最優先するみらい造船構想につながった。

■(株)みらい造船と東日本大震災震源地

新施設の概要

新造船施設用地検討では、気仙沼市が市内6カ所を候補地として詳細に検討した結果、現所在地が採択された。(株)みらい造船は気仙沼市より土地借用し、造船施設設備建設は国土交通省の「造船業等復興支援事業費補助金」、日本財団と気仙沼市からの助成金、金融機関8行によるシンジケートローンを活用している。新工場の敷地は台形でシップリフト(船舶上下架設備)が艤装岸壁に挟まれて海に突出している。また、造船所を含む該当地区は7.2mの防潮堤に囲まれ造船所は堤内施設となり、津波に対する安全性が高くなっている。海に突出したシップリフトと陸上施設の間には防潮堤と同じ高さの陸閘(開閉式ゲート)が設けられている。
みらい造船のシップリフトは米国のPearlson Shiplift 社製品を採用し、千葉県富津市、沖縄県糸満市の造船所に続く国内3例目であり、いずれも五洋建設(株)が建造している。上架能力は長さ60m・幅21m、最大上架荷重2,000トンで199トン型のサンマ棒受網漁船であれば同時に12隻滞架することができる。移転時期にあたる2019年度(2019年4月〜2020年3月)の上架修繕隻数は約110隻、建造隻数は8隻であった。現在まだ習熟期間中であるが、上架必要人数が旧設備の14、5名から新設備では10名前後で行うことができるようになり、さらに効率的な運用方法の改善を行なっている。またシップリフトの付随効果として滞架エリア床面が平坦になったことが挙げられる。斜路方式では船台に合わせた約7%の傾斜角度と船台レールが床面に突出し車両の通行を妨げていたが、新施設では傾斜角度が無く、また船台レールと床面を平坦にしたことより車両による重量物運搬が可能になりクレーン利用の待ち時間が大幅に少なくなった。

■新造船施設の概要

■(株)みらい造船設立までの経緯

100年先まで

2019年9月、新造船所の完成式典が多くの方に見守られ行われた。その中で私は一つのことを考えていた。マントルの活動が地震と津波を引き起こし結果的に造船施設を壊したが、目前にいる人等の持つ想いや熱量が集まり津波と同じエネルギーを生み出し、その力でみらい造船が実現したのだ。それが「みらい造船は100年先まで続く企業を目指す」の言葉につながる。100年先まで続く企業は現在のような変化の激しい世界ではより難しく思われ、新しい施設や組織を作ったからできることではないと理解している。しかし、みらい造船と合併した各社は2011年の震災時点で100年近く事業を続けており、数多くの難苦を大先輩達は乗り越え、施設と想いをわれわれが受け継いだ。また震災直後から明日のことさえ見えないのに、毎日々々泥掻きを続けた仲間たちの想いが造船所を復旧させた。
事業継続性を優先するための最良の方法としての組織統合、そのためには会社名がなくなる決断をした社長たちの想い。そして、復旧しなければ生活できない当事者としてのわれわれ以外にも、汗と涙と場合によっては血も流したかもしれない多くの、本当に多くの人たちの協力と想いがなければみらい造船が完成することはなかった。そして打ちのめされる状況になっても立ち上がり、乗り越えられない壁にぶつかったら回り道を探し、失敗を繰り返しても成功するまで諦めない気持ちを皆が共有していた。みらい造船は人の力が実現させたのだ。ならば想いを持ち続ければ100年先まで継続する力となるはずである。(了)

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