Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第375号(2016.03.20発行)

復興まちづくりを通じて新たな価値と未来を生み出す

[KEYWORDS] 復興まちづくり/女川人のチャレンジ/可能性先進地
宮城県女川町長◆須田善明

大震災で被災率最大となった女川町は、震災前以上に海辺と住民の距離が近くなる、海の価値を最大限活かした町を目指している。
また、住民や町そのものがリスタートを切る中で、震災後まもなく始まった地場産品ブランディングプロジェクトなど、今後へ向けた女川人の新たなチャレンジが生まれ続けている。
「課題先進地」と言われる被災地から「可能性先進地」へ変わろうとする女川の息吹を多くの方々に感じていただきたい。

はじめに

海へと延びるプロムナードの直線上に初日の出が臨める

女川町は世界三大漁場たる金華山沖を眼前に据える、海と共に生きてきた町だ。漁業は組合員数・生産額とも町単位でみれば全国最大級、水産加工業も集積し、国内有数の水産拠点の一つに数えられる。「あの日」、町の7割以上が壊滅し町域の大部分と産業を含むあらゆる都市機能を一度に喪失、人口においても一割弱を失った被災率最大の自治体女川。あれから丸5年を迎える現在、人口減少率は全国ワースト1であり、漁業経営体数も3割減少、依然仮設の加工場運営を余儀なくされる事業者も存在するが、漁業生産額は震災前以上を達成し、土地整備に伴い加工場の本設再建も進んできた。労働力不足や販路が回復途上であるなど、本町のみならず被災地復興を取り巻く環境は未だ厳しいものがある。それでも、「あの日」以来歩んできた、自分たちの未来を自分たちの手でもう一度創り上げるという挑戦は、これからも止まることはない。

海と共に生きるまちであるために

震災前から思っていたことがある。それは「"海の町""水産の町"と言いながら、水辺や海辺(海・漁港)が私たちの日常生活の一部に本当になっていたか(いるか)?」という疑問である。なぜならば、一部レジャーを除き、わが国では多くの場合海辺は仕事場となっていたからである。また、まちのにぎわいを生み出すには、何かのコンテンツによって与える(与えられる)楽しみではなく、来た人・住む人が自ら「fun=楽しみ」を創り出せる空間形成こそ肝要である。さらには、震災直後の混乱期においても強いリーダーシップで修羅場をかじ取りされた安住宣孝前町長も、復興という新たなまちづくりにおいては海辺と背後地を分断しないひな壇型の造成を震災後の早い段階から志向されていた。
これらの考え方を収斂し描いたのが本町の中心市街地新生の土台となるコンセプトである。具体的には、①市街地部を海側の低い方から「水産加工団地や交流エリアとなる海辺」「商業機能等を担う背後地」「新設住宅地」の三段構造(断面的に見ると階段構造)とし、海側と市街地部を空間的に断絶させない、②市街地のへそに主要都市機能を集積することで拠点化し、日常活動動線の集約を図る、③それにより面の連動性を確保し、人の流れを生み出すことで、人口減少下においても活力の維持・創出を図る、というものである。そのことによって、海辺を私たちの生活に近づけるとともに積極的に日常の場として活用できるような仕掛けである。また、本町で設置した都市デザインの専門家も交えた「復興まちづくりデザイン会議」では、新たな町の価値を高めるためにも景観形成において「海の価値を最大限に生かす」ということを謳っている。それに基づき、新設住宅地においては各々の中心街路の軸を海側に向け視線が抜けるようにし、日常生活の中で"私たちの海"を常に身近に感じられるように設計した。
現在、背後地にJR石巻線女川駅が温浴施設「ゆぽっぽ」との合築で再建され、昨年末にはにぎわい拠点の中核となる商業エリアが本格的に再開された。海辺の観光交流エリアの完成は平成30年度と、本町の復興事業最終年度まで待たねばならないが、復興事業全体の最後の段階にして本丸の一つとなるエリアである。これらがすべて繋がったとき、その本当の価値が現出するであろう。

復興とチャレンジを通じて未来を創る

キリン絆プロジェクトの調印式でブランド商品をPR(左端が筆者)

復興はハード面にとどまるものではない。むしろ、そのハードの上に展開される人々の日常やさまざまな活動が町に息吹を与え、町の姿になる。私たちにとってまちづくりや個々の生活再建もチャレンジやリスタートであるが、自分たちの未来を描く上での新たなチャレンジが女川には溢れている。
震災後、家業自体が被災している若者たち7人が集い、わずかでも本業再建に回すべきはずの資金を集め、たった合計30万円の出資から始まった会社がある。まだ町中が瓦礫だらけの姿の時に立ち上げられた「復幸まちづくりおながわ合同会社」というその会社は、それまで各企業が個別に展開していた地場産品のセールスプロモーションを統合的に行うことでの地域と各企業のデュアルブランディング、並びに地域への集客装置として水産業体験事業を展開することを目的に設立された。商品展開については在京を中心とした外部有識者が味・価格設定・パッケージングに至るまで審査を行い、それを通過したもののみを商品として取り扱うことからスタートし、事業拠点の設立についてはキリンビール株式会社と公益財団法人日本財団による『復興応援キリン絆プロジェクト』へ資金助成を申請、事業継続性の審査・指導を経て助成が決定し、2015(平成27)年6月に竣工。以来、店舗における地元民や観光客へのセールスと学校や企業等による水産業体験、Eコマースサイトでの販促など、自律的な経営が行われている。これを代表例として、被災者自身による新規創業、もともと女川とは無縁だった外部の人材が「ここでなら」と起業を決断するなど、新たなチャレンジが数多く生み出されている。また、そのような新たな息吹が企業の幹部研修や起業プログラム研修など、町内外の人と人とを結ぶ新たな学びや交流の機会が増え続けている。

「可能性先進地」女川へ

「女川は流されたのではない新しい女川に生まれ変わるんだ人々は負けず待ち続ける新しい女川に住む喜びを感じるために」― 震災の2カ月後に小学5年生の子が書いた詩です。私たちは余りにも多くのものを失いましたが、一方で、これまでの歩みのなかで震災前には得難かったような数多の出会いや経験をし、その化学反応が未来へ向かうチャレンジを生み出してきました。被災地は課題先進地と言われますが、裏を返せばそれは「可能性先進地」でもあります。これまでの皆様のご支援に感謝を申し上げつつ、是非一度足をお運びください。生まれ変わろうとする息吹を感じるために。今後もよろしくお願い申し上げます。(了)

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