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オーシャンニュースレター

第488号(2020.12.05発行)

モーリシャスの油濁事故と海商法

[KEYWORDS]油濁事故/海商法/損害賠償
流通経済大学法学部准教授◆大西徳二郎

モーリシャスの油濁事故における損害賠償は、海商法という法分野により規律される。
燃料油による油濁損害は、海商法が克服を目指す海上活動における新たな危険であり、モーリシャスにおける事故は、まさにこの新たな危険が現実化した例といえる。
油濁事故は日本の海でもしばしば起きており、また、海商法の世界から始まって陸上生活でも一般的となった制度もある。
油濁事故や海商法は、私たちから決して縁遠いものではない。

注目される賠償

今夏、インド洋に位置する島国モーリシャスの沖合において、日本の会社が実質的に所有(形式的にはパナマの子会社が所有)し、日本の大手海運会社が定期傭船をしていた大型貨物船WAKASHIOが座礁し、その燃料油が流出してモーリシャスの沿岸や周辺の海を汚染する油濁事故が発生した。この事故は日本でも多くの報道等で取り上げられ、モーリシャスの環境や経済への被害の大きさや、それらの損害に対してどのように賠償が行われるのかが注目されている。この後者の点については、モーリシャスが「二千一年の燃料油による汚染損害についての民事責任に関する国際条約(バンカー条約)」の締約国であることから、同条約に基づく解決が行われると考えられている※1。賠償額に関する詳細は報道等に譲り、ここでは賠償について定める法的規律の意義という観点からこの事故を捉えてみたい。

モーリシャスの油濁事故と海商法

バンカー条約には日本も加入しており、日本国内での燃料油による油濁事故については、同条約を国内法制化した「船舶油濁等損害賠償保障法」に基づき解決が図られる。
それでは、このバンカー条約や船舶油濁等損害賠償保障法は、法分野でいうと何という分野に入るのであろうか。病院に内科や外科など様々な科があるように、法にも色々な分野があり、分野が異なるとその性格も目指すところも異なる。もちろん、多面性を有するために複数分野にまたがる法律等もある。結論をいうと、バンカー条約や船舶油濁等損害賠償保障法は、「海商法」(maritime law)という法分野に属する。日本の法律では他に、「商法 第三編 海商」や「国際海上物品運送法」、「船舶の所有者等の責任の制限に関する法律」などが含まれる。そして、これらの法律名称にも表れているが、「海商法」は、船舶による海上運送を中心とした航海に関わる民事上の問題を解決する規律という性格を有する。
この「海商法」であるが、残念ながら現在の日本では認知度がとても低い。「海洋法」(law ofthe sea)ともよく間違えられる。なお、「海洋法」とは親戚のような関係にあるが、別物である。今でこそあまり知られていない「海商法」であるが、その歴史はとても古い。「海商法」の歴史は紀元前まで遡ることができ、紀元前3世紀頃に存在したとされる「ロード海法」は有名である。また、河川航行に関するものであるが、「目には目を歯には歯を」で知られる紀元前18世紀の「ハンムラビ法典」の中にも、運送中に船の積荷が失われた場合や船同士が衝突した場合における損害賠償のルールなどがすでに登場する。
このように長い歴史を持つ「海商法」の目的は、一言でいうと、航海すなわち海上活動の危険を法的に克服することである。海上は陸上より危険な場所であり、それは科学技術が発達した現代においても変わらない。航海を成功させ、海上運送を発展させるため、その危険を法という面から克服することを目指し、「海商法」には陸上の原則とは異なる制度が多数設けられている。たとえば、モーリシャスの事故でも損害賠償額が約19億円あるいは約69億円に制限されうることが報道されているが、損害賠償額に上限を設けるこの「責任制限」制度も「海商法」の特徴の1つである※2。この制度により責任が有限となるがゆえに、海上が危険でもその危険を負って海上運送を行うことができるのであり、方式は今と昔とでは異なるが、中世から続く制度である。
もちろん、「海商法」も時代に応じて変化しており、航海の成功を返済条件とする「冒険貸借」のように役割を終えて消えていく制度もあれば、今回の事故に関係するバンカー条約のように新たに生まれてくるものもある。この条約は、損害賠償責任の主体を船舶所有者に限定することで責任の所在を明確にし、保険の加入義務付けにより損害賠償の支払いを担保することによって、責任制限はあるものの油濁損害の被害者が確実に賠償を受けられるような仕組みとなっている。これは、船舶の大型化に伴い、海洋環境を汚染する物質が積荷や燃料として大量に船舶に積み込まれるようになったことから生まれた、環境の汚染という新しい損害やその危険に対応するものである。実際、東京タワーを横にした程の長さがあるWAKASHIO(全長約300m)のような船舶は大量の燃料を積み、今回の事故でも約1,000トンもの燃料油が海へ流出したとされる。このような事故は帆船時代にはなく、バンカー条約は燃料油による油濁損害という海上活動における新たな危険を克服しようというものであり、モーリシャスの事故は、まさに海商法が克服しなければならない新たな危険が現実化した例といえる。

モーリシャスの油濁事故
(出典:IMO https://www.flickr.com/photos/imo-un/50237544366/

船舶を利用する者の社会的責任

モーリシャスの事故では、定期傭船者であった大手海運会社が社会的責任として10億円程度の拠出を行うことを決めた。バンカー条約に基づけば、損害賠償責任を負うのは船舶所有者であり、今回のような定期傭船者はそこには含まれないと一般的には考えられている。法的責任のみに頼らず、船舶を利用する者が社会的責任として損害や危険を分かち合うのも、海上活動の危険克服に資する新たな手段といえるかもしれない。
1997年に起きたナホトカ号事故など、規模に大小はあるが、タンカーからの原油流出や一般船舶からの燃料油流出による油濁事故は日本の沿岸や海でもしばしば生じている。また、「保険」や「株式会社」※3といった、海の世界から陸へと進出し、私たちの生活に身近な制度となっているものもある。油濁事故や海商法は決して私たちから縁遠いものではない。(了)

日本沿岸での油濁損害(信州大学小林寛教授撮影・提供)
*キャプションを訂正し、掲載いたしております。
  1. ※1タンカーからの原油流出による油濁事故については、バンカー条約とは別の条約がある。
  2. ※2今回の事故における損害賠償額の上限は、モーリシャスが締約国となっている責任制限に関する条約に基づくと約19億円となる。しかし、責任制限の排除を含め他の可能性もあり、裁判所の判断が実際に下されるまではどうなるかわからない。
  3. ※3株式会社の起源には諸説あり、船舶共有組合を起源とする説もその1つである。

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