Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第358号(2015.07.05発行)

第358号(2015.07.05 発行)

編集後記

ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所名誉教授)◆秋道智彌

◆サノヤス造船(株)社長の上田 孝氏は中堅造船企業ではツトに知られた方である。サノヤスは1911年に佐野川谷安太郎氏が創業した佐野安造船所を今に引き継ぐ。本誌を読んで、上田氏が造船業にかける熱い思いが数々の社訓や経営方針として具現化されていることがわかった。なかでも造船番長のアニメCMは意外であったし、3K企業のイメージを払しょくしたことはまちがいあるまい。人材ではなく、人財とした人づくり構想は創業者の想いを今に伝えるものであろう。
◆横浜港は2009(平成21)年に開港150周年を迎えた。1859年当時は米国のペリー提督が黒船で来航し、日本に開国を迫った激動の時代であった。ペリー以前から日本近海に来航した西洋の船は木造の帆走船であり、総じて黒船と呼ばれた。ペリーの軍船も半分は蒸気船で、残りは帆船であった。蒸気船の黒船でも外洋では帆走で航行し、蒸気機関を使った航行は静かな港湾内に限られていた。
◆日本丸船長の山本訓三氏と横浜みなと博物館館長の志澤政勝氏は、近代の曙となった横浜港を拠点として未来の海を子どもたちに託するさまざまな事業を推進されておられる。甲板をヤシの実で磨く親子教室やカッター訓練など、横浜ならではの試みは頼もしく映る。帆船日本丸と帆船海洋丸が建造されたのは、1930(昭和5)年のことである。当時は船員育成のねらいから建造された。上述したサノヤス造船所(株)は、木造船でなく鋼鉄製の近代的な船舶の建造をめざした。近代における船舶の歴史を博物館で紹介し、子どもたちを対象とした海洋教育を進める横浜、番長グループの進める造船業の拠点である水島は、日本における造船業と船舶の歴史を知る貴重な場であることが分かった。
◆1853年にペリーは浦賀に来航する前、琉球に立ち寄っている。ペリーは那覇から上陸後、琉球国にフィルモア米国大統領の親書を渡している。翌年、再び来航したペリーは日米和親条約を締結後に琉球を再訪し、1854年7月に琉米就航条約を結んでいる。米国船への薪水の提供、領事裁判権、水先案内などに関する規定を決めている。当時から、日本本土、琉球、米国とは外交上深いかかわりをもっていたこと、尖閣列島や辺野古、南シナ海など、現代の海をめぐる問題にもつながることは覚えておいてよい。
◆水島造船所のある瀬戸内海はかつてと異なり貧栄養の海となった。海苔養殖も大きな打撃を受けている。ところが沖縄では、本来、貧栄養の海であるサンゴ礁の海が陸地からの汚染物質の流入で深刻な富栄養化の情況にある。海藻(草)の繁殖でサンゴへの影響も大きい。こうした中で、再生水を活用してサンゴ礁の海を保全する取り組みが注目されている。沖縄県サンゴ礁保全推進協議会会長の中野義勝氏が目指す美しい沖縄の海が戻ることは重大な課題であり、活動の広域的な展開を期待したい。(秋道)

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