Ocean Newsletter
第215号(2009.07.20発行)
わが国における海洋政策研究の新たな展開~「日本海洋政策研究会」の設立を機に~
日本海洋政策研究会は海洋政策の総合的研究のために研究者・専門家が幅広く結集した学会組織として誕生した。
これまで海洋に関する知の集積は不十分であったといえるが、これからは異なる学問分野の海洋研究者・専門家同士が分野横断的に海洋政策について協働することで、「真の海洋立国」を見据えた政策論議もいっそう活発になると期待される。
世界でも稀な学会組織
海洋政策に関わる問題の多くが縦割り型行政の下で対処されていた海洋基本法成立以前の国内体制の下では、専門家や学者の縦割り化を伴いがちであったし、異なる学問分野の海洋研究者同士が分野横断的に海洋政策について協働する場も少なく、政策論議は概して活発ではなかった。そうした閉塞状況が常態となる中で、わが国は、1960年代以降の国際海洋秩序の激動期における海洋政策の取り組みにおいて先進海洋諸国に著しい遅れをとった。だが、海洋に関わるわが国の理念、基本的施策および政策決定手続等において画期的な制度的変革をもたらした「海洋基本法」の成立を機に、国内の各方面から「真の海洋立国」に向けたさまざまな発想や提言が提起され、学界における海洋政策研究の組織化への機運が一気に加速された感がある。


日本海洋政策研究会設立総会 (2008年11月26日、於:海洋船舶ビル・港区虎ノ門)
海洋問題に対する総合的研究の要請
海洋の管理またはガバナンス(統治)における総合的取り組みへの認識は次第に定着しつつあるが、畢竟、それは今日の海洋環境を取り巻くさまざまな現代的状況に由来する。環境、資源、金融、犯罪、情報など、現代の国際および国内の社会が当面する問題のどれ一つを取り上げても総合的分析に基づく解決が要請されているのであり、海洋の諸課題もその例外ではない※1。海洋に関する総合的アプローチの重要性が世界的に認識されるようになった時期は海洋秩序の変革期と符合する。20世紀中頃をやや過ぎる頃までは、海洋自由の原則を基盤とする国際海洋秩序は海域別または機能別の条約体制に分かれており、諸国は、国家主権の作用により、そのいずれに参加しようとも自由であった。その結果、漁業、航行、環境などの各分野でそれぞれ別個の国際的レジームが構築されてきたのであるが、1982年に採択された「国連海洋法条約」(UNCLOS)は、単一条約の作成を要請した国連決議に応えて、海洋の諸問題の密接な相互関連性と全体的検討の必要性を強調して(同条約「前文」)、統一性を欠く従来の海洋法秩序を統合する一般的かつ基本的な法的枠組みを作り上げた。その後も、これを補強するように、1992年の開発と環境に関するリオ宣言と並んで、「アジェンダ21」(21世紀の課題)は「持続可能な開発」の概念を強調するとともに、沿岸域・海洋の「総合管理」への取り組みを諸国に繰り返し求めている(同第17章)。
わが国では、海洋を対象とする個別科学として、法学・政治学(国際法、海洋法、行政法、労働法、国際関係論、安全保障論など)、経営学・経済学(交通経済学、環境経済学、海事産業論、海洋資源論など)、理学(海洋学、海洋物理学、海洋生物学など)、工学(海洋工学、船舶工学、海洋土木工学など)、その他文化、レジャー・観光などの各分野があり、それらは隣接科学分野との学際的研究の成果を吸収しながらも、それぞれの分野で独自の専門領域を形成してきた。しかし、海洋に関する知の集積が旺盛な自然科学の分野に比べて、「社会科学の分野における研究や知の集積は不十分であるし、特に政策に結びつけるような研究ないし政策提言活動はこれまで僅かである」と言われてきた※2。海洋の自然界は未知の部分に充ちているという自然科学界の一般的認識が存在する一方で、海洋をめぐる科学技術の急速な発達と国際・国内の政治・経済・社会の急激な諸変化に直面して、人類はいま「政策の時代」といわれる現代に突入しているという現実を直視しなければならない。「人類と海との共生」(「海洋基本法」第1条)というわれわれの究極的目標の実現にとって、科学的知見に裏付けられる海洋政策の総合的研究はもはや不可避なのである。
個別科学を結集する海洋政策研究
海洋政策の分野における総合的な学問研究の可能性についてはいろいろ議論があろう。政治学等において発達してきた政策科学や公共政策分析等の成果を取り入れることは当然としても、物理的に一体性を有する「海洋」という広大な地球空間を中心として生起する自然・人間活動の著しく複雑多岐にわたる諸事象を、自然科学、人文・社会科学等の多様な学問分野に共通の研究対象として、分野横断的かつ総合的に政策論議することの困難性、とりわけその学問的体系化の可能性については、回答を逡巡せざるを得ないかも知れない。だが、学会組織の有無は別として、欧米ではすでにmarine policyに関する研究の幾多の集積があり、理論と実践の両面において実績を上げつつある。個別科学の分野にはそれぞれの知識体系のもつ前提と論理があるということを十分踏まえた上で、海洋関連の各種の専門的学会における個別科学の成果を糾合し、それらがどのように包括的な政策的意義をもつものに収斂し得るか、その「多様の中の総合」の可能性を追求することが本研究会の研究活動に求められていると考えられる。そして、国際・国内の海洋政策の諸相を総合的に分析・評価する学問的営為を通じて、やがてはそれが「学」の独自性を育み、知の体系化に繋がって行くことが期待される。
とはいえ、多数の異なる専門分野の集合体である上に海洋の「政策」を対象とするだけに、実際の学会運営においては多くの困難を伴うことが予想される。国際的連携の中での海洋政策研究者間の交流、海洋や海洋問題についての正確かつ統一的な情報・データの適切な開示とアクセス可能な状況の整備、個別学問の背景をもつ若手研究者に対する海洋政策研究への支援など、研究会活動に当面する課題は尽きない。「真の海洋立国」への道を歩み始めたわが国にとって、この学会組織が国民各層からの理解と支援を得て発展して行くことを祈念して止まない。(了)
※2 秋山昌廣「海洋ガバナンスを展望する―政治学的かつ実践的視点から―」、栗林忠男・秋山昌廣編著『海の国際秩序と海洋政策』、2006年、東信堂、299頁。
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