Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第422号(2018.03.05発行)

私たちの復興とは ~映画『新地町の漁師たち』制作を通して考えたこと~

[KEYWORDS]漁業/復興/福島
映画監督◆山田 徹

海と共に生きる漁師という生業は、自身の生き甲斐を得るための「労働」であり「アイデンティティ」だ。
映画『新地町の漁師たち』では、東日本大震災による津波と原子力災害で被災した福島の漁師たちの3年半の記録が描かれているが、この時間は彼らが震災によって傷ついた身体から復興するための時間でもある。
都市文明の発展のもとで起きた今回の災害は、漁師たちの尊厳をいかに奪ったか、私たちの復興とは何なのかを考えていきたい。

映画『新地町の漁師たち』について

映画『新地町の漁師たち』地下水バイパス計画の説明会

新地町は、福島県沿岸の最北端、宮城県との県境に位置し、人口は約8千人。新地町の漁協は相馬双葉漁業協同組合の一支所であり、組合員は70名ほどで構成されている。漁業形態は、小型船での船曳網、刺し網、籠等の漁業が営まれており、コウナゴやシラス、ヒラメやカレイ、アナゴやサバ、タコやホッキなど多様な魚介類が水揚げされる。しかし、東日本大震災によって新地町の沿岸集落は甚大な被害を受け、漁業に関しても津波による被災のほか、福島第一原子力発電所の事故の影響により完全な操業自粛となった。
「海は二度と甦ることはないのか?」─ 被災地の現状を知るためにボランティアを通じて新地町を訪れた私は、現地を取材していく過程で海を生業とする漁師たちの行く末が気になり、彼らのドキュメンタリー映画をつくることにした。
漁師たちの震災後の仕事は、モニタリング調査用の魚をとる仕事と、海の震災瓦礫の撤去作業である。この仕事は週に1、2回しかなく、しかも午前中に終わってしまう。日々の生活は、賠償金等で最低限成り立っているとはいえ、生き甲斐であった漁師としての仕事を失えば、行き着く先は、パチンコ、釣り、昼寝など、生活は堕落していく。一方、すぐ隣の宮城県の漁師たちは、出荷制限の魚種があるとはいえ、震災後から新地町の漁師たちの目前で悠々と漁を行なっていた。新地町の漁師たちは、津波から多くの船を守ったにもかかわらず、福島県下にあるため海に出られないのだ。そんな苦しい状況ながらも、新地町の漁師たちは復興を願い、仲間と共に浜に集い続け、明け方や夕暮れ時など、沖の白波のうねりを見ながら、いつでも出航できるよう各々が船の整備をしている。年に一度の祭事では、住まいがバラバラになっても一同に集い、神社で復興を祈願する。漁に行きたくても行けないもどかしさのなかであっても、海と仲間と共に生きている。そんな漁師たちの姿は震災以降も、浜からなくなることはなかった。
震災から1年半が経過した2012年6月、漁師たちにようやく転機が訪れる。約4万件を超えるモニタリング結果から安全が確認された魚種に限定した試験操業がスタートしたのだ。新地町では、2013年3月にコウナゴ漁の試験操業が始まった。彼らにとって試験操業は海に出て漁師に戻れる待望の時だった。
そんな最中、福島第一原発から流出する汚染水を減らす対策として打ち出された地下水バイパス計画(原子炉建屋に流れる前の地下水を山側で揚水して浄化後に海に流す計画)の受け入れをめぐる国・東京電力・漁師たちの説明会が始まる。廃炉を一刻も早く進めるために、漁業者から計画容認を得たい国と東京電力に対して、容認しないと復興できないことを頭では理解しつつも不信感から反対する漁師たち。もめにもめたが、最後には漁業者側が計画容認を受け入れることになる。漁師たちにとっては苦渋の決断だったが、皆で納得するまでとことん話し合いをして、相互扶助の精神のもと、公共財産である海を守りぬこうとする人々の姿があった。

安波祭

安波祭

東日本大震災から5年半が経過した2016年11月3日、福島県新地町の「安波津野(あんばつの)神社例大祭」である「安波祭」が震災を経て10年ぶりに執り行われた。この祭は、海の神様である「安波さま」に航海安全・大漁を祈願する5年に一度の浜祭りである。本来ならこの祭りは2011年に開催予定だったが、津波と原子力災害の影響で延期となっていた。しかし、震災から5年以上が経過して、漁民たちの職住環境の復旧も進んだことから、およそ10年ぶりに執り行われることになった。
青空の下、浜ではたくさんの大漁旗がはためき、震災以降見えなかった町民の姿で賑わうなか、神輿を担いだ漁師たちは、被災した沿岸部や移転先の住宅地を練り歩き、最後は威勢良く海へと入っていく。5年前のことを忘れるほどに澄み切った青い海。水しぶきをたてながら力強い御輿ぶりを披露する漁師たちを間近で撮影していた私は、町の図書館にあった1983年の安波祭の記録映像と目の前の彼らの姿が重なっていることに、ふと気がついた。浜からは女性や子供たちの歓声が聞こえてくる。33年前とまったく同じ光景だ。新地町の海の豊かな記憶は、震災を経てもなお脈々と受け継がれていると感じた。少しずつ、震災によって失われた浜の時間が戻り、海に生きる人々の傷が癒されていく。「復興」という言葉が立ち上がった瞬間だった。このシーンを映画『新地町の漁師たち』では、エンドクレジットに重ねた1983年の記録映像に続くラストカットにした。

私たちの復興

福島県では、2015年4月以降のモニタリング検査で基準値を超える魚種は認められず、安全が確認されていることから、試験操業の対象魚種は2012年開始直後の3種から2017年1月に97種類まで拡大し、2017年3月末に出荷方針が改正されて「すべての魚介類(出荷制限魚種を除く)」となった。2018年1月時点において、試験操業対象種は出荷制限魚種10種を除く約193種が水揚げ対象となっており、安全面を考えると、福島の海はいつでも本格操業ができる状態にあるが、2017年の漁獲量は未だ震災前の約2割未満だ。何より福島第一原発の廃炉過程における汚染水の処理を巡る問題が、福島県の漁業者に重くのしかかっている。汚染水問題が解決されない限り、福島の海から風評問題の火種は消えず、本格操業までの道のりは不透明なままだ。
映画の最後、ある漁師の一言が私の胸を打つ。「俺たちはいつでも漁ができる準備がある。世の中が復興できてないんだよ、結局な」
この「被災地の復興」ではない「世の中の復興」、すなわち「私たちの復興」とは何を指すのだろうか。福島の現状に無知な人が多いという指摘もできるが、そうではなく、今回の震災によって露呈した「私たちの生き方そのもの」が問われているのではないか。震災という苦境の事態にあっても、土地の記憶に根ざし、漁師として生きることに一貫した姿勢を貫く彼らの姿から、私たちは大きな問いかけを受けた気がする。今の私に明確な答えはないが、その答えを私は探し続けたいと思う。(了)

  1. 映画『新地町の漁師たち』製作年月:2016年、時間:89分 上映情報などはこちらから。http://shinchi-ryoshi.businesscatalyst.com/

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