Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第486号(2020.11.05発行)

グローバルヘルス・ガバナンスの展望

[KEYWORDS]WHO/アメリカ/国際協力
東京都立大学法学部教授◆詫摩佳代

グローバル化に伴い、感染症は単なる公衆衛生上の課題から、経済や安保等、幅広い領域にインパクトを与えるグローバルな脅威へとその性格を変えてきた。
米中が対立し、従来、保健協力を率いてきたアメリカが協力に背を向けている現状ではあるが、欧州や日本をはじめとする国々の連帯によって、感染の収束、ワクチンの公平な分配という課題に立ち向かう道筋は残されている。

新型コロナウイルスと国際政治

2020年1月20日、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号(旗国:イギリス、運航国:アメリカ)は横浜港を出発し、鹿児島、香港、ベトナム、台湾および沖縄に立ち寄り2月3日に横浜港検疫錨地に停泊した。2月1日に香港で下船した乗客が新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)に感染していたことが判明したからである。船内で乗客全員に対する新型コロナに関するPCR検査を行ったところ、次々と陽性反応者が判明し、合計712人(うち死亡13人)となった。今回、日本は寄港国として対応したが、クルーズ船内の新型コロナの感染症対策については、旗国、寄港国、運航国の責任・役割を明確にするとともに、国際協力の必要性が強く認識された。
他方、新型コロナを巡ってはWHO(世界保健機関)を舞台として米中の対立が激化している。中国が広域経済圏構想「一帯一路」を掲げ、南シナ海やインド太平洋へ進出することにアメリカは非難を続け、その対立は通商にも及んできた。その対立が今、新型コロナという感染症対策にも及んでいるのである。アメリカのトランプ大統領は7月初旬、正式に脱退を通告、対する中国の王毅外相は「コロナ問題を政治化し、WHOを中傷するものがいる」と暗にアメリカを指しつつ反論し、グローバルな連帯とは全く逆の方向へと事態は推移している。本稿では新型コロナをめぐる国際政治を概観し、今後、ワクチン開発や流行の終息に向けてどのような対応が求められるのか、論じていきたい。

グローバル化時代の感染症

そもそも感染症をめぐる問題に国際政治が関与する背景を理解するためには、グローバル化時代の感染症の特徴を把握する必要があるだろう。その特徴とは、もはや公衆衛生上の危機ではなく、経済や防衛など他分野に影響を及ぼしうるグローバルな危機だということだ。以前は船や陸上移動だったので、パンデミックも全世界的・同時進行にはならなかったが、大量の航空機が世界を飛び回る時代においては、瞬く間に世界に感染が広がりうるし、たとえ感染を免れたとしても経済や日常生活等において様々な支障を余儀なくされる。このような状況下で感染症は、安全保障をも含む広義の文脈の中で位置づけ直されてきた。2000年1月の国連安保理では、議長を務めたアメリカのアル・ゴア副大統領がエイズの流行を「国際平和と安全にとって脅威」であると述べ、蔓延を放置すれば国際社会の平和と安全の脅威になると謳った国連安保理決議が採択されたことは、こうした特徴を顕著に表していると言える。
その後も感染症の世界的なインパクトゆえに、先進国首脳会議(サミット)などハイレベルで感染症対策が議題となってきた。2000年の沖縄サミットには初めてWHOが参加、2006年のサンクトペテルブルク・サミットでは初のG8保健相会合が開催された。

新型コロナへの対応:グローバルな連帯の欠如

このように今日の感染症は政治的対応を必要としているが、そのことは同時に、感染症への対応を誤れば、政権の命取りになり、悪い意味で対応が政治化しやすいという特徴にもつながっている。トランプ米大統領は新型コロナ対応が大統領選に影響を与えることを憂慮、そのために、あらゆる国際的な場面を利用して中国を非難し、新型コロナワクチンを大統領選前に実用化するべく奮闘している。他方、この感染症が適切にコントロールされなければ、世界経済の混乱、貧困の助長、社会不安、国際秩序の変容をもたらすことが既に指摘されている。こうした副産物を回避し、その負のインパクトを最小限に留めるためにも国際的連帯が欠かせない。近年の感染症への対応を振り返ってみても、政治的連帯に支えられてきた。2014年の西アフリカでのエボラ出血熱の流行に際しては、当時のオバマ米大統領のイニシアティブのもと、国連でサミットが開催され、世界規模の危機に対応するための話し合いが行われた。新型コロナを巡ってはアメリカのリーダーシップはおろか、米中の対立が対応をめぐる協力そのものを困難にしている現状である。国際協調が欠如した現状は、ワクチンをめぐる対応を見ても明らかである。新型コロナワクチンについては、その公平な供給を目指してCOVAXファシリティという多国間枠組みが登場した。COVAXファシリティは加盟国が出資することで、有望なワクチン候補を複数取り込み、利用可能となったワクチンに可能な限り早期に、平等にアクセスすることを保証するものである。9月半ば時点で150カ国以上が参加を表明したが、アメリカや中国といった一部の国は参加を表明していない。
こうした利己的な動きのしわ寄せは、途上国に重くのしかかる。COVAXファシリティがこの先、有効に機能する保証がない中、ワクチンをめぐる南北格差や競争は激化の一途を辿ることが予測される。

■Johns Hopkins大学のCOVID-19 Dashboard(2020/09/16 18:22現在)

国際保健協力の行方

こうした状況を改善するためには、国際社会の連帯が不可欠である。アメリカが不在の中でもドイツとフランスが中心となってWHO改革案が作成され、11月の世界保健総会での合意に向けて動きが進められている。近頃、中国に対抗する「自由で開かれたインド太平洋」構想に賛同、対中牽制で足並みをそろえるインドとオーストラリアはともにWHO執行理事会の今期メンバーであり、WHO改革をリードできるのではという期待が高まっている。いわゆるミドルパワーと呼ばれる国々のこうした関与がなければ、アメリカ不在のガバナンスにおいて、中国台頭の余地を与えうる。中国産の医薬品は先進国の高価な医薬品とは異なり、途上国にとってアクセス可能なものであり、今後、中国がワクチン開発に成功すれば、台頭の余地はさらに大きくなる。実際、中国はインドネシアやフィリピンに対して、南シナ海での人工島建設など、活動範囲の拡大を容認させる引き換えに、中国産新型コロナワクチンの優先的供与を約束しているからだ。他方、中国は従来の保健協力で重視されてきた人権の尊重や透明性の確保といった規範を必ずしも重視するとは限らない。ガバナンスの根幹となる規範を維持・強化する上でも、日本やヨーロッパ、カナダやオセアニアなど自由民主主義国の積極的な関与が必要なのである。そのようにしてヨーロッパやオセアニア、日本らが連帯して保健協力を支えることができるならば、バイデン大統領が誕生した場合にはアメリカを取り込み、連帯を加速させることができるかもしれない。米民主党議員の多くはアメリカが積極的に保健協力やWHO改革に関与することを望んでいるからだ。
結局、歴史が証明するように国際連帯なくして感染症をコントロールすることはできない。アメリカのリーダーシップに支えられてきた従来のような危機対応は望めないが、それでも他国の熱意と工夫があれば、新型コロナ対応に必要な国際連帯を作り出すことは不可能ではないだろう。(了)

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