Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第461号(2019.10.20発行)

未来の科学を担う世界の子どもたちへ〜深海の絵本を通してみる科学教育〜

[KEYWORDS]深海/主体的思考/科学リテラシー
(国研)海洋研究開発機構技術副主幹、NPO法人チームくじら号副代表◆佐藤孝子

子どもたちの理科離れなどに対抗するため、筆者は小学生そして幼児向けの「深海世界の魅力紹介」絵本を上梓し、音楽を組み合わせた「絵本読み聞かせ活動」を日本語や英語で10年以上展開してきた。
その原動力は、小さい頃からサイエンスを楽しみ、主体的に考えてもらいたいという研究者の願いだ。

地球を食べるハオリムシ

サツマハオリムシ属、相模湾初島南東沖、2016年12月24日撮影(©JAMSTEC)

それは忘れもしない、初めて「読み聞かせイベント」を0〜5歳児を対象に保育園で実施した時のこと。筆者が制作した絵本の読み聞かせを、同伴の研究者による生のギター演奏で盛り上げるスタイルもあって、赤ちゃんたちも夢中になって鑑賞してくれた。「読み聞かせイベント」とは、深海の世界を紹介する絵本を、紙芝居のように1ページずつプロジェクターで投影しながら子どもたちに読み聞かせる、ある種の出張授業のことである。絵本の読み聞かせの後には、深海やそこにすむ生き物に、さらに興味を持ってもらうため、クイズ形式で解説を行うように工夫しており、クイズの好きな子どもたち、あるいは子どものような好奇心を持っている大人にも好評いただいている。
イベントが進み、深海に特有の「化学合成生態系」、すなわち熱水噴出孔の環境などに豊富にある硫化水素を利用してエネルギーを得て生きる、イオウ酸化細菌を体内に共生させている「ハオリムシ」の解説を始めた時である。光の乏しい深海では、光合成で生産される有機物が中心の餌は少ないため、陸上には見られない機能をもった不思議な生物がいる。その例がハオリムシだ、という話を始めた。「ハオリムシはね、餌を作ってくれる小さな生物、バクテリアと呼ばれる生き物をたくさん身体の中に飼っていて、栄養をもらって生きているんだ」。すると、一番年上の5歳の園児から、「じゃあ、いったいバクテリアは何を食べてるの?」と質問が飛んだ。ギターを抱えた研究者、加藤千明博士にとっては、これから話そうとしていた真髄を先に指摘された形だ。彼は「それはね!実はバクテリアは地球を食べているんだ!」と答え、時に300度を超える温度の海底火山の熱水に含まれる硫化水素が有機物生産の大切なエネルギーであることを、それまでとは全く別のハイテンションで解説しはじめた。

主体的な思考を引き出す

「読み聞かせイベント」。新宿区立戸塚第3小学校1年生に実施時の様子。ステージ側左端が筆者、右端が加藤千明博士絵本2作。『くじら号』は英訳されている(Discovery Adventure Into the Sea with the Vehicle-Whale)問合せ:NPOチームくじら号http://www.kujirago.org

深海微生物の高圧適応と共生を研究してこられた加藤博士は、その園児たちとの体験を元に、退職後「チームくじら号」と名付けられたNPO法人を2017年9月に立ち上げ、代表に就任した。法人の主な活動は2本立てで、2008年から続く上記の「絵本読み聞かせ出張授業」の企画・実施、および鎌倉の由比ヶ浜海岸のゴミ調査である。由比ヶ浜海岸のゴミ調査は、地元の子どもたちと取り組み、マイクロプラスチックなどの海洋汚染問題を追求している。そのデータは着実に蓄積されており、近い将来、論文などの公の報告書として公表予定である。
人をそこまで動かすモチベーションの元は、自分の解説が未就学の子どもから、主体的な思考を引き出したことにあるのではないだろうか。まさに的確な質問をしてくれたのがその証である。多くの教育関係者が口々に理想とする「主体的な思考」。誰しも、丸暗記する受動的勉強法よりは、自身で考え、生じた疑問を解決していく主体的な学びの方が、持続性があり応用の効く知識となることは経験しておられるだろう。それには、知識に対して時に好奇心をくすぐり、あるいは芸術的な美しさで異次元の世界を感じてもらうことが必須であると筆者は強く感じている。その最初の実践的仕掛けが、絵本であった。
潜水船「しんかい6500」に代表される探査機で、深海底の調査研究を50年近く持続的に実施している(国研)海洋研究開発機構(JAMSTEC)において、筆者は深海微生物の研究に従事することができた。そして幸運にも、深海の世界や生物を紹介する絵本を著述する機会にも恵まれ、当時小学4年生だった娘に、母の仕事を語りかけるように紹介する形で書いた。それが浦島太郎の民話をベースにしたスペースファンタジー絵本『くじら号のちきゅう大ぼうけん』で、2008年に出版され、2年後には英語版もできた。以後11年間で、筆者の率いる読み聞かせチームは、世界6カ国(韓国・スペイン他)を含む延べ174カ所で公演を行ってきた。全ては、地球最後のフロンティア、ほとんどが未知の空間である「深海世界」へのワクワクドキドキを伝え、主体的に自分の生きる世界、地球を、宇宙を、社会を考えるきっかけにしてもらい、また科学に親しんでもらいたい、という科学者の切なる願いが動機だ。

科学的思考を子どもたちに

子どもたちの理科離れが深刻だと聞く。大学生の進路は、相変わらず文系がメジャーだ。天然資源を持たない日本の産業において、製造や創造は経済の原動力であるのに、その源となる科学は、学校教育の中で、残念ながらいつもちょっとマイナーな存在のようだ。
そこでまずは、幼児の世代から科学を楽しんでもらおう。鉄は熱いうちに打て、である。目に見える現象の裏には、実はいろんな科学法則が隠れている・・・そんな楽しみの一端を、小さい頃から感じてもらえると、サイエンスに拒絶反応のない人格が形成されるのではないかという思いで、『くじら号のちきゅう大ぼうけん』、さらに幼児向けとして『しんかいくんとうみのおともだち』を作った。そこまでして科学リテラシーに奔走するのには、訳がある。サイエンスをもっと身近な生活に活用し、不安を煽る情報への対処にも応用して欲しいと願うからだ。
ネットやメディアで提供される情報の中には、科学的証拠に基づかない主張が散見される。典型的なものが、健康食品かもしれない。趣味のレベルでその効果を楽しむのは「健康的」だが、科学的に根拠のない状態で、その効果は絶対だと信じ込んでしまうのは危ない。アメリカのいくつかの州で、進化論を教育できないところもある。人類の祖先アダムは、神が作った泥人形に息を吹き込んで造られたとされるからだ。このような信仰そのものを、筆者は決して否定しないが、サイエンスを捻じ曲げる意思は、ガリレオの地動説否定から一歩も脱していないのでは、と悲しくなる。
いつの時代も、その先の未来を作っていくのは子どもたちだ。未知への冒険心を原動力に、深海の世界を通じて、エビデンスに基づく科学的思考法を少しでも多くの子どもたちに伝えたいと強く願う。なぜならサイエンスは、先人が大事に積み上げてきた知恵の結晶の一つだから。人間のエゴだけを押し付けるのではなく、地球と共存する現代の知恵も加わった「新科学」を、世代を超えて百年千年と未来の人類へ託したい。(了)

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