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オーシャンニューズレター

第357号(2015.06.20発行)

第357号(2015.06.20 発行)

宇治川鵜飼の鵜匠とウミウの「はじめの一歩」

[KEYWORDS]鵜飼/人工繁殖/育雛
東京大学日本・アジアに関する教育研究ネットワーク特任講師◆卯田宗平

2014年。この年は日本の鵜飼関係者にとって長く記憶に残ることであろう。宇治川鵜飼のウミウが産卵し、ヒナが成長したからである。
日本の鵜飼は1000年以上の歴史があるといわれるが、鵜飼のウミウが人工の管理下で繁殖することはたいへん珍しい。鵜匠とウミウはまさに「はじめの一歩」を踏み出したのである。
わたしたちはこの新たな「歩み」を暖かい目で見守っていきたい。


中国と日本の鵜飼

現在、鵜飼は中国と日本でのみ知られている。かつてヨーロッパでも鵜飼がおこなわれていたが、それは貴族たちの娯楽という位置づけであった。
中国と日本の鵜飼を見比べてみると異なる点が多い。中国の鵜飼い漁師たちはカワウを自宅で繁殖させ、それを飼い馴らして漁で利用している。操業中、彼らは船を使用し、操業の時間帯も昼間である。現在、江蘇省や広西チワン族自治区の一部では観光鵜飼もおこなわれているが、中国の鵜飼のほとんどは生業として続けられている。
一方、日本の鵜飼はいずれも観光を目的として続けられている。各地の鵜飼では茨城県日立市十王町の海岸で捕獲された野生のウミウが利用されている。鵜匠たちは日立市から送られてきたウミウを飼い馴らしているのである。中国の鵜飼のカワウは人為的な環境下で繁殖しているという意味で「家畜動物」であるが、日本の鵜飼のウミウは野生の個体を人間が飼い馴らしているので「馴化動物」と呼ぶことができる。

鵜匠たちの「第一歩」

■写真1:中国の鵜飼い漁師は魚肉を竹棒の先端にのせ、大きく開いたヒナの口に流し込む。

■写真2:宇治川鵜飼の鵜匠は針先のない注射器で魚肉をヒナの口に注入する。

宇治川鵜飼のウミウは宇治公園「塔ノ島」に設けられた鵜小屋で飼育されている。その鵜小屋にいる一組のペアが2014年5月19日から6月2日にかけて計5個の卵を産んだ。そのなかで6月2日に産み落とされた一個の卵が6月29日未明に孵化した。※
宇治川鵜飼の松坂善勝鵜匠、澤木万理子鵜匠、江崎洋子鵜匠の三人はこの日からヒナを自らの手で育てることになった。とはいえ、日本には鵜匠がウミウをヒナの段階から育てたという記録がなかったため、ヒナの飼育は試行錯誤の連続であった。まず直面した問題は餌の種類である。中国の漁師たちはタウナギやフナをすり潰し、その魚肉をヒナに与えている。宇治川の鵜匠たちはアジを基本としつつ、イワシやキビナゴをすり潰した魚肉を与えることにした。これは、入手のしやすさや栄養価、飼育費用を考慮してのことである。
次に鵜匠たちを悩ませた問題は餌の与え方であった。一般に、野生のウ類のヒナは親鳥の喉のなかに頭部を挿入して親鳥の・漁嚢(そのう)(鳥類の食道の下端にある袋状の部分)のなかで半消化した魚類を摂取する。加えて、孵化直後のウ類は目が開いていない。そのため、ヒナの目の前に餌を置いてもヒナが食べにくることはない。
カワウを繁殖させる経験が豊富な中国の漁師たちは細い竹を縦に割り、すり潰した魚肉をその竹棒の先端にのせ、ヒナの口に流し込む(写真1)。この中国式の方法を参考に、宇治川の鵜匠たちも当初は細いスプーンを使って給餌を試みた。しかし、すり潰したアジやイワシの魚肉がヒナの口のなかにうまく流れ込まなかった。そこで鵜匠たちは針先のない注射器を使うことにした。彼らはまず魚肉を注射器に入れ、餌を求めるヒナの口のなかにその魚肉を注入することにした(写真2)。この方法によって給餌の問題は解決した。
ヒナを育てるなかでさらに問題もあった。それはヒナの体温調整である。ウ類は晩成性の鳥類であり、孵化直後は綿羽が生えていない。そのため、ヒナの段階では体温調整にも注意しなければならない。鵜匠たちは気温・湿度計を備えた育雛器を利用し、そこでヒナを育てることにした。このように、鵜匠たちは専門家の声にも耳を傾けながら手探りでヒナの飼育に従事したのであった。

ウミウの「第一歩」

■ウミウの成長記録:
孵化直後から60日齢までのヒナの体重の変化(日別)

新たに誕生したウミウは鵜匠たちの努力に答えるようにすくすくと成長した。図は孵化直後から60日齢までのヒナの体重の変化を日別で示したものである。日本の鵜飼の現場でウミウを繁殖させた経験がないため、ヒナの成長データはたいへん貴重なものである。
ところで、ヒナの成長をめぐって「はたしてこれで順調に成長しているのだろうか?」という疑問があった。なにしろ鵜飼のウミウの成長記録がないためヒナの成長を見比べる参照軸がなかったのである。
正確にいうと、参照できそうなデータがないわけではなかった。実は、私が記録した中国の鵜飼のカワウの成長データはあった。これによると、孵化直後のヒナの体重は46g、10日齢で550g、20日齢で1,200gである。中国の漁師たちはヒナを25日齢で1,500g前後まで急いで太らせてほかの漁師に販売する。ヒナを太らせる方法はもちろんエサを多く与えることである。彼らが与える餌の量は、たとえば20日齢のヒナに751g/日である。この量は宇治川の鵜匠が同じ日齢のヒナに与える餌の量の2倍以上である。私は、中国で記録したカワウの成長データを宇治川鵜飼で活用できるのではないかと考えた。しかし、中国の事例は「たいへん特殊だ」ということで参照軸になることはなかった。
6月末に誕生したウミウは7月中旬になるとよちよち歩きを始め、8月からは建物二階のベランダで日光浴をするようになった。9月上旬になると川に入り、水浴びをするようにもなった。現在、鵜匠たちは新たに誕生したウミウを鵜飼にデビューさせるべく、日々トレーニングを続けている。

ウミウ誕生の意味

日本の鵜飼い漁ではこれまで野生のウミウが主に利用されてきた。鵜匠たちは野生のウミウを飼い馴らす過程でウミウが逃げないように鵜籠に入れたり、手縄で繋いだりしながら人為的な環境に「とり込む」作業をおこなってきた。一方、中国の鵜飼い漁師たちは人為的な環境で育てたカワウにさまざまなトレーニングをすることで生業の場である自然環境に「押しだす」作業をおこなっている。
こうしたなか、宇治川の鵜匠たちは新たに生まれたウミウを飼い馴らす過程で日本の鵜匠たちがおこなってきた「とり込む」作業ではなく、むしろ自然環境のなかに「押しだす」作業を続けている。すなわち、今回の事例は日本の鵜飼い漁におけるウ類と人間との関係を180度方向転換したのである。宇治川鵜飼でウミウが誕生した意味はここにある。
動物と人間との関係を考えるうえで重要な節目となる今年の宇治川鵜飼は6月14日から始まる。(了)

【参考】 『鵜飼いと現代中国-人と動物、国家のエスノグラフィー』卯田宗平(東京大学出版会、2014年)

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