Ocean Newsletter

【Ocean Newsletter】バックナンバー

第482号(2020.9.5 発行)

海の二酸化炭素研究の「価値連鎖」〜「国連海洋科学の10年」に向けて〜

[KEYWORDS]SDGs/海洋酸性化/海の炭素循環
気象庁気象研究所研究総務官、IOCCP・GOOS生物地球化学パネル共同議長◆石井雅男

「国連持続可能な開発のための海洋科学の10年」が、いよいよ2021年に始まる。
「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成に向けて、海洋の新しい知識と革新的技術の創生や利用の変革を促すこの包括的なプロセスの中で、海洋の二酸化炭素変動の解明と予測に取り組む国際研究コミュニティも、科学的知見の充実と利用促進による課題解決に向けた取り組みを進めている。

海の二酸化炭素吸収と酸性化

海は、人類が石油・石炭など化石燃料の消費や森林破壊などによって排出した二酸化炭素のおよそ1/4を吸収し続けている。排出した二酸化炭素の1/4を海が吸収するということは、その分、大気中の二酸化炭素濃度の増加は抑えられるのだから、海が地球温暖化の進行を遅らせる大きな役割を担っていることは間違いない。これは、数々の海洋観測や、スーパーコンピュータによる数値シミュレーションなど、多くの研究がもたらした大きな成果のひとつである。
しかし、海洋学者はこの1/4の割合を、必ずしも「大きい」とは考えていない。海の二酸化炭素吸収の大きさは、海面で二酸化炭素が大気から海に吸収される速さと、二酸化炭素を吸収した海面付近の海水が、海洋循環によって深海に運ばれる速さで決まる。ビールや炭酸水から想像されるように、二酸化炭素はそれなりに水に溶けるのだが、海洋循環は、二酸化炭素を吸収した海面付近の海水を素早く深海に運べるほど速くはない。しかも、海水が二酸化炭素を多く吸収するほど、大気中の二酸化炭素の増加に対して海水が吸収できる二酸化炭素の割合が少しずつ小さくなってゆくことは、化学的な性質として間違いない。また温暖化が進むと海洋循環が弱まって、二酸化炭素がいっそう深海に運ばれにくくなる可能性も高い。つまり、二酸化炭素の大量排出が続いて温暖化がいっそう進むと、二酸化炭素の排出量に対する海の吸収量の割合は1/4からさらに小さくなって、温暖化が加速する可能性が高いのである。
良くないニュースは他にもある。「海洋酸性化」だ。海水に溶けた二酸化炭素は「炭酸」になる。そして、もともと弱アルカリ性の海水を少しずつ中和し、酸性方向に変化させる。海洋酸性化は、世界の海で進んでいる。二酸化炭素が大気中で増え続ける限り、海洋酸性化も進み続ける。人為的な二酸化炭素の排出がこのまま増え続けると、おそらく今世紀半ばには、まず豊かなサンゴ礁の生態系などに目に見える影響が現れ始める。そうなると水産業や観光業に大きな影響が出るほか、熱帯や亜熱帯の島々などでは、サンゴ礁に守られた沿岸の居住域が、高潮や温暖化による海面水位の上昇に対していっそう脆弱になる。海洋酸性化の実態と影響の評価・予測、そして抑止が、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の評価報告書のテーマや、持続可能な開発目標(SDGs)のターゲットになっていることは、海洋酸性化に対する強い危機感が世界に広がっているからに他ならない。

■図1 酸性化の指標となるpHの本州南方の東経137度・北緯30 度における長期変化(赤丸は観測値、黒線は観測値などに基づいて推定した季節変化の動向)。(気象庁の観測データに基づいて作成)

持続可能な開発のために持続的な観測を

海の表面付近では、さまざまな生物の活動に加え、気象条件に左右される海水の混合や海洋循環などによって、二酸化炭素の濃度や海水の酸性度が季節や年とともに変化している(図1)。それらの変化は、熱帯の海から南極海や北極海まで、また沿岸域から外洋域まで、海域によってさまざまな様相を呈する。そのため、人為的に排出された二酸化炭素の吸収や海洋酸性化の実態を知り、地球温暖化の抑止と持続可能な開発に向けた二酸化炭素排出削減の効果を評価してゆくには、海の炭素循環の観測をさまざまな海域で地道に続け、信頼できるデータを利用しやすい形で提供し続ける作業が不可欠であり、それによって自然変動と人間活動の影響を丹念に識別しなければならない。そうした作業は、海のしくみを発見し、理解する作業でもある。海の炭素循環の研究は、化学、物理学、生物学や気象学など、さまざまな学問分野が関わる学際的な研究である。観測を効率的に行うためにも、炭素循環の観測は、研究観測船による組織的観測と民間の船舶による篤志観測や、係留系、アルゴフロート、水中グライダーなどによる自律型海洋観測を組み合わせ、それぞれの特質を活かした総合的・持続的な海洋観測システムの目的の一つとして行ってゆく必要がある。

海の炭素循環研究の価値連鎖

2019年10月、パリのユネスコ本部に海の炭素循環研究に取り組む科学コミュニティの代表者とユネスコ政府間海洋学委員会(IOC)の関係者らおよそ40名が集まり、「国連海洋科学の10年」への取り組みについて議論した。
会議では、新しい「知」の創出と社会的課題の解決に向けて取り組むべき海の炭素循環研究のさまざまなテーマや、それらのテーマに向けた観測の立案・実施から将来予測に至る一連の価値連鎖 (図2)における諸問題を議論した※1。この価値連鎖は、全球海洋観測システム(GOOS)※2の価値連鎖の考えに沿っており、炭素循環の研究だけでなく海の観測研究の全般に対しても言える。こうした価値連鎖は、海洋研究科学委員会(SCOR)※3やユネスコIOCの設立以来、意識され続けてきた。その中で今、観測船による基準的な精密観測の維持・発展(図3)、化学センサー搭載型アルゴフロートなどの広域展開による観測密度の飛躍的向上、生活圏に近い沿岸域の観測推進、データ品質管理と統合データベース作成作業の持続的な実施体制への転換、そしてこれらの作業を支える人材の育成やパートナーシップの形成が、大きな課題となっている。
海洋酸性化は、海水温や海面水位の上昇と同じように、静かに、確実に進んでいる。集中豪雨や猛暑のような著しい現象ではないため、今のところ人の目に直接触れることはない。しかし、その影響が人の目にも明らかなほど進んでしまったとき、もはや元通りに戻すことは不可能だ。「国連海洋科学の10年」が目指す「健全な海」「予測できる海」「生産的な海」などの社会的成果を実現するためには、「科学の目」を凝らし続け、「科学の目」で見えたことを、「情報公開の海」として広く社会に伝えていかなければならない。持続可能な開発に不可欠な地道で持続的な取り組みは、日本人の得意とするところだろう。炭素循環ほか海洋の観測・研究に優れた実績があり、世界的に重要な貢献をしてきた日本の関係機関や大学が、「国連海洋科学の10年」においても、社会との関わりを深めながら、重要なプレイヤーであり続けることを願う。(了)

■図2 海の物質循環研究における価値連鎖(Value Chain)
■図3 観測船による海洋内部の二酸化炭素ほかの精密観測のデータベースGLODAPv2に収録されたデータの分布。https://www.nodc.noaa.gov/ocads/oceans/GLODAPv2/
  1. ※1この会議の議論に基づいてホワイトペーパーの作成が進められている
  2. ※2気候、現業サービス、海洋の健康の3つをテーマに、海洋観測とその国際連携を推進するプログラム。ユネスコIOC, 世界気象機関(WMO)、国連環境計画(UNEP)、国際学術会議(ISC)が後援
  3. ※3国際学術会議(ISC)傘下の海洋研究を推進する組織
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