Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第395号(2017.01.20発行)

内航船における日本初の女性管理職の登用

[KEYWORDS]内航船/人材育成/女性船員
(有)三原汽船代表取締役社長、第9回海洋立国推進功労者表彰受賞◆三原廣茂

三原汽船は初めて女性の内航船員を採用した1998年以来、2016年までに採用総数100名のうち43名の女性を採用してきた。
2003年の採用者のなかから、2009年に初めて女性船長に昇格する者も現れた。
今後も、新卒者船員への育成と操船技術の継承を図るとともに、大いに女性船員に活躍してもらうための環境作りを積極的に行っていきたい。

新卒船員の採用

わが社は1993(平成5)年から毎年、各海上技術短期大学校に求人票を提出していました。その当時、499総トンの貨物船2隻所有で一杯船主※1みたいなものでしたから、わが社の求人票は枯れ木も山の賑わいのようなものだったに違いありません。わが社に就職する学生がいるのだろうか?と思っていましたが、1996(平成8)年7月、突然、国立清水海上技術短期大学校から、ひとりの女子学生がわが社(三原汽船)に入社したいと推薦状が送られてきました。その時の所属運航船は、499総トン、749総トンの貨物船2隻、749総トンの特タン船1隻および749総トンのアスファルト船1隻の計4隻でした。これら小型船を運航し、船員は30人いましたが、女性の船員はひとりもいませんでした。船員になりたい女子学生がいることを初めて知り、驚きました。
しかし、私は、子どもの頃から母の姿を見てきたことで、船員としての女性の力を確信していました。母は農家の娘で、船とは何かも分からずに、戦時中、海運業を営んでいる父のもとに嫁いできて、直ぐに船に乗せられ、船員として働くことになりました。その後、甲板の海技免許を取得し、(4人の子どもを養育するためでもありましたが)家業の担い手として、機帆船※2の船長になりました。すでに、少子化が進んでいたので、男性船員だけを雇うことができない時代が来ると思い、私は女性を内航船員として採用するのも良いかなと決断しました。彼女に「本当に入社したいのか」と、電話で内航小型商船の説明をするものの、彼女は全く理解できていないようでした。では、どのようにすれば現状をわかってもらえるか思案した結果、アスファルト船に約1週間乗船して、船内生活を体験してもらうことにしました。これが、現在も実施している採用試験を兼ねた約1週間の「乗船体験」の始まりです。同年9月、この乗船体験を終了後の女子学生の結論は、「方向転換させてください」でした。私としては彼女の選択は良かったと思いました。何故なら、何もわからず翌年4月に入社し、乗船したとしても、彼女が描いていた船のイメージと大幅に違っていることがわかり、1日や2日で退職してしまったかもしれません。またその時点で就職先を変更することは難しいでしょう。この9月の段階なら、他社への就職ができるチャンスがあるはずです。
翌1997(平成9)年は、国立波方海上技術短期大学校から女性1名、男性1名の応募があり、乗船体験を経て、1998(平成10)年4月、この2名が入社しました。わが社にとって、新卒者採用の始まりであり、同時に女性の採用の始まりです。以降も、景気の良くない時代が続き、他社が採用しない時に、零細企業にとっては新卒者を採用できるチャンスと思い、新卒者採用を続けました。応募者全員に乗船体験を実施し、その感想を書いてもらい、乗船体験感想文中に入社の意思表示をしてもらったところ、全員が入社意思表明したことにより、男女関係なく全員採用致しました。1998(平成10)年から2016(平成28)年までに採用総数100名、そのうち女性は43名です。毎年1名から最大10名の採用です。

女性船員を採用して

初めて採用した女子学生が、1997(平成9)年9月、航海訓練所の練習船での実習を終えたその足で、わが社に入社するための体験乗船しました。彼女のアスファルト船でのお風呂の感想が、「5カ月ぶりに湯船につかり、気持がよかった」でした。この一言でこの子は男性社会のわが三原汽船の船員になれると直感しました。
1998(平成10)年4月、わが社にとって初めての新卒者採用と、しかも女性を採用したことで船内の環境、当然のことながら、船内の雰囲気に変化が生じました。ベテラン船員は、自分の息子や娘と同じ年頃の子たちが船員として乗船したことで戸惑いを見せました。特に当初は、女性には非常に優しくほとんど何もさせないようにしているようでした。でも彼女たちは「男性社会に、自分から飛び込んできたのだから、男性と同じ仕事をして、同じ待遇、同じ給料、昇進を得るという硬い決心があった。むろん差別はしてほしくない」と言い切り、力仕事も苦労しながら、進んでやろうとしていました。
そこで、私はウインドラス(揚錨機)のブレーキバンドのハンドルを緩めたり閉めたりする時、マイパイプを使い、テコの原理を応用してひ弱な力でもハンドルが操作できることや、どうすれば力がなくても仕事をこなせるか、頭を使って、工夫をして仕事をするようにアドバイスをしました。船舶の設備に関しては、普通の設備であり、特別な女性専用の部屋、トイレ、風呂等はありません。男性社会に飛び込んだという意識がある彼女たちが、女性専用設備を望まないことに、わが社は甘えているかもしれません。

2008年竣工の翔洋丸右端が寺田美夏船長

女性船長誕生後の効果と今後の取り組み

2008(平成20)年8月、わが社で3隻目の新船建造となるコンテナ船、翔洋丸(499総トン)が竣工しました。本船は広島、防府と神戸、大阪往復を航路とし、主にマツダ自動車の部品をアジアやメキシコ等の海外へ輸出し、海外からの自動車用部品を輸入する専用のコンテナ輸送に従事しております。2003(平成15)年度は、10名を採用しましたが、後に女性船長に昇格する寺田美夏は、その中のひとりでした。当初より、彼女の潜在能力、意欲、やる気、総合力等は桁違いに高いと感じていました。彼女は、翔洋丸の建造中から本船と関わり、竣工時から一等航海士として乗船していました。そして、2009(平成21)年8月に、彼女を船長に抜擢しました。
寺田美夏をとりあげてくださるテレビ、雑誌、業界紙、一般紙の報道により、「私も船長になりたい」と女子学生の応募が非常に多くなりました。これは一般の船会社が女性船員を採用しないため、採用するわが社に集中するからなのかもしれません。ほとんどの女子学生の入社志望する理由は「女性船員を積極的に採用しているから」で、わが社への入社の動機にもなっています。
また、わが社が女性を採用することを船員養成学校の先生方もご存じで、紹介していただくことが多く、船員の求人難の時代が続いていますが、新卒者の求人に関して、わが社は積極的に求人活動を行ったことはありませんが、ほとんど毎年応募が有り、新卒者の男女を採用しております。
今後も、新卒者船員への育成と操船技術の継承を図るとともに、大いに女性船員に活躍してもらうため、結婚・出産後も引き続き就労できる環境作りを積極的に行っていきたいと思います。(了)

  1. ※1一杯船主:所有船舶が1隻で、家族船員とともに自らも乗り組む船主。主に内航海運を担う。
  2. ※2機帆船:沿岸航路の海運に用い続けられた内燃機関搭載の木造帆船

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